9歳の娘の前で「妻は殺害された」と語る被害者遺族。裁判で語られたのは悲痛な胸の内だった。事故を起こした97歳の男が車を手放さなかった背景、突然最愛の人を失った遺族の思いから、私たちが得るべき教訓があった。

踏み込んだのはアクセルペダル

事故が起きたのは、2022年11月19日の午後5時前。場所は福島県福島市の大型商業施設に隣接する歩道で、車道には買い物客の車が連なっていた。

外食をして軽自動車で帰宅中だった97歳の男は、交差点を左折した後にハンドル操作を誤って歩道に進入。歩道を100メートル以上走り続けた。歩道を歩いている女性に気付いて踏み込んだのは、ブレーキではなくアクセルペダル。軽自動車は少なくとも時速60キロまで加速して女性をはねた後、街路樹を薙ぎ倒し信号待ちをしていた車2台に衝突してようやく停止した。最初にはねられた女性が死亡し、衝突された2台の車に乗っていた4人がけがをした。そして男は、「過失運転致死傷」の容疑で逮捕された。

事故後の現場 100メートル以上歩道を暴走
事故後の現場 100メートル以上歩道を暴走
この記事の画像(15枚)

杖をついて出廷

杖を突きながら法廷の証言台に立った被告は、「申し訳ないと思っています」「本当に愚かなことをした」と謝罪や後悔の言葉を口にした。そして、被告に投げかけられたのは、運転を続けた理由を問う質問。

弁護人:運転をやめることを考えなかった?
被告:車にはほとんど乗らなかった 近場で食事のときだけ

弁護人:車を頻繁にぶつけていましたが、やめようとは思わなかった?
被告:車をやめてしまえば、どこにも行くことができなくなってしまいます

「申し訳ない」「本当に愚かなことをした」と謝罪や後悔の言葉も
「申し訳ない」「本当に愚かなことをした」と謝罪や後悔の言葉も

高齢で1人暮らし、腰が悪く食事や買い出しには車の運転が必要だったと訴えた。ただ、被告はこの事故の前に物損事故を複数回起こし、2カ月前に車を買い換えたばかりだったという。

検察官:なぜ食事するために車の運転という手段をとった?
被告:近いから。近いところだけは運転していた。

裁判官:免許返納は考えなかったのか?
被告:考えたことはあった。そういう時期にくれば返納しないといけない。免許を返納すればどこにも行けない。ご飯を食べることができない

「免許を返納すればどこにも行けない。ご飯を食べることができない」
「免許を返納すればどこにも行けない。ご飯を食べることができない」

鍵を持ち帰ってでも…

被告と離れて暮らす長女は、父親の身体的な衰えを感じていながらも運転をやめさせることが出来なかったことを悔いた。

「父の車に同乗して運転に違和感を抱いていた。自宅の車庫入れで、何度も車の後部を壁にぶつけていたのを見て、そろそろ運転をやめた方がいいと話した。車のキーを持って帰り、運転をやめさせなければいけなかった

月に一度、被告の元を訪れていたという長女。運転を再三やめるように話してきたが、望んだとおりに被告が運転をやめたのは、悲惨な事故を起こした後だった。

この事故前にも物損事故を複数回起こし車を買い換えたばかり
この事故前にも物損事故を複数回起こし車を買い換えたばかり

妻は殺害された

この事故で死亡した女性の夫は、法廷で被告やその長女の話を涙をこらえながら聞いていた。そして、悲痛な胸のうちを明かした。

「私の最愛の妻、子どもたちにとってかけがえのないママを返してほしい。法律はどうであろうと、私の心情は“妻は被告人の暴走運転によって殺害された”と思っています。歩道を歩いていて、時速60キロから77キロ(起訴状による)の車が突っ込んでくることを誰が想像できるでしょうか。11月19日より前に時間が戻って欲しいです。妻に会いたいです。私の最愛の妻を返してください。子どもたちにとってかけがえのないママを返してください。なぜ、妻の命を奪ったのですか」

“妻は被告人の暴走運転によって殺害された”
“妻は被告人の暴走運転によって殺害された”

死亡した女性は、夫と2人の子どもと4人で暮らしていた。それが突然、娘の目の前で暴走した軽自動車にはねられた。

「目の前で事故を見た娘は、ママの靴を抱きしめながら神妙な表情でいました。警察から”証拠として提出してほしい”と言われ、娘に”ママの靴をもらっていい?”と聞くと”ダメ”と言われました。しかし、後から返却されることを聞くと靴を渡してくれました。事故現場にいた娘が妻を気づかいながら拾って大切に抱きかかえていた靴でした」

