北京2022オリンピック大会が開幕した直後、中国女子テニスの彭帥さん(36)とIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が面会した。中国共産党元最高幹部に性的関係を強要されたと告白した後、約3週間にわたり行方が分からなくなったとされ、その安否と動向が懸念されていた彭帥さん。

IOCは彼女に“支援”の手を差し伸べるとして、バッハ会長とのビデオ通話や北京での面会を通じ、彭帥さんの安全を確認したとしてきた。しかし、彭帥さんへの対応でIOCが行ってきた説明の多くは一貫性と透明性を欠くものだった。

バッハ会長と夕食「話した内容の公開は彭帥さんの裁量で」

IOCによると、バッハ会長と彭帥さんとの夕食会は2022年2月5日に北京市内で行われた。IOC元アスリート委員長のカースティー・コベントリー氏も同席するなか、彭帥さんは東京オリンピックへの出場権を得られず悔しかったと語ったという。また、新型コロナウイルスの流行が収束したらヨーロッパを旅行したいと話すと、バッハ会長がスイス・ローザンヌにあるIOC本部とオリンピック博物館に招待したとされる。

一方でIOCは、動画や肉声はおろか、写真の1枚も公開していない。さらに肝心の性的関係を強要されたとの告白や、彭帥さんの身体的・肉体的状態に関する言及も一切ない。「食事で話した内容の公開については全て彭帥さんの裁量に委ねることで双方が合意した」としているが、彭帥さんが自由に発言することを許されているのか、その点さえも明らかにしないまま、である。

面会を伝えるIOCの声明には五輪旗の写真のみ
面会を伝えるIOCの声明には五輪旗の写真のみ
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IOC楽観コメントに批判の声

彭帥さんの問題が明るみに出たのは2021年11月。最初に声明を出したのはWTA(女子テニス協会)だった。「WTAは性的関係の強要について、中国の元幹部に対して完全かつ公正で透明性のある調査を行うよう求める」との内容だった。

プロテニス選手だった彭帥さんが所属するWTAが中国に対して厳しい態度で臨むのは当然のことだった。すると今度はそれまでの沈黙を破ってIOCが11月17日、メディアの問い合わせに答える形で彭帥選手に関するコメントを発表した。

「私たちは最新の報告を見て、彼女が無事だと確認できたことを心強く思う」(11月17日)

最新の報告とはどんなもので、何をもって彼女の無事を確認したのか、IOCは具体的な根拠は一切示していない。北京オリンピックを前に問題の沈静化を図ったのではないかと思われても仕方がない内容だった。

これにすぐさま反応したのが国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチで、「中国政府の方針に沿うコメント」だとしてIOCを強く非難した。メディアからもIOCの姿勢に疑問の声が上がった。我々が改めてIOCにコメントを求めると11月19日には次の回答が返ってきた。

「これまでの経験から問題の性質上、静かな外交こそが問題を解決するための最善の手段です。IOCが現段階でこれ以上コメントしないのはそのためだ。」(11月19日)

批判の高まりを受けて軌道修正を図ったのか、「静かな外交」の重要性を強調し、彭帥さんの無事を確認したとする2日前のコメントとはややトーンが変わっていた。

バッハ会長 ビデオ通話で「安全で元気なことを明確に確認」

この頃、彭帥さんの周囲では事態が慌ただしく動いていた。中国共産党系メディアの編集長が、彭帥さんが北京市内のレストランでコーチや友人と夕食を共にしたとする動画やテニスイベントに出席しているとされる動画を投稿し、彼女の無事をアピールした。

この動画についてWTAは「自由で自ら判断し行動できているのかは不明のままだ」とのコメントを発表している。

テニスイベントに参加したとする彭帥さん(ツイッターより)
テニスイベントに参加したとする彭帥さん(ツイッターより)

一方のIOCは11月21日に突然、バッハ会長と彭帥さんがビデオ通話を行ったと発表した。「静かな外交」を宣言してからわずか2日後。約30分間の通話の中で彭帥さんは、北京の自宅で安全に元気で暮らしていて、自身のプライバシーを尊重してほしいと語ったという。このとき、バッハ会長とは北京五輪の際に食事を共にすることも約束された。通話に同席したIOCアスリート委員長のエマ・テルホ氏のコメントが添えられている。

「私たちの最大の懸念でしたが、彭帥選手が元気でいるのを見て安心した。彼女はリラックスしているように見えた」(11月21日)

最大の懸念だった彭帥さんの安否が、ビデオ画面を通じて確認でき「安心した」としているが、公開されたのは1枚の写真だけで、動画も肉声もない。バッハ会長のコメントもない。画面の向こうで彭帥さんがどのような状況に置かれているのかについての説明もなく、 “透明性“を標榜するIOCの発表にしては、あまりに唐突で内容の希薄なものだった。

公開されたのは1枚の写真のみ
公開されたのは1枚の写真のみ

なぜ彭帥さんが安心安全に暮らしていると言い切れるのか、改めてIOCに問い合わせると、翌日すぐに回答が来た。

「電話の目的は彼女の安否を確認することで、会話の中で彼女が安全で元気でいることが非常に明確に確認できた。彼女が必要と考える時にはいつでもIOCに連絡できることをはっきりさせ、IOCも中国オリンピック委員会と継続して連絡を取っていく。」(12月1日)

会話を通して彼女が安全で元気であることを「非常に明確に確認できた」と強調した。一方で、引っ掛かるのはIOCが「中国オリンピック委員会と継続して連絡を取る」としている点だ。IOCのカウンターパートが各国のオリンピック委員会であることは言うまでもない。

