1月20日、台湾で、中国と連携して政府転覆を計画したとして元陸軍第6軍団副指揮官の退役中将らが国家安全法違反で起訴された。この事件は「台湾における中国のスパイとして最高位」と報じられ注目を集めている。こうした一連の事件を受け、台湾国家安全局が中国の潜入戦術についてその手法をレポートしている。

スパイ天国と揶揄されて久しい日本でも同様のことが起きるのか。本レポートを受け、台湾から学ぶべきことについて解説する。

激しさ増す台湾での中国の浸透工作

台湾国家安全局のレポート「Analysis on the Infiltration Tactics Concerning China’s Espionage Cases」によれば、台湾での中国による浸透工作は近年いっそう激しさを増しているという。

スパイ行為に関与したとして起訴された人数の推移(台湾国家安全局のレポートより)
スパイ行為に関与したとして起訴された人数の推移(台湾国家安全局のレポートより)
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2023年にスパイ行為に関与したとして起訴された者は48人、2024年には64人に上るとされ、2021~2022年の数字を大きく上回っている。検挙・起訴された件数も同様に急増し、台湾社会全体に張り巡らされた諜報網が活発化している様相が浮かび上がる。2024年の起訴者のうち退役軍人は15名、現役軍人は28名で、それぞれ全体の23%、43%に達しており、退役軍人を取り込んで現役軍人へ接触する工作手口が顕著であると分析されている。

こうした動きを通じて、地方団体や宗教団体への資金提供を行うなど親中勢力を育成し、台湾の選挙や政治プロセスに影響を与えるべく統一戦線工作を拡大している。

多面的な潜入スキーム

中国の浸透戦術は、暴力団、地下銀行、フロント企業、寺院や宗教団体、地方団体などの多様なルートを駆使すると台湾国家安全局は指摘する。退役軍人から現役軍人へアプローチを広げ、インターネットやSNSを通じて接触網を築く手口も横行している。

中国の5つの主要チャネルと4つの浸透戦術(台湾国家安全局のレポートより)
中国の5つの主要チャネルと4つの浸透戦術(台湾国家安全局のレポートより)

そのスキームは主に以下の通りだ。

●暴力団との連携による内部協力者の開発
中国は、台湾の暴力団メンバーをリクルートし、借金の免除をインセンティブとして財政的困難を抱える軍人を標的にしている。これにより、政府の機密情報を収集・調査し、台湾侵攻時には内部協力者として活動させる計画である。

●地下銀行の設立を通じた軍人の誘引
退役軍人をリクルートし、ダミー会社や地下銀行、カジノを運営させることで、現役軍人に軍事情報を収集させたり、中国への亡命を促す。

●寺院を利用した軍人の勧誘
宗教活動を通じて軍人に接触し、中国への忠誠を示す映像の撮影や軍事計画書の提供を要求する。

●統一戦線組織を通じた選挙への介入
地方団体に働きかけて台湾の選挙に介入するため、旅費全額負担の中国訪問を提供し、親中国派候補への支持を集める。

●インターネットを活用したネットワーク構築
SNSを通じて軍人の経済的困窮を利用し、機密情報を提供させる。

これらアプローチした相手に対し、借金に苦しむ者には金銭的報酬が提示され、協力を得る。今回の事件の一環で、2024年10月に新北市の寺院関係者を含む10人が、中国のためにスパイ活動を行った疑いで台湾高等検察庁に起訴されている。

寺院の議長である女性が暴力団とのつながりを活用し、借金に悩む軍人や退役軍人を説得して中国に機密情報を提供させ、国民身分証のコピー提出や軍服姿での降伏宣言のビデオ撮影まで行わせていたことが発覚しており、篭絡と脅迫のいわばアメとムチの手法がとられている。これは世界の諜報機関が実践してきた人的諜報活動(HUMINT)で協力者をリクルートし運営する手法と同様の構図であり、アメとムチの2面戦術は基本中の基本である。

