中国においてスパイ容疑で摘発され続ける日本人
先日、中国国内で日本の大手企業アステラス製薬の幹部である日本人が「反スパイ法」に違反した疑いがあるとして中国国家安全局によって、日本への帰国直前に拘束されたと報道された。

中国では、2014年に「反スパイ法」が施行されて以降、17人の日本人が拘束され、少なくとも9人が実刑判決を受けている、
また、北京外国語大学で教員を務め、衆議院の客員調査員を務めていた鈴木英司氏は、2016年7月に国家安全局に突如スパイ容疑で拘束され、懲役6年の実刑判決を受け、2022年10月に刑期を終え釈放された。

鈴木氏は、日本への帰国直前に空港で、令状等を提示されることもなく6人組に車に押し込められ、アイマスクをされた上でホテルの一室のような場所で7か月にも及ぶ取り調べを受けたという。
スパイ容疑については、2013年12月4日に、鈴木氏が中国高官との会食中に、前日に北朝鮮の金正恩の伯父(張成沢氏)が失脚したことをうけ、どうなのかという会話をしたことで、既に公開されている情報にも関わらずこの会話が国家機密の収集に当たるとされたとのことである。

今回も、何をもってスパイと判断されているかは甚だ疑問であり、中国政府による“恣意的”な法運用の典型例であると強く推認される。
帰国直前というタイミングをなぜ狙ったのか
今回も、鈴木氏の例のように、帰国直前に拘束されたとのことであるが、なぜ“帰国直前”なのだろうか。
“正当”なスパイの摘発であれば、証拠を固めて構成要件を満たした段階で共犯者の有無等の確認のもと検挙に着手するが、例えばスパイが本国に帰国してしまえば、スパイの所属国家・組織に自国の情報が持ち出されてしまうため、帰国を検知した段階で検挙することも考えうる。
しかし、中国による恣意的な反スパイ法の適用だった場合を想定すると、例えば日本人が帰国する際には、中国に定期的に訪問する立場の日本人であっても、重要なPCや機密が含まれる重要な資料は毎回日本に持ち帰るだろう。そのため、帰国時には重要な情報を欠かさず持った状態となる。

中国当局として、日本人の務める企業(今回はアステラス製薬)の情報が欲しかった場合、あえて帰国時に拘束することで、重要な情報を持った状態で日本人の身体を拘束し、所有物を差し押さえできるため、非常に“良い情報”が強制的に収集できる。
正当な反スパイ法の運用かどうかで判断が分かれるところである。
中国の思惑
前述のように、中国の思惑の一つとして、中国が欲しい情報を収集するために反スパイ法を摘発した可能性がある。
勿論、スパイ行為を適正に検挙した可能性もあるが、中国のこれまでのやり方を見ても、容疑が細部まで公表されず、法の恣意的運用の側面を強く窺わせる経緯を見れば、“正当”な反スパイ法の適用かは疑問が残る。

ちなみに、現在、中国が自国で強化したい分野として医療領域がよく挙げられている。それは、中国政府が発表している外商投資奨励産業目録(外国投資家による投資の奨励及び誘致に関連する特定の分野、地区等が明記されたリスト)や在中国欧州商工会議所が2021年1月に公表した報告書からも読み取れるが、そのような環境の中でアステラス製薬の社員が狙われた可能性もある。
また、もう一つの思惑が考えられる。
本件拘束の報道があった前日には、日本政府が2月末に帰国した中国の孔鉉佑前駐日大使からの岸田文雄首相に対する離任あいさつの申請を断っていたことが判明している。昨今の経済安全保障の文脈から慎重な対中姿勢が示された結果であり、異例の対応である。
これに対し、中国は日本への報復措置として、日頃から本件アステラス製薬の社員の動向は把握しつつも、いつでも反スパイ法が適用できるように泳がせ続け、日本政府への見せしめとして検挙・拘束した可能性もある。
実は、このような手法はウラジオストクの日本総領事館領事が安部元首相の国葬の前日にロシア連邦保安局(FSB)によって身柄を拘束された件と類似している。その拘束のタイミングと拘束された際の行為自体を見ても、ウクライナ侵攻を巡る日本への報復措置・見せしめと同様の趣旨が垣間見える。

但し、これまで中国によってスパイ容疑で日本人が摘発されたタイミングを見ると、必ずしもそのタイミングが報復や見せしめとなってはいないが、外交カードの一つとして、反スパイ法が有効に活用される手段であることは認識しておかなければならない。
反スパイ法の罠
そもそも、この反スパイ法であるが、2014年11月に可決され、施行された。
同法のスパイ行為の定義は、以下のように列挙されている。
(1)スパイ組織または代理者が実施または他人に実施させ、またはほう助し、あるいは内外の機構、組織、個人と結託して行われる“国家の安全に危害を及ぼす”行為
(2)スパイ組織に参加、またはスパイ組織およびその代理人の任務を受任すること
(3)スパイ組織および代理人以外のその他の機構、組織、個人が実施するかまたは他人に実施させ、または他人の実施をほう助した場合、あるいは内外の機構、組織、個人と結託して行われる、窃取、秘密裏の情報収集、買収、あるいは非法な国家秘密または情報の提供、あるいは工作要員を寝返らせるための交錯、勧誘、買収活動
(4)敵国人のために攻撃目標を指示すること
(5)その他のスパイ活動を推進すること
とされている。

その他、すべての機構、組織、個人によるスパイ行為はもとより、その任務受託、ほう助、情報収集、金銭授受などは、すべてスパイ罪とみなされる。
中国におけるリスク
中国という国を考えれば、中国における経済活動を主とした各種活動において幾多ものリスクが検討されなければならない。
例えば、反スパイ法と親和性の高い国家安全法や国家情報法、複合機問題でもクローズアップされた中国による半強制的な技術移転、更に視座を高くすれば、反外国制裁法等があり、いずれも中国政府による恣意的な運用が懸念されるものばかりである。

中国と活動を共にするならば、中国で活動をするならば、昨今の国際情勢を鑑みた地政学的リスクの視点を持ち、中国政府の恣意的な法運用等を鑑みた“中国の実態”を深く理解した上での対応が強く求められる。
最後に、拘束された日本人の適切な処遇と身の安全を心から祈るとともに、日本政府の毅然とした対応を期待する。
【執筆:稲村悠・日本カウンターインテリジェンス協会代表理事】