フィンランドは、豊かな自然に恵まれた北欧の国だ。高レベルの福祉政策が評価され、国連が発表した世界幸福度ランキングでは5年連続で2022年も1位(日本は54位)となった。

そんな「世界で最も幸せな国」は、別の側面を持つ。国土の東部はウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアと約1300キロにわたり国境を接している。1939年には旧ソ連軍がフィンランドに侵攻。「冬戦争」と呼ばれる壮絶な戦いを経て、結果的には国土の一部を旧ソ連に占領された歴史がある。市民に話を聞くと「現代のウクライナで起きていることは冬戦争を戦った我々にとって他人事ではない」と話す。

旧ソ連軍と戦った「冬戦争」(フィンランド国防軍 SA-KUVA)
旧ソ連軍と戦った「冬戦争」(フィンランド国防軍 SA-KUVA)
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静まりかえったフィンランド・ロシア国境

首都ヘルシンキから車で2時間半弱。ロシアとの国境の街イマトラへ向かった。現在はロシアとの往来が原則禁止され、これまで賑わっていた国境は不気味に静まりかえっていた。警備兵に話を聞くと、かつては1日3000台の車の往来があったが、今は特別な許可を得た車が10台ほど行き来しているだけで、我々が取材中は1台も見かけることはなかった。

 フィンランド・ロシア国境 イマトラからロシア側を臨む
 フィンランド・ロシア国境 イマトラからロシア側を臨む

これまで両国の交流は盛んだった。ロシア人は、国内では手に入らない良質の化粧品や薬などをイマトラ市内に買いに来ていた。フィンランド人は逆に物価の安いロシアで日用品を購入し、美容院などに通っていたという。

イマトラ市内の薬局を訪れるとガラガラだった。薬局のスタッフは「コロナも終わりロシア人観光客が戻ると思ったら戦争が始まった。本音では観光客にもどってきてほしい」と話す。

かつてはロシア人でにぎわった薬局も客足は少ない
かつてはロシア人でにぎわった薬局も客足は少ない

“素肌ジャケット”も話題に 世界が注目するマリン首相の素顔

両国は約1300キロの国境で複雑な結びつきを見せていた。そのためフィンランドは戦後70年以上にわたり軍事的中立を保ち、ロシアと西側の間で絶妙なバランスをとってきた。しかしフィンランドは大きく方向転換し、NATO(北大西洋条約機構)に加盟申請すると正式表明した。70年以上の中立を変える歴史的決断を主導したのは、36才の若きリーダー、サンナ・マリン首相だ。

NATO加盟申請正式表明の前日、マリン首相は自身が率いる与党・社会民主党の評議会に白いシャツに黒いパンツというシンプルな装いで現れた。同僚と笑顔で話しているが、その眼差しには強い意志が感じられた。

与党評議会に出席したマリン首相(5月14日)
与党評議会に出席したマリン首相(5月14日)

マリン首相は、幼い頃に両親が離婚し、フィンランド第2の都市タンペレ近郊で母親とその女性パートナーとに育てられ、高校と大学を卒業した。ファッション誌「VOGUE」の取材に本人が話したところによれば、家庭は富裕層ではなく、家族の中で初めて大学を卒業したのがマリン首相だったという。自分自身の生い立ちが、フィンランドの優れた福祉や教育政策のよい例だと話している。在学中に環境問題に触れ、それが政治の道を志すきっかけとなったという。「年上の世代が、気候変動がいかに重要な問題が気づいていないことにいらだった」と話す。

そして2012年にタンペレ市議会議員に選出、翌年には市議会議長に選ばれる。そこで議会運営の手腕などから注目を集める。2017年当時、社会民主党の議員の平均年齢が60才以上と高齢化し、その政治手腕のみならず若さと颯爽とした姿に注目が集まる中、2019年12月に第46代のフィンランド首相に就任した。

米タイム誌「次の100人」に選ばれ表紙を飾った(マリン首相のインスタグラムより)
米タイム誌「次の100人」に選ばれ表紙を飾った(マリン首相のインスタグラムより)

世界中のメディアの注目を集め、ニュースのみならず各国のファッション誌なども度々特集を組んだ。フィンランドの雑誌「トレンディ」2020年10月号では、素肌にジャケットをまとった首相の写真が掲載され「首相としてふさわしくないのでは」などの批判もおきた。しかしSNS上では、マリン首相と同様の格好をした写真で「素肌に上着でも業務上何の差し支えもない」などとマリン首相をサポートする投稿が続出した。

物議を醸した“素肌ジャケット”姿のマリン首相(雑誌「トレンディ」インスタグラムより)
物議を醸した“素肌ジャケット”姿のマリン首相(雑誌「トレンディ」インスタグラムより)

「ロシアの軍事侵攻が全てを変えた」NATO加盟を決断

そして、2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まって以後は、マリン首相の発言が国際ニュースの大きな焦点となってきた。4月にはスウェーデンのアンデション首相と会談、並んで記者会見を行い、NATO加盟への意欲を表明した。

実はフィンランドでは、NATO加盟への支持はこれまで20~30%台と過半数に遠く届かなかった。しかし2022年1月の新年演説で、マリン首相はすでにNATO加盟はフィンランドの安全保障を強化するオプションだと強調していた。そして2月にはロシアの軍事侵攻が始まり、NATO加盟を支持する国民の数は急激に増え、5月に入り76%を超えた。5月15日、マリン首相はニーニスト大統領と記者会見を行い、NATO加盟申請を正式に表明した。

ニーニスト大統領(右)との記者会見(5月15日)
ニーニスト大統領(右)との記者会見(5月15日)

マリン首相は「ロシアが攻撃を開始し全てが変わった。我々のみではロシアの横にいる限り平和な未来がありえるとは思えない」と危機意識を強調。加盟によりロシアによる核の脅威にも対抗できるとの考えを示した。スウェーデンも同時期に加盟申請を決定。両国の加盟が承認されればバルト海はロシアをのぞきNATO各国で囲まれる形になる。ロシアはこれに反発し、対抗措置を辞さない構えを見せている。

NATO加盟申請を正式表明(5月15日)
NATO加盟申請を正式表明(5月15日)

その前日の記者会見で、私はマリン首相にNATO加盟によりロシアがより攻撃的になることへの懸念はないか質問した。マリン首相は「ウクライナで起きていることを絶対にフィンランドで起こしてはならない」と強い決意を口にした。その上で「サイバー攻撃などあらゆる攻撃に準備が出来ている」と答えた。

会見で筆者の質問に答えるマリン首相
会見で筆者の質問に答えるマリン首相

5月18日には、スウェーデンと共に正式にNATOへの加盟を申請した。承認されればフィンランドとロシアを分ける約1300キロの国境は、NATO各国とロシアの対立の最前線になる。国境周辺で訓練をしていた予備役は「いつでも戦う準備がある」と答えた。若きリーダーのもと、フィランドと北欧の安全保障体制は戦後最大の転換点を迎えている。

【執筆:FNNロンドン支局長 立石修】

立石修
立石修

テレビ局に務める私たちは「視聴者」という言葉をよく使います。告白しますが僕はこの言葉が好きではありません。
視聴者という人間は存在しないからです。僭越ですが、読んでくれる、見てくれる人の心と知的好奇心のどこかを刺激する、そんなコンテンツ作りを目指します。
フジテレビ取材センター室長、フジテレビ系列「イット!」コーナーキャスター。
鹿児島県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。
政治部、社会部などで記者を務めた後、報道番組制作にあたる。
その後、海外特派員として欧州に赴任。ロシアによるクリミア編入、ウクライナ戦争などを現地取材。