反スパイ法・非公式警察から見る中国の脅威

3月、アステラス製薬の男性社員が反スパイ法によって中国に拘束され、現在も拘束が続いている。

アステラス製薬の幹部を中国が「反スパイ法」で摘発
アステラス製薬の幹部を中国が「反スパイ法」で摘発
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同事件に関し、中国の呉江浩駐日大使によれば、「反省し、手を引くべきなのは、中国でスパイ活動をさせている人や機関だ」と主張し、日本のインテリジェンスコミュニティを明確に牽制している。

「反省し、手を引くべきなのは、中国でスパイ活動をさせている人や機関だ」中国の呉江浩駐日大使
「反省し、手を引くべきなのは、中国でスパイ活動をさせている人や機関だ」中国の呉江浩駐日大使

また、他の日本人拘束事件に関し、一部報道によれば、中国の裁判資料に「公安調査庁」との接点があったとの記述があったという。また、過去に6年にも渡って中国に身体を拘束された鈴木英司氏も公安調査庁との接点に言及しており、中国が公安調査庁の活動を把握し、強く警戒・牽制していることに間違いない。

中国での長期拘束後、FNNの取材に応じる鈴木英司氏
中国での長期拘束後、FNNの取材に応じる鈴木英司氏

ちなみに、これら動向は日本のインテリジェンスコミュニティに大きな打撃を与えており、中国にとっては非常に良い牽制の材料となっただろう。

そして、これらに密接に関わる反スパイ法が4月26日に改正され、適用範囲が拡大されることとなった。

中国「反スパイ法」改正案が可決
中国「反スパイ法」改正案が可決

改正法では、国家安全に関わる文書やデータ、資料、物品を違法に取得する行為等をスパイ行為の対象に挙げているほか、政府機関などへのサイバー攻撃を反スパイ法適用範囲の対象にあげているが、文書やデータが具体的に何を指すのかは明示されておらず、恣意的な法運用の余地は拡大したと見て間違いない。

但し、むやみやたらな一般人の摘発はされ得ないと推察されるが、今後も“外交カード”“口封じ”、そして“日本のインテリジェンス活動への牽制”のために反スパイ法の適用は続くと見られ、中国における明確なリスクとなる。

このような状況において、中国では、日米を含む西側諸国の外交官やメディアと親交がある中国共産党系の主要紙・光明日報で論説部副主任を務めた董郁玉氏在中国日本大使館職員と会った直後に拘束され、スパイ罪で起訴された。ちなみにこの際、中国当局はウィーン条約に反し、日本人大使館職員の身体を一時的に拘束している。

また、3月初旬には日本に留学している香港出身の学生が、身分証を更新するために香港に一時戻った際、「国家の分裂を煽動した」として、国家安全維持法違反の容疑で逮捕された。同学生は、インターネットで香港独立に関する情報を流したことが罪に問われる可能性があるという。

日本に留学している香港出身の学生が一時帰郷中の香港で逮捕される事件も
日本に留学している香港出身の学生が一時帰郷中の香港で逮捕される事件も

香港の留学生の件については、中国当局が日本での留学生の活動も把握していたのだろう。日本における留学生でさえ中国当局の監視対象となっている状況は以前から確認されている。

このように、習近平政権は体制安定を脅かす存在の摘発に躍起になっており、その触手は自国内のみならず、日本を含む世界に及んでいる

その例として、最近話題になったのが中国非公式警察問題だ。

中国の非公式警察拠点は、日本を含む欧米諸国53カ国、102カ所に設置されていると言われている。

ニューヨークでFBIに逮捕された中国秘密警察の男
ニューヨークでFBIに逮捕された中国秘密警察の男

その実態は中国当局が在外中国人を監視し、場合によっては強制帰国させるために脅迫等を行うとし、一般団体・企業や中華料理店などに偽装しながら活動をしている。

日本においては、外務省などの発表によれば、国内に2カ所東京都秋葉原、福岡)に非公式警察が存在するとされており、その他にも銀座、名古屋、大阪に拠点があると推察される。

東京・秋葉原にも中国の非公式警察の拠点が…(資料画像)
東京・秋葉原にも中国の非公式警察の拠点が…(資料画像)

これら中国非公式警察の活動は、国際法の原則に違反し、第三国の主権を侵害している行為であるが、日本において摘発することは難しい。

まず、非公式警察による在日中国人に対する監視や脅迫は表出しづらい。対象となった中国人が日本の警察に助けを求めれば、非公式警察は中国本土にいる対象中国人の親族に嫌がらせをするだろうし、対象中国人もその可能性は十分認識しているだろう。

また、拠点の設置についても、非公式警察が入居ビルを偽名で借りたりするまでもなく、正当に企業や日中友好団体等としてビルに入居し、企業活動をしながら、任務を与えられた非公式警察関係者が粛々と任務を行うので、あえて法に触れるようなことはしないだろう。

要は、彼らが行う日本の主権侵害に対し、速やかに適用できる法令はなく、地道にその実態を解明していくほかないのだ。

中国の脅威は反スパイ法、非公式警察だけではない

前述までの脅威に加え、経済安全保障の文脈から考察すれば、日本には、先端技術・ノウハウを保有する企業や大学、研究機関が多数存在しているが、こうした技術・ノウハウを不当に入手して自国産業を強化したり、軍事技術に転用したりしようとする諸外国から狙われているのは周知の事実だ。

