78年前の5月24日は、特殊部隊「義烈空挺隊」が熊本県の健軍飛行場から沖縄へ向け、飛び立った日。そんな戦況が悪化した頃に撮影された写真に写っているのは、特攻隊員と少女たち。4月、その特攻隊員の遺族が熊本を訪れ、写真の少女たちと対面した。
長い年月を経て特攻隊員を慰問した場所へ
陸軍の飛行服を着た男性と武者にふんした踊り手、そして3人の少女たちが納まる1枚の写真。78年前の記録。
この記事の画像(20枚)熊本市北区・丸山順子さん(取材時87):
特攻隊の慰問に行ったんですよね。そのときの写真なんですけど。多分、飛び立つ前の日ぐらいじゃなかったですかね
写真を保管していた丸山順子さんは当時、国民学校の5年生で10歳だった。踊りの先生たちと一緒に、菊池市へ特攻隊員の慰問に行ったときに撮影されたものだという。
熊本市北区・丸山順子さん(取材時87):
(特攻隊員は)死ぬのが当たり前。自分たちの宿命だと思っていましたからね。ニコニコしていましたけど死にたくはないですよね、誰でも。でも、国のために自分たちがしないと誰がするのかと。忘れられませんね、なんか
丸山さんの隣に写ってるのは中野喜重子さん。当時、高等女学校の2年生で13歳。
熊本市北区・中野喜重子さん(91):
幼いながらに「これが最後だな…」というのが記憶に残っているんですよ。国のためというか、命を捧げるというか。それを主にしている方たちですから、悲しいという感情は、私たちにはあまり伝わって来なかったな
丸山さんと中野さんを膝の上にのせている隊員は第76振武隊で、隊長の岡村博二中尉はもう1人の少女を膝に乗せ、バランスをとるように少女の腕を支えている。
第76振武隊は、1945年4月28日と5月11日に沖縄へ出撃。隊員11人のうち岡村隊長含む9人が特攻死した。
長い年月を経て、少女たちの記憶は薄れつつあったが、2022年に菊池市を訪れ、特攻隊員を慰問した場所などに立つと当時の記憶が少しずつよみがえってきた。
熊本市北区・中野喜重子さん(取材時90):
病弱だったんですよ。その慰問にもやっとの思いで参加し、特攻隊の人に抱かれて写真に写っている。いま思い出した
熊本市北区・丸山順子さん(取材時87):
なんかちょっと(隊員たちに)会えたような気分ですね
「ずっと覚えてくださったことは、彼らにとって幸せなこと」
菊池市を訪れてから半年後の2022年11月、岡村博二隊長の甥・村上 正一さん(70)が東京に住んでいることがわかった。
岡村隊長の甥・村上正一さん(70):
叔父を含め、若い特攻隊員のことをずっと覚えてくださったことは、彼らにとって幸せなことだったんだろうなと。3人の方(少女)には感謝したいと思います
4月26日に、村上さんは熊本を訪れていた。
岡村隊長の甥・村上正一さん(70):
私と叔父の間に、多少なりとも顔立ちや容貌など共通する点があるとすれば、少しでも彼女たちにその時のことを思い出してほしいと思いますね
出迎えてくれたのは、78年前、岡村隊長が膝の上に抱いていた少女・紫垣シヅさん。
岡村隊長の甥・村上正一さん(70):
これが、岡村博二ですね
熊本市北区・柴垣シヅさん(87):
あなたの…?
岡村隊長の甥・村上正一さん(70):
私の叔父、私の母親の弟です
熊本市北区・柴垣シヅさん(87):
踊ったとか、抱っこしていただいたのは覚えていますね。すごいごちそうがあったということも覚えています
岡村隊長の甥・村上正一さん(70):
あの時代にね
熊本市北区・柴垣シヅさん(87):
旅館か何かだった思います。(写真は)ごちそうが終わった後だったと思います。だから、雰囲気としてはわりと穏やかだったと思いますよ。「もう明日はあなたの家の上を飛んでいくから手を振ってね」とおっしゃいましたよ
岡村博二隊長は確実にここに居た
飛び立つ前に隊員たちも参拝に訪れたという菊池神社には、中野喜重子さんの姿が。
熊本市北区・中野喜重子さん(91):
お会いできてほんと夢みたい。夢みたいなお話で。言葉になりませんね。ものを言うと、なんだか涙が先に出るような感じがします。(隊長と)よく似ていらっしゃいますね、顔が
岡村隊長の甥・村上正一さん(70):
私と母がよく似ていて、母と弟の岡村中尉も似ていたということですから
熊本市北区・中野喜重子さん(91):
似ていらっしゃる、ほんと。特攻隊員の膝の上に優しくのせていただいたのに恥ずかしくて。恥ずかしさいっぱいだったっていうことはだけは覚えている。本当は3人一緒にお会いしたかったんですが…
写真を保管していた丸山順子さんは体調が思わしくなく、残念ながら対面はかなわなかった。
岡村隊長の甥・村上正一さん(70):
なんだか自分自身が叔父に直接会ったことがあるような、そういった錯覚をするような印象を持っています。(叔父は)確実にここに居たことはあるし、菊池の街中の一角に居たことは間違いない。そこで今日、お会いした方々と叔父が会っていたことは、まぎれもない事実ですので。太平洋戦争末期の戦局の悪い時期に、よくあのような写真に残っているような晩餐(ばんさん)を開いていただいいたものだな~と、この地域の方々に感謝します
1枚の写真がつないだおぼろげな記憶は78年の時を超え、それぞれの心の中にはっきりと記憶された。
(テレビ熊本)