終戦から77回目の夏を迎えた。
世界が平和を祈る一方で、ロシアのウクライナ侵攻など侵略の歴史は繰り返されている。
その争いの裏では、女性や子どもなど、必ず犠牲になる市民がいる。
77年前、陸軍の偵察機操縦士として中国で終戦を迎えた男性が、いま戦争被害の現実を語った。

「国のために死ぬのが当たり前やった」

丁寧な字で書き記された2冊のノート。

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中には戦争の記憶がびっしりと詰まっている。
ノートを書いたのは愛媛・今治市波方町に住む桧垣静男さん(96)。当時19歳で終戦を迎えた、戦争を知る最後の世代。

桧垣さんは大正15年生まれ。物心ついたころには日本は戦争に突入していて、昭和18年、17歳の時に陸軍特別幹部候補生に志願した。
17歳の少年が戦争に志願した当時の日本について、こう振り返る。

桧垣静男さん:
ずっとそういう教育を受けとったから、(戦争に)行かないかんと思とった。国のために死ぬのが当たり前やったんよね

陸軍に志願した桧垣さんは、福岡県の太刀洗陸軍飛行学校に入り、半年間の訓練を受けたあと、偵察機の操縦士として朝鮮半島へ渡った。
しかし、昭和20年に入って日本の戦況が悪くなり、桧垣さんも本土決戦になった場合、特攻隊の要員になることを覚悟したという。
桧垣さんは当時の状況についてこう語った。

桧垣静男さん:
あの頃は特攻隊も志願した形にするために、みんなに調査するわけよ。「熱望」「希望」「希望しない」と3段階で。後々の待遇が悪くなるから、みんな「熱望」といれる。志願した形式をとっとるけど、実際は強制よね。わしも「熱望」と書いたんじゃないかな

そして、日本の家族に向けてこんなことも…

桧垣静男さん:
毎月、散髪したり爪も切るが、僕らでも3,4回、切った髪や爪を松山連隊部司令部に送りよっとたわいね。
(Q.何かあった時のために?)
僕らの死体が取れないのはわかっとったから、髪とか爪を封筒に入れて、松山に送りよった

敗戦で立場逆転…侵略した側がされる側に

昭和20年8月初め、桧垣さんたちの部隊はソ連軍の侵攻から逃れるため、満州に移動した。
そして迎えた8月15日。
あの日のことを、桧垣さんは鮮明に記憶している。

桧垣静男さん:
きょう12時に放送があるというので、通信指令室に集まるよう連絡があったんよ。通信指令室は狭い部屋で、みんな部屋の中に体を乗り込むようにして聞こうとしたが、ラジオがボロで、ガーガーいって何も聞こえんのよ。(その後)戻ってきて3時頃になって、日本負けたらしいぞ、降伏したらしいぞと言って…

終戦から3日後、桧垣さんたちは鉄道で満州の奉天に逃れた。
当時、満州には多くの日本人が開拓団として移民していたが、日本の敗戦で、侵攻された側の中国人、さらに朝鮮人やソ連軍との立場は逆転した。
当時、最も被害を受けたのは、満州への日本人開拓団だったと桧垣さんは語った。

桧垣静男さん:
満州人が造っていた土地を武力にモノ言わせて取り上げて、現地の人はずっと奥の原始林があるようなところに追いやって。満州人が切り開いた土地を開拓団が没収し日本人に与えて、食料を作らせたんよね。これは日本政府がやったことで、開拓団の人はしらんこと。自分らは国のためだと思って行っとんやけん。だけど現地の人は、こいつらがきたから自分たちの土地がなくなった、わしらが放り出された、とものすごく開拓団には思っている

奉天では終戦後、日本人を狙った略奪が起きた。
特に被害にあったのは女性と幼い子ども。あちこちで大きな悲鳴が聞こえたという。

桧垣静男さん:
女の人はみんな男の服を着て、顔に墨を塗って顔を隠して、家の畳の下に毛布や布団を敷いて、そこに家族を隠して、男は外に出て見張るような形。小さい子は床下に入って、抱いてても声が外に漏れたらいかんので、お母さんがおっぱい飲ませてものが言えないように押さえつけとって、出てきたら、(子どもが)窒息死してたというのを方々で聞いてた

必死で生きようとする混乱の中で、多くの幼い命が失われたという。

終戦後、現地では女性に対する性的暴行被害が横行していた。
当時、現地人やソ連軍にとらえられた日本人女性は、「マータイ婦人」と呼ばれていたという。
「マータイ」とは現地で「麻袋」のこと。そう呼ばれた理由について、桧垣さんはこう語った。

桧垣静男さん:
ソ連や現地人に女の人が連れていかれて、性的遊び道具にされて、そして女の人は丸裸にして倉庫にほりこんでおく。とらえられた日本人女性は、倉庫にあった麻袋に頭と手が出るような穴をあけて、袋をかぶって逃げて助けを求めた。これをマータイ婦人といった

そんな被害を受けた女性たちは、日本に引き揚げたあとも苦しみが待っていた。
多くの日本人が引き揚げてきた山口・仙崎。ここに「特殊婦人」と記された記録がある。
「特殊婦人」とは、満州で現地人やソ連軍に暴行をされて、病気になったり望まない子どもを妊娠して引き揚げてきた女性たちのことだという。

桧垣静男さん:
(引き揚げ後)自分の家や親せきの家にお世話になるが、(妊娠した)大きなおなかをしては帰れない。それで自殺者がでたりして、それを見かねて仙崎のお医者さんがおろして、小さな命がだいぶ失われた

「戦争をなくすには国境なくさんといかん」

ロシアのウクライナ侵攻等、いまなお世界各地で繰り返される侵略行為。
そこには必ず被害にあう市民がいると、桧垣さんは強調する。

桧垣静男さん:
一番かわいそうなのは女性や子供やろ。ウクライナでも。戦争なくすんやったら、国境をなくさんといかん

なぜ、侵略は繰り返されるのか…。戦争を体験した桧垣さんは最後にこう語った。

桧垣静男さん:
誰でも殺し合いなんかしたくない。でもさせたい人がおる。戦争くらい儲かることはないから。あれだけ物資を消費したら、儲かる人は戦争させたくて仕方ない。グローバル社会、同じ生活者としてなれば、うまいこと行くと思うよ。個々に付き合ったら、ええ人よ。中国人でも朝鮮人でも。でも戦争になったら(攻める側、攻められる側)両方ともつらい。戦争は絶対いかん。戦争は絶対するもんじゃない。戦争したい人はおるよ、でも絶対にいかん

(テレビ愛媛)

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