国内における技術流出例として、直近では、国内電子機器メーカーに勤務していた中国人男性技術者が2022年、スマート農業の情報を不正に持ち出したとして、警察当局が不正競争防止法違反容疑で捜査していたと報じられ、同中国人男性は、中国共産党員且つ中国人民解放軍と接点があり、SNSを通じて、中国にある企業の知人2人に情報を送信していたという。

データで栽培を管理するスマート農業
データで栽培を管理するスマート農業

また、上記のように違法な手段での技術流出のみならず、合法的経済活動における技術流出も深刻である。

投資・買収の例では、過去にバックドアの存在が疑われ米国防省で使用が禁じられているLenovoが、NECパーソルプロダクツ富士通クライアントコンピューティングを買収している。(Lenovoは国務院直属の中国科学院の研究者により設立)

また、2010年には中国の自動車メーカーBYD(比亜迪股份有限公司)は、群馬県にある大手金型企業であるオギハラを買収した。このオギハラは当時世界一の金型加工技術を持っていたと言われている。

上海モーターショーでのBYDブース
上海モーターショーでのBYDブース

最近でも、日本企業が中国企業に買収される事例はよく耳にするだろう。

その他、海亀族による技術流出も深刻だ。

悪意・善意を問わずにビジネスパーソンや留学生が共同事業・研究によって日本で知見を蓄え帰国し、中国に持ち帰る手法である。

日本においては、外為法が改正され“みなし輸出管理”等が導入されたが、共同研究に従事した研究者が、後に中国政府系人物と接点を持ち、事後にその影響下に入るパターンも存在し、その対応が非常に難しい。

また、技術窃取だけではない。

例えば、人民解放軍の人間が、日本で貿易会社やIT企業を隠れ蓑として運営し、日本国内で影響工作に従事すべく、中国共産党の工作機関の指揮命令下のもと、影響力を持つビジネスマン等とネットワークを構築し、メディア関係者や役人などを中国に訪問させて親中となるように育て、中国に都合のよい施策を自然ととらせるのだ。

上記の例は、脅威のごく一部であるが、日本が対応すべき課題は山積している。

脅威に立ち向かう日本のインテリジェンス

これまで論じた脅威に対し、日本においてインテリジェンス体制をより強固にすることは喫緊の課題である。

まず、法整備である。

スパイ防止法によって、スパイ活動や新たな手法による国家主権の侵害に対する有効な手立てを講じなければならない。安全保障に関する国家機密を守り、他国のスパイ活動を防ぐのは自衛権の行使として当然の行為である。

スパイ活動などに対応する法整備が必要
スパイ活動などに対応する法整備が必要

また、スパイ防止法という名目ではなくとも、これら諜報活動・工作等に対し、企業における意識啓発や体制整備の指針や基準等を国が明確に示す必要がある。

そして、セキュリティ・クリアランスである。

機微情報のアクセス権者を適切に管理し、機微情報自体を保全するとともに、ファイブアイズ等とのCOLLINT体制(=情報連携体制)をより強固にしなければならない。

このセキュリティ・クリアランスは、機微情報の共有が必要とされる同盟国等との共同研究や企業活動における外国政府からの受注等において適性評価を有することが求められるほか、日本の技術的優位性を確保する上でも、同盟国等との国際共同研究の推進に必要不可欠である。

次に、インテリジェンス体制の強化である。

主要国において、情報機関は必須のものであるが、日本において強力な情報機関は存在しない。このような先進国はありえるのだろうか。

例えば、対外情報機関(外国の軍事・経済・政治・外交等の情報を収集する機関)で言えば、米国はCIA、イギリスはMI6等があるが、日本では対外情報活動を“明確”に活動趣旨としている機関はない。

SIS本部 英国対外情報機関 MI6
SIS本部 英国対外情報機関 MI6

米国や英国等に頼った情報収集体制では、現在の国際情勢において余りにも危険である。

日本としては、強固な情報機関を設置し、対外情報活動に正当な法的根拠を与え、安全保障に密接に関する情報活動を強化するよう、今一度再考すべきである。

今真剣に議論をしなければ、諸外国の脅威に対し、日本は立ち向かえない。

【執筆:稲村悠・日本カウンターインテリジェンス協会代表理事】

稲村 悠
稲村 悠

日本カウンターインテリジェンス協会代表理事
リスク・セキュリティ研究所所長
国際政治、外交・安全保障オンラインアカデミーOASISフェロー
官民で多くの諜報事件を捜査・調査した経験を持つスパイ実務の専門家。
警視庁公安部外事課の元公安部捜査官として、カウンターインテリジェンス(スパイ対策)の最前線で諜報活動の取り締まり及び情報収集に従事、警視総監賞など多数を受賞。
退職後は大手金融機関における社内調査や、大規模会計不正、品質不正などの不正調査業界で活躍し、民間で情報漏洩事案を端緒に多くの諜報事案を調査。
その後、大手コンサルティングファーム(Big4)において経済安全保障・地政学リスク対応支援コンサルティングに従事。
現在は、リスク・セキュリティ研究所にて、国内治安・テロ情勢や防犯、産業スパイの実態や企業の技術流出対策などの各種リスクやセキュリティの研究を行いながら、スパイ対策のコンサルティング、講演や執筆活動・メディア出演などの警鐘活動を行っている。
著書に『元公安捜査官が教える 「本音」「嘘」「秘密」を引き出す技術』