東日本大震災から12年。福島県の沿岸部は地震、津波だけでなく福島第一原発事故にも被災した。だが「この地こそゼロイチだ」と酒やワインづくりにチャレンジする人々がいる。取材した。

南相馬はゼロからまちづくりが出来る

福島県南相馬市小高区。原発事故前に1万2千人いた住民は、7年前に避難指示が解除されたもののいま4千人弱となっている。ここで酒づくりをしているのが、埼玉県出身で楽天などを経て2020年に移住した佐藤太亮さんだ。佐藤さんが起業したhaccoba(はっこうば)は、日本酒とクラフトビールの製法を掛け合わせた「クラフトサケ」をつくっている。

haccobaはクラフトサケをつくる(後ろ右端が佐藤さん)
haccobaはクラフトサケをつくる(後ろ右端が佐藤さん)
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筆者は2021年の暮れに佐藤さんの酒蔵を訪ねて話を聞いた。2020年9月からクラウドファンディングを行い、21年2月から製造を開始したhaccobaでは、当時すでにネットで販売すると数時間で売り切れるほどの人気となっていた。その際に佐藤さんが繰り返し話していたのが「南相馬はゼロからまちづくりを出来るフロンティア」だった。

(関連記事:20代起業家がみた東北は“ゼロからイチを生み出すフロンティア”...漁網、農業、酒造り 彼らの挑戦

ネットで販売すると数時間で売り切れる人気だ
ネットで販売すると数時間で売り切れる人気だ

浜通りから自由なお酒文化を発信したい

佐藤さんが今年2つめの酒蔵をつくると聞いて、筆者は先月再びhaccobaを訪ねた。オープンする予定の場所は浪江町の「なみえ星降る農園」のすぐ隣だ。佐藤さんは新しい酒蔵をつくる際「新築にはしたくなかった」という。

「地縁のない浜通りに移住してきて、『新築ではなく、その土地にある建物をつなぐようなやり方がいいな』と思ったので、仮設住宅を移築して再利用することにしました。実は去年ベルギーに2拠点目をつくることも考えていたのですが、そうすると浜通りからの自由なお酒文化の発信をしたかったのに、違う伝わり方をするのではと思って浪江町にしたのです」

(関連記事:東京から移住して…原発事故に被災した福島県浪江町で元外交官がまちづくり )

「浜通りから自由なお酒文化を発信したい」
「浜通りから自由なお酒文化を発信したい」

インフラがある無人の町はここしかない

haccobaが拠点を構える小高地区について佐藤さんは、「以前(筆者が)いらっしゃってから、さらに動きが加速していますよ」と笑った。

「若い人たちが移住だけでなく何かしらの形で出入りして、地域や企業の支援もあって事業をやる方もかなり増えています。自分はいま30歳ですが、もうベテラン感が出てきちゃって(苦笑)」

「30歳でもうベテラン感が出てきて」と笑う佐藤さん
「30歳でもうベテラン感が出てきて」と笑う佐藤さん

そして佐藤さんはこう続ける。

「人が全く住んでいない場所は地球上にたくさんあると思いますが、町としてインフラが整っていて人が誰もいなくなった場所は、世界中を探してもこの地域ぐらいしかないと思います。ゼロからまちをつくれるというのはワクワクするし、フロンティアという感じですね」

「インフラが整っていて人がいない町は、世界中でここぐらいしかない」
「インフラが整っていて人がいない町は、世界中でここぐらいしかない」

ゼロイチで酒造りを楽しんでいます

佐藤さんは去年、国内外でクラフトサケをつくる仲間たちと「クラフトサケブリュワリー協会」を設立した。

「少しずつ認知されていますが、まだ流通量も多くないので、もっと増えないと文化にはならない。ですから業界団体を作って新しい蔵を作りたい人を皆でサポートしようと設立しました」

