愛知県額田町(現在、岡崎市)の山奥の工房で、福祉用具の発明をしている加藤源重さん。作業事故で右手の指をすべて失った。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が今回、第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第12回(2003年)に大賞を受賞した東海テレビの「とうちゃんはエジソン」を掲載する。

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加藤さんが務める工房は、障害のため生活に不自由さを解消するための補助具を開発したことがきっかけで、多くの人たちのための生活用具を製作。それぞれの障害の事情に合わせたオーダーメイドの用具は、世界でたった一つの発明だ。自身の人生をも変えた発明に込める加藤さんの思いを追った。

(記事内の情報・数字は放送当時のまま掲載しています)

「右手で箸を持ちたい」から始まった発明人生

2支点があれば持てるトンボばし

“とうちゃん”こと、加藤源重さん(当時67歳)の発明は、段差を乗り越えられる車イス、歩行に合わせて動く杖や、障害があっても使える食器、洗濯ばさみなどさまざまだ。中には特許を取得しているものもあるが、利益は追求せず、材料費と光熱費だけの安価で提供している。

加藤さんの最初の発明は、箸を持つ補助具。右手を失ってしまった加藤さんは、左手でも箸を持って食事ができたが、茶碗は持てなかった。

「茶碗を持って食べられる」という当たり前のことができるようになるため、失ってしまった右手で箸を持ちたい。そんな、ささやかな願いから発明人生は始まった。

町の機械工だった加藤さんは、1962年(昭和37年)に妻・信子さんと結婚。製造業を中心に急速に発展した日本では、働けば働くほど豊かになる時代だった。仕事はきつくて危険だが、汗と油でまみれてものを作ることに誇りを持っていた。

しかし56歳のとき、職場で機械の点検中に突然止まっていたローラーが回り出す。血だらけの右手を医者は手首から切り落とそうとしたが、加藤さんは少しでも手のひらを残して欲しいと懇願した。なんとか残ったのは、半分になった手のひらと親指のわずかな付け根だけだった。

日本は“技術大国”だからこそ、右手に補助具を付ければ元の生活ができる。そう信じて、自分専用の補助具は作れるはずだと必死にメーカーに頼むが、どこも相手にしてくれなかった。

しかし右手を使う夢は諦めきれず、補助具を自分で作ることを決めた加藤さんは、右手にハンマーを縛り付け、一人ぼっちで格闘した。

「万能ホルダー」で自由が取り戻せた 

夢が叶ったのは事故から2年後。箸を持つ補助具が完成したことで自信が芽生えた。

これを「万能ホルダー」と名付け、道具をくくり付けられるようにした。あるときは箸を持ち、あるときはハンマー、あるときはのこぎり、あるときは溶接、野良仕事もできるようになった。 

箸だけではなくトンカチも、さらには鍬も持てる

この「万能ホルダー」のうわさは広がり、利き手を失った人たちが工房にやってくるようになった。

偉大なるトーマス・エジソンいわく、「休むことはさび付くこと」。その言葉の通り、加藤さんも休む間はない。

この日も工房に広島からお客さんがやってきた。男性の右手は数年前に自動車工場のプレス機に挟まれすべての指を失った。残った左手で物を掴んだりすることに慣れず、加藤さんを頼ったという。

「諦めてました。ものをつかむことを」と語る男性は、これで自由が取り戻せると期待を膨らませていた。

型紙を使い、オーダーメイドで仕上げる

しかし、加藤さんの製作過程はまるで小学生の工作のようで、紙で作った型紙にスティックのりをつける様子を目にした男性は、不安な表情を見せる。一口に障害と言っても、程度は人それぞれのため、手の形や障害に合わせて作る「万能ホルダー」はすべてオーダーメイドだ。

男性は町の宿に1泊して完成を待った。翌日、夜なべして作った「万能ホルダー」をはめてもらい、感触を確かめる。

包丁を取り付け料理をする真似をしたり、大きな物、小さな物を実際に掴んでみた男性は「人に頼まず、自分でできることが一番」と話し、「釣りをやりたい」と笑顔を見せた。

「万能ホルダー」と付属の部品6点は自由を取り戻すための道具になる。加藤さんは男性から材料費と光熱費だけをもらい、「また何かあれば電話してもらえば」と見送った。

一人のための発明で、お金に変えられないものがある、と加藤さんは考えている。

洗濯ばさみも使いやすく!

