2月12日 男子500スピードスケート男子500mで、銅メダルに輝いた森重航選手。めざまし8は森重選手の家族を取材。ニューヒーロー誕生の裏に、“亡き母の支え”と胸に秘めた“最後の約束”がありました。

「自分でやるっていったことは最後まで」母からの教え

森重選手が生まれ育ったのは、北海道の別海町。人口約1万4500人に対し、牛が約12万頭と酪農が盛んなのどかな町です。メダル獲得の前日に取材に応じてくれたのは兄・秀之さん。酪農家の父を持ち、牧場で育ったという森重選手は8人兄弟の末っ子です。

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森重航選手の兄・秀之さん:
上に7人もいたら、みんなできて当たり前という世界の中で、自分はなんでできないんだろうって、そういう劣等感がすごいあったんですよね。そのなかで航の性格が前向きなんで、やってやろうっていうので、それで今があると思うんですよね。

森重選手が本格的にスケートを始めたのは小学校2年生のとき。
しかし、始めた当初は…

少年時代の森重選手を指導 別海町スケート協会会長 楠瀬功さん:
(森重選手が)車の中で泣いているんですよ。それで「どうしたの」っていったら、お母さんが、「ぐずって降りれんのですよ」って言ってたので

練習が嫌で泣き言をはくことも。そして、毎日のように送り迎えをしていた母・俊恵さんは。

少年時代の森重選手を指導 別海町スケート協会会長 楠瀬功さん: 
「お前が自分でやるっていったことは、最後までやりなさい」という指導があった

この母の言葉に奮い立った森重選手。めきめきと頭角を現し、中学3年生の時、全国大会で優勝。一躍、その名を轟かせます。その後、親元を離れ名門・山形中央高に進学。
しかし、その裏で…

森重選手の父 森重誠さん:
今から12年ぐらい前に乳がんが見つかって全摘手術はしたけど、一応それで完治するかなとは思っていたんで、それ以降 病院で検診を受けながらいたんだけども、再発してしまって…

母・俊恵さんのがんが再発。最初にがんを発症したころ森重選手に宛てた、俊恵さんのメッセージが残されていました。

亡くなる4日前に…「航、スケート頑張れ」

森重航選手の母・俊恵さん:(メッセージ)
今年のシーズンは、始まると同時に病気の発覚・入院・手術と一時はスケート続けられないんじゃ、と思った日もありました。そんな中、航の力強いレースに随分励まされ、勇気と元気をもらいました。

そして、森重選手19歳の誕生日。病床の俊恵さんは体調が著しく悪化する中、携帯電話で森重選手に、こう声を振り絞りました。

森重選手の父 森重誠さん:
『航がんばれ』って言った言葉で、すごく感情的になった、航がね。それが最後だったのかな。ほとんど2日前から話せないような状況だったんだけど、よく「スケート頑張れ」って言葉が出たなって思うぐらい、不思議なくらいな病状だった

それからわずか4日後、俊恵さんは旅立ちました。
母が残した言葉を胸に、森重選手はその後、急成長を遂げ、覚醒。2021年に初めてナショナルチームに加わると、全日本距離別選手権、ワールドカップ、北京五輪代表選考会でも勝利を収め、メダルを期待する声もあがるようになりました。
そして、戦いの舞台・北京に到着すると…

森重航選手:
(母親の)写真とかも送られてきたので、しっかりといい成績を残せるように、という思いでいます

初出場で銅メダル 「航やったよ。メダル取ったよ」

迎えた12日の本番。遠く離れた北海道では、父や兄弟、そして最愛の母が見守ります。
いざ、勝負のとき。見事、初出場でこの種目、日本勢12年ぶりのメダルとなる銅メダルに輝きました。

森重選手の父 森重誠さん:
うれしいですね、本当に。よくやってくれました。わが息子を褒めてやりたいです。
(Q.レース後、奥様に語りかけたように見えたんですが、どんなことを語りかけていた?)
『航やったよ。メダル取ったよ』って言いました

森重航選手:
地元でたくさん応援頂いていたので、兄弟と親と、すぐに報告したいです。
4年後や8年後にはまた金メダルを目指せるように、また4年間かけてそこを目標にやっていきたいかなと思います

「航、スケート頑張れ」…母からの言葉を胸に、森重選手は走り続けます。

(「めざまし8」 2月14日)