5月30日の「ごみゼロの日」。フジテレビのアナウンサー7名が、清掃活動を行い、大量のペットボトルを拾った。2ヶ月前まで暮らしていたドイツでは考えられないことだ。なぜなら「ペットボトル=お金」だからだ。お金を好んで捨てる人など、勿論いない。
ドイツでポイ捨てしないワケ

私は、2017年からの5年間、主人の転勤に伴いドイツで暮らしていた。ペットボトルのポイ捨ては、街中では見られなかった。それは、ペットボトルのデポジット(預り金)制度のおかげだろう。

ドイツでは、ペットボトル飲料を購入する際に、あらかじめ預り金の25セント(約35円)が課金される。500mLの飲料水が約170円と、日本よりも割高に感じるのは、その課金のせいだ。そして、飲み終わったペットボトルは、スーパーなどに設置された自動返却機に投入する。

すると、課金されていた25セントが返金される仕組みだ。ドイツでポイ捨てするということは、同時に25セントも捨てることになる。
「ペットボトル=お金」良心に頼らないリサイクル
日本では、自動販売機の横のリサイクルボックスなどで回収したり、各自治体が、資源ごみの日にペットボトルを回収したりする。

私の自宅前の回収コンテナには、ラベルが外され、キレイに洗浄されたペットボトルが、整然と並べられている。返金されるわけでもないのに、良心だけで、こんなにもゴミが”美しい状態”で置かれることは、ドイツでは、まず考えられない。5年ぶりに帰国し、日本人の素晴らしさを再認識した。

一方で、お台場には飲みかけのペットボトルなど、美しくないゴミも散乱していた。特に植え込みや、海辺の岩場など、人目の付きにくいところに、隠すようにポイ捨てされていた。人の目がないと、良心は薄れ、リサイクルに対する意識も低下するのかもしれない。

ドイツでは良心には頼らない。ただ単純に、リサイクルをしないと、自分が損をするのだ。「ペットボトル=お金」という分かりやすい動機で、だれもが進んでリサイクルする。
きっかけなんて、なんでもいい

きっかけは「25セントがもったいない」だったかもしれない。飲み終わったペットボトルは必ずスーパーに返却する。それを見て育った子供たちにとっては、ペットボトルのリサイクルが自然と習慣になる。そして現に、私の息子たち(7歳、9歳)も、5年間のドイツ生活を経て、「ペットボトル=ゴミ」という発想を、全く持たなくなった。
「ごみゼロ」の理想像

5月30日「ごみゼロの日」。私たちアナウンサーもお台場の清掃活動の一環として、ゴミ拾いに参加した。お台場海浜公園を中心に、わずか45分で、70リットルのゴミ袋9個分のゴミを回収した。キレイになった街。しかし、本当の意味での「ごみゼロ」は、拾うゴミ自体が「ゼロ」になることなのかもしれない。