休場明けの5月場所、中日までに3敗を喫しながらも、後半は白星を重ね巻き返し、優勝を飾った照ノ富士。

横綱としての責務を果たした直後、土俵下の優勝インタビューでは「うーん…やっと終わったなって感じですね」と表情を崩すと、「場所前に、ちょっと焦りもあったので、(稽古やトレーニングを)飛ばし過ぎたのかもしれません」と本音を漏らした。

優勝から一夜明けて行われた会見では、「優勝しなければならない立場で相撲をしていますから、それを成し遂げたという面ではホッとしています」と、胸のうちを語っていた。

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この照ノ富士が自身7度目の優勝を決めた千秋楽の夜、伊勢ヶ濱部屋の兄弟子だった安治川(あじがわ)親方(元関脇・安美錦)に話を聞いた。

すると安治川親方の口からは、二人が交わしていた“ある約束”が語られた。そこには7年前越しで果たされた横綱の想いがあった。

「苦しい時期を乗り越えた経験が生きた」優勝

大関陣の不振と共に、横綱も前半で3敗を喫するなど、稀に見る荒れ模様となった今場所の優勝争い。

9日目を終えた時点で、優勝争いのトップに横綱、大関の姿はなく9人による大混戦。1敗差で追う照ノ富士はもう一つも落とせないプレッシャーの中で戦い続けていた。

しかも今年3月の春場所は、右かかとと左ひざを痛めて途中休場したばかり。横綱として初めて経験する休場明けの場所で、一人横綱にかかる精神的重圧は想像以上に重くのしかかっていた。

序盤の不振について、同部屋の親方である安治川親方はこう見ていた。

安治川親方

序盤戦は気持ちと体がうまく馴染んでいませんでした。そこを乗り越えてだんだんかみ合ったときに、本来の横綱の姿に少し近づいてきたかなと思って見ていました。

親方の言葉通り、場所中の取材でも「まだ立合いがしっくりいかない」と横綱自身が語っていた。

それでも9日目以降は立て直し、白星を重ねていく度に本来の相撲が戻ってきた横綱・照ノ富士。13日目を終えた時点でついにトップに並ぶ。

だが星の差ひとつで7人がひしめき合う大混戦。この状況で決して崩れなかった要因はなんだったのだろうか?

安治川親方:
やはり気持ちの面じゃないですかね。苦しい時期を乗り越えてやってきた、その経験が気持ちの面で相撲としっかり向き合えている。相撲を取れる時間を大事にしていますから。やはり様々な経験を積んできた横綱だからこそ、できたのではないかと思っています。

2021年、照ノ富士は大関に昇進

度重なるケガと病気で、大関から一時は序二段まで番付が降下。一度は奈落の底を経験するも、そこから奇跡の復活を果たし、去年ついに横綱に昇進。誰も経験しないような幾多の経験が、照ノ富士の力となり、どんな窮地をも脱する要因になっているのだと親方は見ている。

照ノ富士が誓った約束

さらに、照ノ富士にはもう一つ、今場所決して負けられない理由があった。

場所前の稽古の後、二人が会話した時のことだ。

安治川親方:
私は場所後に断髪式があるんですけど、『しっかり優勝して花を添えますから安心して見ていてください』と言ってくれたので、優勝を信じて疑わなかったですね。

5月29日、安治川親方は現役力士の象徴である髷(まげ)と別れを告げるべく断髪式をひかえている。

2019年の7月に引退を表明したが、このコロナ禍で二度の延期を余儀なくされ、ようやく晴れの舞台を迎えることになったのだ。

親方の断髪式への思いを語る照ノ富士

照ノ富士はこう語る。

「(断髪式は)お相撲さんが最後に花咲かすところですから」

「今までお世話になってきて、大関に上がったばっかりの時も『早く横綱に上がって、土俵入りに参加させてくれよ』と言われていましたので。それは(親方の)現役の時にはできていないので、今回こそは(花を添えたい)という気持ちはありました」