ジャンルに入らない分ゼロイチでさけづくりを楽しむ
ジャンルに入らない分ゼロイチでさけづくりを楽しむ

日本酒の酒蔵は実質的に新規参入を規制している。

「酒造免許の取得は難しいので、私たちは“その他の醸造酒免許”を取ってクラフトサケをつくっています。でも名前通り何のジャンルにも入らない分、まさにゼロイチで楽しんでやっています」(佐藤さん)

 

「村に新たな農業を」とワインをつくる

福島県川内村は浜通りの内陸側に位置する人口約2千人の村だ。震災後全村避難となったが2016年に全域で避難指示が解除された。この村では「村に新たな農業を」と、これまで牧草地だった土地を葡萄畑に変え、まさにゼロイチでワイナリー「かわうちワイン株式会社」をつくった。

(関連記事:あの日から12年…原発事故に被災した福島で、震災と向き合う女性たちの葛藤と希望

川内村はゼロイチでワイナリーをつくった
川内村はゼロイチでワイナリーをつくった

「震災前この村には果樹園はほとんどなかったのですが、『新たな農業が必要だ』と葡萄栽培が始まりました」

こう語るのは統括マネージャーの遠藤一美さんだ。遠藤さんは村役場の職員だが、いまはワインづくりが“本業”となっている。

遠藤さんは村役場の職員だがいまはワインづくりが”本業”に
遠藤さんは村役場の職員だがいまはワインづくりが”本業”に

収穫時は100人以上のボランティアが

「震災前この土地は牧草地でした」と遠藤さんはいう。

「しかし原発事故によって汚染され、除染したものの耕作放棄地となっていたのです。村や関係者でぶどうを育てる候補地を探していたのですが、ここは日照が良くて風が吹き抜け、霜の影響はほとんどない最適地だと決めました。いまはこの土地に合う品種の選定もやっていて、試験的に20種類を超える品種を植えています」

日照、風、霜などの条件からワイン栽培に最適地だと決めた
日照、風、霜などの条件からワイン栽培に最適地だと決めた

かわうちワインは2017年8月に設立され、2020年に収穫した葡萄からワインの製造がはじまった。初年度の生産は1万1千本だった。

「収穫時は100人以上のボランティアの方々にきてもらっています。復興ワインとして買って頂けるお客様もいますし、実際に飲んでみて美味しいから買うというお客さんもいて、お陰さまでワインはほとんど在庫がないぐらいです。近い将来2万本の製造を目指して取り組んでいきます」

遠藤さん「近い将来2万本の製造を目指して取り組んでいきます」
遠藤さん「近い将来2万本の製造を目指して取り組んでいきます」

原発立地の双葉町が復興へ新たな一歩

JR双葉駅の周辺は整備されたが、町の大半はいまも帰還困難区域だ
JR双葉駅の周辺は整備されたが、町の大半はいまも帰還困難区域だ

福島第一原発が立地する福島県双葉町は、町の大半がいまも帰還困難区域だ。昨年8月に一部で避難指示が解除されたものの、震災前は約7千人だった住民はいまわずか60人となっている。

JR双葉駅を訪れると、その周辺は整備され、昨年9月に業務を開始した町役場の新庁舎には職員の姿が見える。しかしそこから100メートルも歩くと、壊れた無人の建物が並び震災直後から時間が止まったようだ。

駅周辺から離れると無人の建物が並ぶ
駅周辺から離れると無人の建物が並ぶ

役場の前でキッチンカーを出している夫妻に話を聞くと、「富岡町からきています。双葉町の役に立てられれば」と語っていた。

役場の前にキッチンカー「双葉町の役に立てば」

無人の建物の壁にはアート作品が描かれ、町は復興に向け新たな一歩を踏み出している。東日本大震災と福島第一原発事故から12年。被災した東北の地を私たちは決して忘れてはならない。

双葉町は復興に向けて新たな一歩を踏み出している
双葉町は復興に向けて新たな一歩を踏み出している

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。