台湾国家安全局のレポートより
台湾国家安全局のレポートより

更に、同レポ―トは、「中国はFacebook、LINE、LinkedInなどのオンラインプラットフォームを活用し、金銭的に困窮し個人の借金返済が必要な現役および退役軍人に対して融資を提供している。これにより、彼らに機密情報の提供や、他の軍人をリクルートして組織を拡大するよう要求している。このような活動は、調査を回避するために仮想通貨を使用して行われることが多い」と紹介、オンライン上でのアプローチの危険性を指摘している。

「琉球独立論」軸に揺さぶり…日本で同様のことが起こるのか

まず、台湾の事例は、地理的・言語的条件が似通うわけではない日本に必ずしもそのまま当てはまるものではない。特に、今回のようなスパイ網の構築には言語や文化の壁は大きく立ちはだかる。そういった意味でも既に台湾=日本として本事案を捉えるのは安直だ。

しかし、台湾に対する浸透工作から得られる示唆は無視できないであろう。中国にとって台湾は「統一」の最優先対象であるが、台湾での浸透工作から見えるように、中国はその戦略を地理的条件や対象国の特性に応じて柔軟に適用している。日本におけるその主要な焦点の一つが「沖縄」だ。

中国は、近年「琉球独立論」を軸に揺さぶりをかけている。そのために、文化交流や経済協力、学術交流の形をとりながら、メディアやSNSを通じたキャンペーンを行い、内外から既成事実化と分断を試みている。台湾で指摘されている暴力団・地下銀行・寺院や宗教団体、地方団体を経由した浸透戦術は、日本でも何らかの形で応用される恐れがある。事実、中国の手は、日本の宗教界にさえ触手を伸ばしつつある現状だ。

しかし、先に述べたように、日本では台湾と比較して言語・文化の壁が遥かに高い。言語や文化の違いは、特に人的諜報活動において大きな障壁となる。よって、台湾のように内部に直接スパイ網を構築し、例えば亡命をエサするのは難しい。それよりも、中国側は在日中国人コミュニティを活用しつつ、支援や接待といった招待工作を通じ、ターゲットの弱みをエサに協力を得る手口が想定される。そして、台湾の事例から言えば、「金」が重要なファクターであることが伺える。

日本の自衛官に対するアプローチ

台湾の件を受け、日本では自衛官へのアプローチが行われているのだろうか。

実際、中国人民解放軍の対外工作部門とされる中国国際友好連絡会(友連会)は、長年にわたって国会議員や地方議員、さらには宗教家や民間事業者、退役自衛官などに接触を図っている。

中国国際友好連絡会(友連会)のホームページ
中国国際友好連絡会(友連会)のホームページ

元陸上自衛隊東部方面総監の渡部悦和氏は、自衛隊を退官した将官クラスの一部が加入している中国政経懇談会(中政懇)と友連会との関係を述べ、退職将官を取り込むことで現役自衛官への人脈を広げ、親中意識を浸透させようとしているのではないかと警鐘を鳴らしている(「THE GOLD ONLINE」2022年7月1日付)。防衛省幹部の一部によれば、友連会が接触してきた退職将官らはすでに高齢者が多く、現役世代や近年退官した将官とは距離があり、現状では重大な影響には至っていないと分析している。

一方で、友連会の主目的が政治工作にあり、議院会館への出入りや地方議員との接触を活発化させているのが現状だ。中には、友連会が“オフィシャル”ではない形で議員と接触するケースもある。こうした一連の交流は台湾の事例と重なる形で日本社会に影響を及ぼす可能性をはらんでいるといえよう。

具体的事例とデータに基づく戦術の分析・公表を

台湾が国家安全保障法や反浸透法を整備し、大規模なスパイネットワークを摘発してきたように、諜報活動への対抗には制度と運用の両面が不可欠である。

まず、日本ではスパイ防止法が未整備であるうえ、検挙すべき法的根拠の不足を指摘する声がよくあがる。確かに、同法は重要である。

そこで、粒度を上げた議論をしなければならない。

まず、スパイ防止法の保護対象をどの範囲にするのか。
過去に出たスパイ防止法案では、国家機密(修正案は防衛機密)を保護対象としているが、経済安全保障の文脈から言えば、防衛機密に加え、先端技術情報や基幹インフラの脆弱性に関する情報などの保護も要求される。

