G7サミットまであと1週間となった。今回のサミットに人一倍、期待を寄せる広島出身の外交官がいる。日本で開かれた、過去4回のサミット全てに携わってきたキーマンの思いに迫る。

海外駐在経験で広島出身の意味を考えるように

外務省G7広島サミット事務局 溝渕将史 副事務局長:
せっかくの機会ですから、広島の歴史、被爆した歴史だとか復興した歴史だとか、ぜひとも若者の視点で皆さんができることを何でもやっていただければと思います

広島市立大での講演
広島市立大での講演
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外務省G7広島サミット事務局で副事務局長を務める溝渕将史さん、57歳。
この日は広島市立大学でおよそ400人の学生を前にサミットの歴史や広島での開催の意義について講演。

溝渕さん:
私はアメリカに5回、南アフリカに1回住んだことがあるんですけど、海外に行くと聞かれる。広島出身、それどこですか?何が有名なんですかと。段々私も自分の故郷について勉強するようになり、広島出身の意味も深く考えるようになった

広島市南区出身の溝渕さん。両親は直接、原爆の被害にあってはいないが、幼いころから当時の様子は耳にしたと言う。

溝渕将史さん
溝渕将史さん

溝渕さん:
父は呉にいましたし、母親はちょっと離れたところにいて、広島駅から宇品港が見えたという風に聞いたこともあります。あと、父親は大きなきのこ雲を呉から見たと言ってました

高校まで広島で過ごし、1988年に外務省に入省。

赤丸が溝渕さん
赤丸が溝渕さん

1993年の東京を始め、沖縄、洞爺湖、伊勢志摩での4回のサミットに関わり、会議の日程やプログラムの構成などに携わった。

サミットが広島で開催されると発表された昨年2022年の日米首脳共同記者会見の場にも、溝渕さんはいたという。

溝渕さん:
9割9分広島だろうと、信じてましたので、やっぱりという気持ちと、おそらく私は準備に携わっていくんだろうと思いました。その記者会見中に、どういうプログラムにしようかと、頭の中で考えを巡らせ、いよいよだなってという感じがしました

溝渕将史さん
溝渕将史さん

2016年のG7とオバマ大統領の広島訪問が導線に

現在は、首脳たちに被爆の実相にしっかりと触れてもらうよう、原爆資料館の見学や被爆者との面会など、詰めの調整に追われている。

溝渕さんは、広島でのサミット開催決定は、過去の実績も大いに関係していると感じている。中でも、転機になったと振り返るのは2016年のG7広島外相会合。

溝渕さん:
初めてアメリカの国務長官が平和公園を訪問されて、資料館もじっくり見られて、献花もされた。

岸田外相とケリー米国務長官(2016年当時)
岸田外相とケリー米国務長官(2016年当時)

溝渕さん:
それで急遽、原爆ドームにお連れした際に、当時の岸田外相から私がちょっと声をかけられた

溝渕将史さん
溝渕将史さん

献花を終えた当時の岸田外相とG7各国の外相たちが慰霊碑を後にする、そのとき…
岸田外相(当時):
溝渕さん…ちょっと

岸田外相(当時)に呼ばれる
岸田外相(当時)に呼ばれる

溝渕さんを呼び、岸田外相が相談したのは…
「ケリー国務長官が原爆ドームを近くで見たいと言ってるんだが、ドームまで行けるか?」

当初は、このまま車に乗って平和公園を後にする予定だったが、溝渕さんの判断と誘導で急遽、原爆ドームを見学することになった。

原爆ドームを見学するケリー米国務長官(左)
原爆ドームを見学するケリー米国務長官(左)

溝渕さん:
それが終わった時は、もう歴史が変わったと、私は思ってました。もうこれで当分10年ぐらいは新しい歴史はないと思ってたら、1か月後に当時のオバマ大統領がここに来られて、滞在時間は短かったんですけど、アメリカの大統領の初めての訪問ということで、私個人的には感無量でした

核兵器を持つ国の首脳が被爆地ヒロシマを訪れることの影響力の大きさを実感しているという溝渕さん。

溝渕さん:
私の外務省人生の集大成としてこの広島サミットを大成功させるべく、しっかり最後まで準備をしていきたい

溝渕将史さん
溝渕将史さん

ロシアによるウクライナ侵攻で、核を取り巻く世界情勢が厳しさを増す中、ヒロシマの役割は益々重くなっている。

溝渕さん:
被爆の実相を世界にしっかり伝えていくことは、核のない世界の実現に向けた全ての取り組みの原点であるという意味で重要。核の脅しや、ましてや使用など絶対に認めないと、力強いG7の意思を平和のモニュメントの前で示すことができたらいいなと、私は思っています

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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