号泣する高梨さんを見ていられなかった

北京五輪でジャンプの高梨沙羅選手が個人4位に終わった後、「もう私の出る幕ではないのかな」と寂しそうに言っていたので、混合団体で最初に彼女が103mを飛んだ時は嬉しいというよりホッとした。

チームには男子ノーマルヒル金メダルの小林陵侑選手もいたので、「これは金も狙えるか」と期待して観ていたのだが、その後の「高梨失格」の報には驚いた。高梨さんは頭を抱えて泣いていたが、気を取り直して2回目を飛んだ後もまた泣き崩れた。気の毒で見ていられなかった。他の3人のメンバーには「すみません」と謝り続けたという。

しゃがみ込んでしまう高梨沙羅選手
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翌日、高梨さんはInstagramで「皆んなの人生を変えてしまった」「大変なことをしてしまった事深く反省しております」と謝罪した。チームの3人は高梨さんのことをいたわっていた。彼女を責める人はいないだろう。ではなぜここまで謝らねばならないのか。僕らは気軽に「がんばれニッポン!」と応援しているが、もしかしたら選手ではなく日本という国家を応援しているのかもしれない。選手はその国家を背負って戦っている。

フィギュア混合団体もまた見ているのが辛かった。日本が3位で迎えた最後の「女子フリー」は坂本花織選手。彼女がジャンプで尻もちをついたらチーム全員のメダルを失うのだ。こんなプレッシャーを21歳の若者にかけてもいいのか。だが僕の心配をよそに坂本さんはのびのびと滑り、ほぼノーミスで日本に銅メダルをもたらした。混合団体はフィギュアとジャンプで明暗を分けた。

混合団体で女子フリーに出場した坂本花織選手

混合団体競技についてテレビ中継では出演者が「チームワーク」「仲間の思いやり」などという言葉をしきりに使っていたが、選手にかかるプレッシャーは個人競技よりむしろ大きいのではないか。

小林秀雄に学ぶ五輪の楽しみ方

批評家の小林秀雄は五輪の種目では団体より個人競技を観る方が好きだったという。ベルリン五輪を見た「オリンピア」(小林秀雄全作品13歴史と文学。新潮社)の中で小林は、砲丸投げの選手が「右手に握った鉄の丸をしきりに首根っこに擦りつけている」のを見ながら「彼は苦しい状態から今に解放されるのだ。(中略)彼はただ待っている、心が本当に虚しくなる瞬間を、精神が全く肉体と化する瞬間を」と楽しんでいる。

古代五輪は神々に捧げる祭典競技だったが現代では捧げる相手は神ではなく国家になってしまったように思う。今のアスリートたちは心を虚しくしたり、精神を肉体に同化させたりする前に、国家という大きな存在に押しつぶされそうになってはいないか。

国家と言えば、北京五輪で国家を最も意識したのはウイグル族の選手が最終聖火ランナーを務めたことだ。NHKの中継ではアナウンサーが「クロスカントリーのイラムジャン選手です」と伝えただけだった。ネットではウイグル族であるとの指摘がされたがNHKは最後まで触れなかった。

開会式はボイコットすべきだった

これは明らかに民主主義社会への挑戦である。中国の新疆ウイグル自治区における人権抑圧に欧米や日本などが抗議し、事実上の外交ボイコットをしているのに、習近平は何事もなかったかのように聖火最終走者にウイグル族の選手を起用した。これは中国が僕たちに「お前ら黙れ」と言っているということだ。

聖火ランナーを務めたウイグル族の選手ら

しかし翌朝の日本の新聞各紙の表現は、読売「民族融和を演出」朝日「批判かわす狙い」産経「国際社会からの批判を抑え」といずれも中国に遠慮がちだった。ちゃんとした批判は橋下徹元大阪府知事がフジテレビの「日曜報道」で「これはやり過ぎ」「このイベントは(開会式)おかしい」と指摘していたくらいだ。

IOCもメディアも、そして他の国々も中国の傍若無人な振る舞いをなかったことのようにしている。確かに中国のような権威主義国家抜きで五輪の存続は無理なのだろう。だから1980年のモスクワ五輪ボイコットのようなことはもうできない。だがせめてあの醜悪な開会式に選手を参加させてはいけなかった。民主主義国家は開会式だけはボイコットすべきだった。なぜならアスリートは国家のためではなく自らの肉体と精神のために戦っているからだ。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】

平井文夫
平井文夫


フジテレビ報道局上席解説委員。2020年4月から立命館大学客員教授。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。

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