2015年に大関に初昇進した頃を思い出しながら思いを打ち明けた。

ケガと闘い続けたふたり。果たせなかった約束

安治川親方は現役時代、元関脇・安美錦として活躍した人気力士だ。

照ノ富士はその安美錦から、稽古の厳しさでは角界1、2を争う伊勢ケ浜部屋の弟弟子として、稽古場はもちろんのこと、私生活の面でも関取とはなんたるかを教えられてきた。

安美錦の関取在位117場所は魁皇と並び歴代1位タイの記録。

貴乃花をはじめ、現役時代に対戦したすべての横綱から金星を挙げたばかりではなく、あの朝青龍には4回も勝っている業師(わざし)だ。

安治川親方と照ノ富士

そしてこの二人には、相撲人生で大きく重なる部分がある。それがケガとの戦いだ。

安治川親方(当時・安美錦)は、躍進著しい25歳の時、右膝の半月板と前十字靭帯を損傷し、その後はケガと向き合う現役生活を強いられたが、2年後の平成18年11月場所で三役に昇進。ケガと付き合いながら三役を何度も経験する各界の人気力士となった。

さらに現役生活の晩年となった37歳で左アキレス腱(けん)を断裂。長くいた幕内の座を明け渡し十両に陥落し、引退と隣り合わせの土俵生活だった。そこでも不屈の精神を発揮し、39歳で再入幕。その場所、8勝7敗で勝ち越して敢闘賞を受賞した。

一方この間に、照ノ富士は膝のケガで大関から陥落し、内臓疾患も重なり、序二段まで転落。苦渋の時代を味わった。

そして2019年7月に安治川親方が40歳の時に現役を引退。この時、照ノ富士はケガから復帰3場所目で東幕下五十九枚目。

約束の土俵入りを叶える術はもはや無くなったが、地道な稽古と治療を積み重ね、新たな目標に向かって歩き出していた頃のことだった。

こうした出来事が、初めて大関に上がったばかりの頃に『早く横綱になって一緒に土俵入りさせてくれ』と言われた照ノ富士の記憶。そして「約束を果たせていなかったので、今回こそはという気持ちがありました」という言葉につながっている。

あらためて、照ノ富士に聞いてみた。

――安治川親方はどんな存在ですか?
部屋に移って来てからずっと声をかけて頂いたり、ケガもしている中で、ケガとの付き合い方も学ばせて頂きました。尊敬する先輩の一人です。

長く苦楽を共にしてきた親方の晴れ舞台のために、そんな強い思いが優勝へと導いたのかもしれない。

優勝を決めた後、照ノ富士の表情

二桁優勝への誓いと横綱としての矜持

自身7度目の優勝を果たした今、あらためてケガや休場などに見舞われたこの数カ月について尋ねると、横綱・照ノ富士からはこんな言葉が返って来た。

「苦しいことを苦しいと思ってしまえば、ずっとそのままなので、苦しいと思わないことを心掛けているので、自分の中では、復活という気持ちはないです」

この言葉が、安治川親方の引退会見での言葉と重なって聞こえるのは気のせいだろうか。

安治川親方は、2019年7月の引退会見で、自らを苦しめたケガについて聞かれるとこう語っている。

「戦ったというより、ケガは一緒にここまでやって来た仲間。ここまで相撲と向き合うことが出来たのはケガのおかげ。ケガに感謝しています」

苦楽のすべて受け入れて、前へと進む。脈々と受け継がれる精神が、そこにはあるように見える。

御嶽海を寄り切り優勝を決めた

自身7度目の優勝を果たし、相撲人生の目標として公言した“二桁優勝”を視界に捉えた照ノ富士。積み重ねてきた経験と、親方との絆を糧に、必ずやその目標を成し遂げて行くだろう。

「二桁優勝を目指して、目標を大きく立ててやらないとモチベーションが上がらないですし、今まで一年一年目標を立ててやって来ていますから、近づくことは出来たんじゃないでしょうか」(照ノ富士)

安治川親方:
二桁と言わずに、毎場所優勝していけば自然とそうなるわけだし、毎場所、毎場所優勝していくつもりで本人はやっていますから、サポートできればいいなと思っています。

淡々とした表情で言葉少なに語る、揺るぎない矜持。横綱・照ノ富士のこの覚悟を、上回る力士はいつ登場するのだろうか。

(協力:横野レイコ、髙木健太郎、山嵜哲矢、文:吉村忠史)

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