お酒を飲むと泣き出し…父を変えた戦争

東日本大震災による原発事故後、被災者に寄り添いトラウマの研究を専門としている福島県立医大の精神科医、前田正治さん(62)。その大きなきっかけとなったのが、父・利治さんの存在だった。

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福島県立医大精神科医・前田正治さん:
僕も殴られた記憶しかなかったです、子どもの時は。親父は笑った記憶がないですね。とにかく、いつもしかめっ面して無口で。いつも家にはこん棒があった。親に対する憎しみも強かったんですよね

父の利治さんは福岡県北九州市で生まれ、1943年に16歳で旧日本海軍に入隊。飛行予科練習生として、奈良や三重の航空隊に配属されたが出撃はせず、終戦を迎えた。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
小さい時は親父が怖かったので、あまり戦争の話も聞かなかったし、親父もしなかったんですけど。それでも時折、当時の話をする父の姿を覚えています。ある日、水雷課の将校が来て「新しい兵器があるから、希望者はこっち来い」と。でも親父たちは、飛行機乗りを目指していたんですよね。だから本来は行きたくなかったと思うんだけど、でも何人かは行ったんでしょうね

戦況が悪化したころ、旧日本海軍が開発した人間魚雷「回天」の話だった。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
軍隊から帰ったら、人が変わってたと。お酒を飲むと泣き出すんですよね。笑った顔は見たことないけど、泣く顔をしょっちゅう見てて。「すまない、すまない」と

父は前田さんの手を握りしめながら謝罪の言葉を繰り返すも、誰に何を謝っているのかわからなかったという。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
おふくろが、お風呂場で背中を洗おうとしたら「お父さんの背中を流せなかったと。背中を流すと突然、ワアーと鳥肌が立っていくみたいなね

後に父が隊の中で激しい暴力を受けていたことを知った。暴力にさらされる日々の中で、次々と散っていく仲間たち。それが父の“戦争体験”だった。

「生き残っても辛い」父を苦しめた記憶

戦後、整形外科医として患者のために働いた父・利治さん。父への反発心はあったものの、前田さんも同じ医師の道に進み、精神科医に。前田さんが生存者の心のケアにあたった”ある事故”が、閉ざされた父の心をゆっくりと開く鍵となった。

2001年にハワイ沖でアメリカ軍の原子力潜水艦が衝突し、生徒など9人が亡くなった水産高校の練習船「えひめ丸」の事故だ。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
その話をしたころから、親父がぼつぼつ話し始めたんですよね。そして、親父が悪夢を見始めたんです。戦争の悪夢をね。そのころになって。ずいぶん歳を取ってからですけど、「自分は戦った」と。パイロットになって、太平洋でグラマンと戦ったと。それで撃墜されて海に落ちたと。もちろんこれは親父もわかっている、全部ウソだってことは。空想の世界です。「自分はそういう空想にずっとしがみついていたんだ」というんですね。それはちょっとびっくりしました

「戦ったと思わないと生きていけなかった」「生き残ってしまった」。父の心の叫びが聞こえた。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
特攻隊で死ぬことはもちろん悲劇ですけど、生き残ってもこれだけ辛かったんだなと思ってね。一言で言うと、生きるのがとても苦しかったんだろうと。それで僕らを殴っていたということもあったかも知れないけど、本当は…親父自身も何回も死にたいと思ったことはあったんじゃないですかね

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
トラウマの研究はもともと戦争から始まった学問なんです。自然災害によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱える人もたくさんいますよね。犯罪もある、事故もある。でも何といっても戦争ですよ。こんなにひどい災害はない。戦争というのは、大量のPTSDとかトラウマの人を生む。大量に死んでいった太平洋戦争で生き残ってしまったという、戦争の罪責感はものすごく強かったでしょうね

「もっと話を聞きたかった」心に寄り添いながら

精神科医として経験を積むごとに、父・利治さんが抱え続けた苦しみを理解した。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
親父の話を本当はしたくない。殴った親父だから。殴ったという話は、特にしたくはなかったんです。だけどやっぱりPTSDの研究をしているということもあって、僕の1つの役割として語ることかなと思った

利治さんは、2014年に87歳で亡くなった。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
最後は僕も親父とは仲良かった。多分、一番の理解者だったと思います。おふくろ以外ではね。だからいろんな意味で…よい親父だったんですけどね。ただもっともっと当時、何があったか聞きたかったというのはあるけどね

だからこそ…。

福島県立医大精神科医・前田正治さん:
僕らは戦争体験者の話に耳を傾けなくちゃいけない。今のうちにね。僕らみたいな子どもの話でもいいから、語り継ぐ必要はあると思います

父を変えてしまった戦争。息子として、精神科医として…。忘れたくても忘れられなかった、その記憶を前田さんは語り続ける。

(福島テレビ)

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