沖縄と、鹿児島の奄美大島で主に用いられている楽器・三線(さんしん)。その文化を未来に繋ぐため、活動している人たちがいる。
古くから三線の棹の材料として使われている琉球黒檀のことを、沖縄ではくるち(黒木)と呼んでいて、くるちを植え育てる「くるちの杜100年プロジェクト」が2022年で10年を迎えた。10年経った黒木の今と、100年後を夢見る人々の思いを取材した。

アーティスト宮沢和史さんも参加 3000本のくるちを植えるプロジェクト 

座喜味城跡公園の北側に広がる琉球黒檀、くるちの木々。ここでは約3000本のくるちが植えられ、大切に育てられている。

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舞台演出家・平田大一さん:
読谷村で2008年から「くるちの杜」という取り組みがあると聞いて。2008年から始まった取り組みを引き継ぐ形で、2012年から「くるちの杜100年プロジェクトin読谷」という実行委員会形式にして、全県レベルでの取り組みに展開してきた

舞台演出家の平田大一さんと、アーティストの宮沢和史さんが手を携え、2012年にスタートした「くるちの杜100年プロジェクト」。

少なくとも100年はかかると言われる、くるちを育て三線の文化を未来に繋いでいこうという取り組みは、2022年で10年が経過した。

植えられたばかりのくるちの苗は、もちろんまだ小さく、記者の足首ほどの高さ。そして約10年過ぎたものはと言うと…、記者の背をゆうに超えるほどに成長している。

くるちの苗
くるちの苗
約10年以上かけて成長したくるちの木
約10年以上かけて成長したくるちの木

大きく成長したが、しかし三線の棹として使われるようになるまでは、さらにあと90年以上かかると言われている。

アーティスト・宮沢和史さん:
成長するのに、100年200年かかるって聞いたんですね、三線になるまでに。僕の命がそこまで持たないので。
今生きている誰かの得になることとか、そういうことじゃなくて、将来のうちなーんちゅ、そして世界中にいる沖縄・三線ファンの人たちが、沖縄の木で三線を弾ける未来を想像するだけで、本当にハッピーになれて

沖縄県産のくるちの枯渇が、この取り組みの背景にある。

樹齢100年から200年を超えないと三線を作れない…希少な「くるち」

沖縄県三線製作事業協働組合 事務局長・三線職人 仲嶺幹さん:
もともと三線製作業界が抱えている課題としまして、海外産の黒檀に依存している率がとても高くて

職人でつくる組合によると、今や、くるちの99%以上がフィリピン産。なぜ沖縄の三線の材料を、輸入に頼っているのか。

沖縄県三線製作事業協働組合 事務局長・三線職人 仲嶺幹さん:
昭和の戦後ですね、特に。飛躍的に、観光産業から三線文化というのが全国的に広がるようになりまして、一気に黒檀(くるち)の枯渇というのが加速した。そこから海外産にどんどん依存していくようなかたちになった

生育に長い時間を必要とすることに加え、耐久性の高さや希少性からくるちは、三線の棹の材料として最高級の価値があるとされている。

沖縄県三線製作事業協働組合 事務局長・三線職人 仲嶺幹さん:
黒檀(くるち)という材料が、普通の木と比べて3倍くらいの密度があって、とっても堅い木なんですよ。でもその代わり、とっても成長が遅くて。
しかも、中心部分しか黒くならないので、本当に黒檀(くるち)と言える材料に関しては樹齢が100年とか150年、200年を超えるような木じゃないと、三線を作るのは難しい。だからとっても希少価値がある

普通の木の3倍ほど密度があるという「くるち」。中心部分しか黒くならず、材料になるには100~200年かかる
普通の木の3倍ほど密度があるという「くるち」。中心部分しか黒くならず、材料になるには100~200年かかる

100年先のくるちの三線を見ることはできないが…夢を見ることはできる

現在この取り組みに関わる多くの人々が、100年後のくるちの杜を見ることはできない。

舞台演出家 平田大一さん:
我々は100年先の、くるちが三線になるのを見ることができないけれども、夢を見ることはできると。だから、いつスタートするのかということを先延ばしにしても、100年というのはどんどん先にいくので。
大勢の人たちにあらゆる世代の人たちに、この杜に来ていただいて、自分たちができる自分たちの取り組みを通して、100年先の未来を一緒につくっていけたらいいなと思っています。
まずはくるちの杜で、みなさんとお会いしたいと思います

先人から脈々と受け継がれる、知識や技術。再び、県産のくるちで作られた三線が普及することを、職人たちも夢見ている。

沖縄県三線製作事業協働組合 事務局長・三線職人 仲嶺幹さん:
消費するだけではなくて、材の育成とかもやはり文化の根源ということで、みんなで取り組みたいと考えていまして。
木を植える取り組みというのも、当たり前に三線をたしなむ人たちは、木を植えると「みんな木を植えているんだよ」となるように取り組んでいければ。100年後200年後には、黒檀が自然に生えているようなのを夢見ている

宮沢和史さん「沖縄で採れた木で、子どもたちが三線を弾く夢をみながら」

持続可能な開発目標・SDGsが国連に採択される前から活動が始まった、くるちの杜100年プロジェクト。

アーティスト・宮沢和史さん:
「持続可能な」という言葉を最初に聞いたとき、とても寂しい言葉だと思ったんですね。
そうじゃなくて、当たり前のこととして、100年後の子どもたちがどういうふうになっていてほしいかって考えたら、自ずと持続可能な選択をするし、生活を選択するし。
だから「持続可能」っていう言葉はあまり意識していなくて、沖縄の未来、僕は見られないけれど、いい形で子どもたちにプレゼントしてあげたいという思いですね

沖縄が誇る三線文化を、沖縄の地で育ったくるちで、未来に繋いでいきたい。

アーティスト・宮沢和史さん:
100年後200年後には、その島で採れた木で子どもたちが三線を弾くという、そういう夢を見ながらみんなで少しずつ広げていきたい

くるちの杜100年プロジェクトには、100年先の沖縄でも、三線の音色が鳴り響くことを夢見る人々の思いが込められている。

(沖縄テレビ)

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