例えば、既存の特定秘密保護法の罰則に、「探知・収集行為」を盛り込むことで、スパイ行為の初期段階からの取締りを可能にし、スパイ防止法のコンセプトに近づけることから始めてもよいだろう。
加えて「重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律(セキュリティ・クリアランス制度)」を同様に強化することも選択肢に入る。

スパイ防止法が成立したとしても、それを効果的に運用できなければ「法の存在意義」が失われる。

諜報活動の摘発で重要な課題である証拠収集能力、すなわち執行権(行政通信傍受やおとり捜査)を強化しなければならない。

そもそも、スパイ防止法だけではなく、外国代理人登録法(FARA)や台湾の反浸透法など見習うべき法制度は多くある。例えば、米国FARAをモデルに、日本国内で外国政府やその関連団体のために活動する者に登録を義務づける制度を導入し、これにより、外国勢力の影響力行使を透明化し、違反者に対する罰則を適用することが可能となるだろう。

しかし、真に学ぶべきは、台湾のレポートの結びに書いてある。

台湾国家安全局のレポートより
台湾国家安全局のレポートより

「近年のスパイ事件の調査および解決の成功には、軍関係者や市民からの内部告発が寄与しており、事件の発端や追跡調査を可能にしている。これは、防諜意識および国家安全保障に対する一般市民の意識の大幅な向上を示している」

これは重要な示唆だ。「中国のスパイが日本に○万人もいる」とか「中国人はみんなスパイだ」といった根拠のない数字の喧伝かつ実態からかけ離れたエンタメは、過度な嫌中感情と差別的思考が社会に広がりかねない。むしろ、かえって諜報工作の実態を見失わせる。そうなれば、正確な情報をもとに警戒体制を構築するはずが、デマや差別意識に流され、社会全体のリテラシーが崩壊してしまう懸念がある。そもそもこういった言質自体がスパイ防止法議論の足を引っ張るだろう。

まず、台湾が積み重ねているような具体的事例とデータに基づく相手の戦術を日本も分析し、オフィシャルに発信していく必要がある。正しく相手の実像を理解し、丁寧に指摘していくことを始めなければならない。

そして、スパイ防止法や関連諸法令の整備を粒度高く議論し、偏見に流されない社会的リテラシーを育てることこそ、急務であると考える。
(日本カウンターインテリジェンス協会代表理事 稲村悠)

稲村 悠
稲村 悠

稲村 悠(いなむら ゆう)
Fortis Intelligence Advisory株式会社 代表取締役
(一社)日本カウンターインテリジェンス協会代表理事
外交安全保障アカデミー「OASIS」講師
略歴
1984年生まれ。東京都出身。大卒後、警視庁に入庁。刑事課勤務を経て公安部捜査官として諜報事件捜査や情報収集に従事した経験を持つ。警視庁退職後は、不正調査業界で活躍後、大手コンサルティングファーム(Big4)にて経済安全保障・地政学リスク対応に従事した。その後、Fortis Intelligence Advisory株式会社を設立。BCG出身者と共に、世界最大級のセキュリティ企業と連携しながら経済安全保障対応や技術情報管理、企業におけるインテリジェンス機能構築などのアドバイザリーを行う。また、一社)日本カウンターインテリジェンス協会を通じて、スパイやヒュミントの手法研究を行いながら、官公庁(防衛省等)や自治体、企業向けへの諜報活動やサイバー攻撃に関する警鐘活動を行う。メディア実績多数。
著書に『企業インテリジェンス』(講談社)、『防諜論」(育鵬社)、『元公安捜査官が教える 「本音」「嘘」「秘密」を引き出す技術』(WAVE出版)