しかし、この問題に限って言えば、中国共産党と表裏一体の関係にある中国オリンピック委員会と継続して連絡を取ることは、むしろ共産党の意に沿う対応を取っていくと宣言しているようにしか思えなかった。IOCは誰の利益を優先しているのだろうか。

初めて明らかにした「懸念の共有」と「脆弱な状態」

彼女の安全を「非常に明確に確認できた」と我々に回答してきた翌日、IOCは彭帥さんとの2回目のビデオ通話を行ったと発表した。

「私たちは多くの人々や団体組織が彭帥さんに抱いている懸念を共有している。だからIOCは昨日、再び彭帥さんとビデオ通話を行った。」(12月2日)

WTAや複数のテニス選手などが彭帥さんの安否に懸念を表明するなか、彼女の安全を明確に確認していたはずのIOCが、その懸念を共有したのだ。

さらに12月7日に行われたIOC理事会後の記者会見では、IOCのサマランチ・ジュニア調整委員長が事態を重く見ていることを明かした。

「今は彼女の安否に集中すべき時で私たちが行っていることを公にする時ではない」
「彼女は今、人生の難しい時を迎えている」(12月7日)

12月8日と9日の会見にはバッハ会長が出席し、彭帥さんに関する質問が集中した。その中でなぜIOCはテニス関係者を仲介人として立ち会わせないのか?との質問に、普段は落ち着いた口調で話すバッハ会長が珍しく声を荒らげた。

「なぜ皆さんは彭帥さんを尊重し、何を優先して行うべきかを彼女に決めさせないのか」(12月8日)

彼女が自分の意思で自由に決められるならそれは当然尊重されるべきだが、果たしてそうなのか。さらになぜ疑念を払拭するための説明を行わないのか?との質問には次のように答えた。

「疑念を抱くことは簡単だが、疑念はあらゆることに対して抱くことができる」(12月8日)

「彼女は今、人生の難しい時を迎えている」(IOCサマランチ・ジュニア氏)
「彼女は今、人生の難しい時を迎えている」(IOCサマランチ・ジュニア氏)

あたかも周囲が悪意をもって疑念を抱いているかのような口ぶりだ。核心を突く質問が続く。彼女が安全ならなぜIOCは彼女を支援するのか?

「なぜなら彼女は明らかに脆弱な状態にあるからだ。彼女の主張をみて、このような状況に直面している人の気持ちになって考えると、人間として放置できるものではないと容易に想像できるでしょう。だから私たちは支援の手を差し伸べているのだ」(12月9日)

彭帥さんは自由で安全に暮らせているのか。IOCの見解を聞いている限り、真相は不透明になるばかりだった。

オリンピック開幕、そして面会

北京オリンピックの開幕前日、バッハ会長が会見した。注目される彭帥さんとの面会については次のように述べた。

「直接話すことで基本的人権や身体的安全が保証されているかを確認するのが当初からの目的だった。だから初回に話したときから直接会うことを提案してきた」(2月3日)

ビデオ通話を通じて彼女の安全を確認し「安心した」とまで発表していたIOCは、彼女の置かれている状態を十分に把握できていなかったことを自ら露呈したのだ。

そして北京オリンピック開幕翌日の2月5日に実現したバッハ会長と彭帥さんの夕食会に話は戻る。IOCは結局、性的関係の強要に関することはおろか、彭帥さんの身体的・精神的状態についても言及を避けたのだ。

「私は一度も性的関係を強要されたとは言っていない」

IOCが彭帥さんとの面会について発表したのと同じ2月7日、フランスメディアが彭帥さんのインタビュー記事を掲載した。この中で彼女は性的関係を強要されたとするSNSへの投稿については「多くの誤解があり、内容をこれ以上ねじ曲げてほしくない」と訴えた。

さらに「私は一度も誰かに性的関係を強要されたとは言っていない」「私は一度も行方が分からなくなっていない」などと一連の疑惑を否定した。取材には中国オリンピック委員会の幹部が立ち会い、彭帥さんの受け答えは全て中国語で行われたという。

北京オリンピックの競技会場を訪れる彭帥さん
北京オリンピックの競技会場を訪れる彭帥さん

記事が公開されたあと、北京で行われた記者会見。フランスメディアの取材に彭帥さんは強要されず自由な意思で答えたのか、との質問に対してIOCのマーク・アダムス広報部長は次のように答えた。

「IOCはスポーツ組織であり、彼女が置かれている状況を判断する立場にない」(2月7日)

彼女の置かれている状況こそが、IOCとしての最大の関心事であり、面会も当初からその目的で計画されていたはずではなかったのか。一貫性のなさを象徴する発言だった。

IOCバッハ会長と中国・習近平国家主席
IOCバッハ会長と中国・習近平国家主席

バッハ会長と中国の密接な関係

新疆ウイグル地区での人権弾圧や香港の民主活動家に対する封じ込めなど様々な人権侵害が指摘されるなか開幕した2022北京オリンピック。IOCバッハ会長と中国政府の密接な関係が際立つ。東京オリンピックを前に、選手や関係者に対して「新型コロナウイルスのワクチンを提供する」といち早く申し出たのは中国オリンピック委員会だった。

バッハ会長は史上初めて夏冬のオリンピックを開催する北京を称賛する。「スポーツの歴史に新たな章を刻む。世界のウィンタースポーツの新しい時代の幕開けになる」と。一方、人権弾圧問題について問われれば「政治的問題には介入しない」と口をつぐむ。北京市中心部の公園にはバッハ会長の胸像も建てられた。

バッハ会長の胸像
バッハ会長の胸像

参加するアスリートのためにも、大会の成功を願う。しかしその輝かしい成功が人権侵害の上に成り立っているとすれば、その現実から目を背けることは決して許されない。

【執筆:FNNパリ支局長 山岸直人】