富山県の神通川流域で起きた日本の四大公害病の一つ、「イタイイタイ病」。患者が「イタイ、イタイ」と泣き叫ぶことから名が付いたといわれる。

その資料館が、2022年に開館10周年を迎えた。患者や家族の苦しさを伝える写真の多くは、実は当時18歳の学生が撮ったものだった。初めて富山を訪れてから50年以上、当時、写真を撮影した男性の貴重な証言を取材した。

病の苦しみを伝える貴重な写真

開館10周年を迎えたイタイイタイ病資料館で、5月8日まで行われた「カラーで甦るイタイイタイ病の記憶」。白黒の写真とカラーで復元された写真が並び、当時の様子が鮮明に伝わってくる。

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写真家・林春樹さん:
これも私の写真です

写真家の林春樹さん(72)。イタイイタイ病にまつわる数多くの写真を撮影した。

痛みで苦悶の表情を浮かべる女性。

あぜ道をゆく葬列は、亡くなった女性の患者を火葬場へと運んでいる。

家の敷地内まで水路が引かれた写真は、暮らしが神通川と深く結びついていたことを伺わせる。

都会から来た若者を拒む住民…対策協議会長との出会い

愛知県出身で東京の写真学校に通っていた林さん。18歳の夏、初めて富山を訪れた。公害病で注目されていたイタイイタイ病を撮影するためだった。

写真家・林春樹さん:
水俣病を撮影していた先輩が写真集を出して、自分もそういうものがやりたいと思った。最初は(住民と)話もできず、写真を撮られるのも嫌だと

撮影に苦労したが、ある出会いがその後を大きく変えた。

林さんは撮影中、神通川の河川敷で仲間と寝泊まりしていた。そんな林さんに「川が増水したら危ない」と自宅に招きいれてくれた人がいた。イタイイタイ病対策協議会の初代会長、故・小松義久さんだ。

小松さんは、原因企業の三井金属鉱業を相手取った裁判で住民や被害者団体の先頭に立ち、裁判を「戸籍をかけた闘い」と呼んだ。

写真家・林春樹さん:
小松さんは患者のために力を尽くしていた。必死に取り組んでいた。小松さんのところに泊めてもらって、朝から小松さんについて歩いていた。小松さんについてくる人ならと、おそらく受け入れてもらえたのでは

半ば原告の公式カメラマンとなった林さんは、一審の富山地裁勝訴までの3年間、東京からかけつけ写真を撮り続けた。その間に撮影した写真は3万点以上。うち7000点は患者団体を経て、イタイイタイ病資料館に収められた。

「残しておいてよかった」記憶と教訓を後世に

資料館は2022年に開館10周年を迎えた。資料館を熱望したのは小松義久さんだ。しかし、小松さんは開館を目にすることなく、この世を去った。

協議会の会長に就任した娘の雅子さんが、その思い出を語った。

小松雅子さん:
父が見た未来。ふるさとの環境を取り戻す。二度と公害を起こしてはならないぞと、そのメッセージを送るのではないかと思う

戸籍をかけた裁判の勝訴から50年が過ぎ、当時の厳しさを肌で味わった人たちは少なくなった。それでも林さんは折に触れて富山を訪れ、式典にもその姿があった。

写真家・林春樹さん:
やってよかった。残しておいてよかった

記者:
撮ってよかったではなく、残しておいてよかった?

写真家・林春樹さん:
そちらの方が強い。当時写真を撮っていた人がいなくて、私の写真以外はほとんど残っていない

林さんは寄贈した7000点の写真すべての公開を希望しているが、資料館は写っている人の許諾が得られないとして公開には踏み切っていない。

写真家・林春樹さん:
遺族が「出してもらっては困る」と言うなら仕方ないが、50年も経っているわけだから、しかも公害病と認定されていて、昔言われた業病とか、訳のわからない病気ではないので、もっとオープンにしてもいいのでは

その時代の「記録」を後世に受け継いで活かすことは、次の時代の責任。資料館には、そうした強い思いが込められている。

(富山テレビ)