目の前で事故を目撃した娘 母親の靴を抱きしめていた
目の前で事故を目撃した娘 母親の靴を抱きしめていた

死亡した女性の夫は、悲しみに明け暮れ自ら命を絶つことも考えたという。それを踏みとどまらせたのは、警察や検察の話から見えてきた妻の行動。

「巻き込まれなかったのは奇跡というぐらいすれすれで娘は助かった。きっと妻が助けてくれたんだと思う」

巻き込まれなかったのは奇跡というぐらいすれすれで娘は助かった
巻き込まれなかったのは奇跡というぐらいすれすれで娘は助かった

凄惨な事故…夫の決断

事故から約1カ月後、死亡した女性の夫はそれまで避けてきた、事故の様子を記録したドライブレコーダーの映像を見ることを決断した。

「とても辛い気持ちになることは分かっていました。しかし妻の隣にいた娘が、将来、今回の事件で悩んだ時に相談に乗ってあげられるようにしたいと思い、映像を見る決断をしました。映像では、いつもの妻と娘が歩道を歩いていました。すると、猛スピードで被告人の自動車が突っ込んできて、一瞬にして妻がはね飛ばされ画面から消えました。約15メートルもはね飛ばされたという事実に、唖然としました

娘を思い 事故の様子が記録されたドライブレコーダーの映像を見る決断
娘を思い 事故の様子が記録されたドライブレコーダーの映像を見る決断

「娘が”ママ!ママ!”と叫びながら妻に駆け寄る姿がありました。娘は妻に近寄り、声をかけているように見えました。娘は衝撃で飛ばされた妻の靴を拾い、大事そうに抱きしめていました。その時の、わずか9歳の娘の心情を思うと心が張り裂けそうになります

「娘が思春期を迎えて”なぜ被告人の車が突っ込んで来たときに、ママに早くこっちに来てと言わなかったのだろう?手を思いっきり引っ張らなかったのだろう?”と悩んでしまうことがあるかもしれません。その時には”ママを殺した相手が悪いのであって、君は何も悪くない。歩道を車が猛スピードで走ってくることがあり得ないのだから。パパも映像を見たけど、ママの前を歩いていた君が、車が迫ってきていることや後ろにいるママの状況を把握するのは無理だよ。大丈夫、君は何も悪くない。ママだってその事はちゃんと分かっているよ”と伝えてあげたい」

「わずか9歳の娘の心情を思うと心が張り裂けそうになります」
「わずか9歳の娘の心情を思うと心が張り裂けそうになります」

判決が投げかけたこと

「被告を禁錮3年、執行猶予5年に処する」

裁判長が言い渡した判決には「執行猶予」が付けられた。じっと一点を見つめながら判決を聞いていた被告。遺族は終始、下を向いていた。

判決は被告を「97歳のいわゆる超高齢者」としたうえで、「本件事故前から車を損傷させることが複数回あった」「自動車を安全に運転するのに必要な判断能力や運動能力に衰えがあったといえる」「元気なうちに運転免許の返納やそれに伴う生活の調整などをして自動車の運転自体を差し控えるべきだった」と指摘。

禁錮3年 執行猶予5年 一点を見つめながら判決を聞いていた被告
禁錮3年 執行猶予5年 一点を見つめながら判決を聞いていた被告

「自動車が利便性の高い乗り物である反面、人の生命身体に大きな危害を加えかねない危険なものでもあるという基本的な事実に立ち返り、高齢者が自ら運転せずとも不便を感じることなく、生活を送ることができるような社会の構築が望まれる」と高齢者による事故を防ぐための提言も盛り込まれた。

高齢者による事故を防ぐための提言も
高齢者による事故を防ぐための提言も

全国で相次ぐ高齢者の交通事故

2019年には、東京・池袋で当時87歳だった元被告の男が車を暴走させて母子2人をはね、死亡させる事故が発生し大きく報じられた。

高齢者による事故を防ぐ手立ての一つに挙げられる「免許返納」。池袋の事故が影響したのか、2019年に返納された免許は過去最多の「60万1022件」に上った。しかしその後は減少傾向にある。

2019年 東京・池袋 当時87歳の男が車を暴走させて母子2人をはね死亡させる
2019年 東京・池袋 当時87歳の男が車を暴走させて母子2人をはね死亡させる

免許返納に必要なのはイメージ

交通政策を研究する福島大学の吉田樹准教授は、免許返納が進まない理由の一つに「生活習慣」を挙げる。“車社会”の地方においては、行政が高齢者向けに公共交通のサービスを充実させても、それまでの「利用習慣」が無いために「車を使わない生活」をイメージしにくいという。身体的な衰えが来る前に公共交通機関を使ってみる・車のない生活を体験しておくことが免許返納のハードルを低くすることに繋がるかもしれない。

身体的な衰えを感じる前に車のない生活を体験することも大切
身体的な衰えを感じる前に車のない生活を体験することも大切

他山の石とする

自動車は操作を誤ると人の命を奪う凶器となり、ハンドルを握れば誰しもが加害者になる恐れがある。交通事故を起こさないためには、車を運転する一人一人が「慣れ」からくる緊張感の欠如や「これまで大きな事故を起こしていないから大丈夫」という慢心を排除すること、車は凶器となり得ると自覚し重ねて注意することが欠かせない。

また、高齢になるにつれて運転で求められる体の機能の衰えは避けられない。高齢化が加速する中、判決が指摘したように車を運転しなくても不便を感じずに生活が成り立つ環境を整えることや事故を起こさせないインフラの整備など、行政や社会が果たすべき役割も増している。

(福島テレビ)

福島テレビ
福島テレビ

福島の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。