日本の漫画界をリードしてきた“巨匠”がまた一人旅立った。

「忍者ハットリくん」「怪物くん」など数々の人気作品を手がけた、藤子不二雄Aさん、本名・安孫子素雄さんが4月7日、自宅で亡くなったことがわかった。88歳だった。

藤子不二雄Aさん(2008年)「僕らは、手塚先生の漫画を読んで漫画家を目指そうってきたわけです」

「漫画界のレジェンド」手塚治虫さんから影響を受け、漫画家への道を志した藤子さん。

1934年、富山県で生まれ、 1951年、高校生の時に漫画家デビューを果たした。

その後、小学時代の同級生「藤子・F・不二雄さん」 とともに 1954年に上京。

藤子不二雄の共同ペンネームで大ヒット作品「オバケのQ太郎」を世に送り出した。

藤子不二雄Aさん「僕は、藤本氏(藤子・ F・不二雄氏)に出会わなかったら、絶対に漫画家になってなかったですし。2人が出会ったことが、ボクらにとっては運命の出会いで、それが自分の人生を決めたと思うんですね」

ただ藤子不二雄Aさんは、少年向けの作品を書き続けることに“葛藤”があったことを明かしている。

藤子不二雄Aさん(2018年)「27~8歳になると、まだ忍者ハットリくんとか描いてたんですけど、だんだんそういうものを描くのが苦痛になってきたんですよ。このままいくと、僕は、藤本氏(藤子・F・不二雄氏)のマネジャーになるしかないかなって悩んだ時期があったんですけど。描いたのが『笑ゥせぇるすまん』の前身の『黒イせぇるすまん』 っていうのを描いて、あっ、この方向なら俺はいけるなと思ってガラッと(作品が)変わったんですよ」

こうして誕生したのが、大人も楽しめる、ブラックユーモアたっぷりの作品、「笑ゥせぇるすまん」だった。

ふるさとの富山・高岡市には、“おなじみ”のポーズをとる喪黒福造のキャラクター像が立っています。

その他、街のあちらこちらに、ハットリくんなどの人気キャラクターがたたずんでいる。

藤子さんの地元・高岡市の住民「面白い部分もあるし、人間の心理をついた部分も描いたりするので、裏表がはっきりしているものもありましたね。マンガを読んでたら」

テレビアニメや映画を通じて、世代をこえて愛され続けている藤子さんの作品。

ファンは「ショック。まんが道という漫画で、トキワ荘の物語を描いた漫画なんですけども、良い作品を作ってくれて、ありがとうと言いたいです」

マンガ文化のど真ん中を歩み続けた88年。
そのバトンを次の世代に託し、藤子さんは旅立った。

藤子不二雄Aさん「僕なんか、もはやリタイア寸前なんですけれども、若い漫画家の方がすごい力をもってきてるんで、これからも、ますます50年60年70年100年と(漫画が)続くと思います」