このほど店を閉じた「駅前」の衣料品店。店の歴史は100年以上。「何でもそろう」と重宝されてきたが、主が引退を決意した。閉店の日まで、惜別と感謝のセールが続いた。
感謝いっぱいの閉店
この記事の画像(18枚)かしわや・輿正清社長:
その隣、どう?
客:
綿みたいじゃん
かしわや・輿正清社長:
インド綿だよ
「お値打ち品」を巡って、話が弾む店主と客。
こちらは、長野・松本市のアルピコ交通上高地線・新村駅前に建つ衣料品店「かしわや」だ。
最大7割引きの閉店セール。客と会話しながらの営業もあとわずかだ。社長の輿正清さん(70)。100年以上続いた店の歴史に幕を下ろす決心をした。
かしわや・輿正清社長:
本当に感謝感謝いっぱいで、感謝しかない。『やめないでくれ』ってことを聞かされたり、お客さんが心にとめてくれていたのかと、心にうんと温かいものを感じる閉店
近所の住民:
場所もよかったしね、とても残念で
近所の住民:
やっぱり新村のかしわやっていえば名店ですから。それなりに寂しさがありますよね
かしわや・輿正清社長:
こっち着てみたら?
常連客:
これは、ゆったりしてる
かしわや・輿正清社長:
9800円だから、(7割引して)2900いくら…
常連客:
もらったようなもんだね。とってもいいです。これに決めます
こちらの女性は、社長が幼い頃から利用していて、学生時代はアルバイトもしていたと言う。
常連客:
何でもあったから便利。でも、なくなっちゃうと寂しいですね。年寄りだから(買い物に)困ります
「馬の角以外は何でもそろう」とも言われ…
店は輿社長の曽祖父が、遅くとも明治40(1907)年には営業していて、野麦街道沿いで日用品を扱っていた。
4代目の輿社長が生まれた頃、今の駅前へ。昭和の終わりから平成の初め頃が、にぎわいのピークだったと言う。
かしわや・輿正清社長:
かしわや行けば『何でもそろう』『馬の角以外は何でもそろう』とお客さんが言ってくださって。忙しかった頃は、うちの小学生や中学生の子どもまで使った。レジも列をなして、朝8時から夜8時までやっていました
大型店の進出に、インターネット販売。環境は大きく変わったが、店は地域との「つながり」を大切にしてきた。
それを象徴しているのが「学生衣料」だ。
店は長く「学生衣料」を扱ってきた。周辺地域の小中学校の制服や運動着は、ここでしか買えない。
妻・紀子さん:
松本の市街地まで行くっていうのは大変だから。カレー付けてエプロン汚しちゃって、明日使いたいっていう場合も、ここなら近いから。地元の学校関係だけは、地元で買えるような形はとっておきたいなと思って
子どもたちや保護者のことを考え、学生衣料だけは店舗を後利用する事業所に販売を託すことにした。
これまでは働きづめ…余生をゆっくり
社長が閉店を考えるようになったのは数年前から。働きづめで腰や膝を痛めていた。
かしわや・輿正清社長:
うちは週1、火曜しか休みがないから。その時も仕入れがあったり、人の倍以上、働いてるんじゃないかという自負があります。体も言うことを聞かないし、なるべくならゆっくり過ごしたいと思います、余生を
閉店を惜しむのは、客だけではない。共に歩んできた個人商店の仲間も…
和服の洗い張り専門店を営む高橋登志男さんは、先代からの付き合いだ。
高砂美絹糸院・高橋登志男さん:
長いお付き合いで面白い社長さんで、何とも言えない気持ちです…
この日、高橋さんが届けたのは、落語家の手ぬぐいをつないで仕立てた浴衣。輿社長が客から頼まれていた特注品だ。
かしわや・輿正清社長:
いざ困って高橋さんに頼んだら引き受けていただいて、お得意さんにも顔が立つ。なかなか、こんな仕立てをしてくれる人はいないんです。お客さん通じてうまく商売できるのも、高橋さんみたいな人たちがいるから、われわれ、なんとか生きのびてこれたの、今まで
高砂美絹糸院・高橋登志男さん:
(閉店は)寂しいとしか言いようがないですね。コロナ禍から世の中の動きが変わってきてしまったから、しょうがないのかな…。いろいろ思いはあります
かしわや・輿正清社長:
よかった、(閉店に)間に合って。どうもありがとうございました
常連客:
元気でやって、また遊びにいくから
かしわや・輿正清社長:
はい、出かけてください
客や地域を思い、走り続けてきた輿社長。寂しさはあるが、役割は全うできたと感じていて、閉店に後悔はない。4月10日が最後の営業日だ。
かしわや・輿正清社長:
昔は人情で、いろんなつながりがあって、そのつながりを大事にして商売をやってきた。今はそうじゃない、そういう時代じゃなくなっちゃった。今、ここら辺で手を引くのがあってるんじゃないかと、一番の潮時、そう感じます
客:
お世話さま
かしわや・輿正清社長:
どうもありがとうございました
(長野放送)