加藤さんの発明人生を支えている妻・信子さんは、働きに出ていた。加藤さんの発明は、お金儲けにはならないためだ。妻の代わりに洗濯をする加藤さんだが、片手で洗濯物を干すのはとても大変な作業になる。

「必要は発明の母」とはまさにこのことで、加藤さんは閃いた。普通の洗濯ばさみは手を離すと閉じるのが利点だが、片手ではこれが不便なものになる。

そこで考えたのは、片手で干せる「ホセール」だ。次にできたのは開く大きさを加減できる「ホセール2号」。さらに「ホセール」は進化し続けた。

7号は挟むタイプからひっかけるタイプへ。力学用語で言う“支点”の位置を少し変えただけの8代目はかなりシンプルなものになった。

そんな折、加藤さんは子どもの頃にかかった病気の影響で握力が弱く、洗濯ばさみが上手く握れない女性と出会う。「苦労しています」と話した女性は「ホセール8号」を試してみるが、完璧だったはずの8号を使うことができなかった。 

女性に渡した改善版の洗濯ばさみ

加藤さんはすぐに発想を切り替え、その場で改善していく。テコの原理を応用した改善版を手にした女性は、「すごく楽です」と嬉しそうに使ってみせた。加藤さんは女性のためにすぐに10個の洗濯ばさみを作って手渡した。

最初は自分のためだった発明も、今では周りの人も幸せにしている。けれど、もっと世の中に広まってたくさんの人を幸せにしたいと、思うようになっていた。

男性の夢を叶えるため“三河のエジソン”試行錯誤

ある日、加藤さんのもとに、脳性小児まひで首以外は自分の意思で動かせない男性から仕事の依頼が入った。依頼内容は、会話をするためのキーボードを首の動きだけで押せるようにすること。 

男性が会話に使うキーボード

重度の障害者からの難しい依頼に、悪戦苦闘する加藤さんは工房にこもりっきりになる。加藤さんの原動力はお客さんの笑顔だ。

だからこそ、「これを作ったらどれだけ喜ばれるかと思いながら、また自分の言葉を発するのはどれだけ嬉しいだろうか、そういうことを想像しながら作ってます」と話し、試行錯誤しながら作業を進めていく。

加藤さんは鉄とアルミだけを使い、首の力で機械を縦と横に動かす構想をする。「できるだけ自立したい」という男性の希望に沿おうとしていた。

男性は電動車いすの運転も2年がかりで覚え、平日は両親のもとを離れて施設で生活。部屋の中には好きなさだまさしさんのグッズがたくさんあった。一番好きな曲は「親父の一番長い日」だそう。

男性が母親に、父親に話したいこと、みんなに伝えたいこと、自由に言葉で自分を表現出来たら、どんなに世界が変わるのだろうか。

加藤さんは組んではバラし、組んではバラしを繰り返した。事故で右手を失ったが、代わりに大切なものを手に入れた加藤さん。「困っている人、弱っている人の喜ぶ顔がみたい」という思いが、加藤さんを夢中にさせる。

季節が変わった頃、加藤さんが「完璧」と絶賛する発明が生まれた。工房にやってきた男性の車いすに早速装着。男性のキーボードと発明品が組み合わさって、男性は使い心地を確かめ始めた。

加藤さんと家族が見守る中、発明品を使用して男性はゆっくり一文字ずつ文字を打ち込んでいく。その言葉は「かとうさん、ありがとう」。

初めて自分の思いを言葉で表現できた男性に、みんなは拍手し、男性も笑顔を見せる。両親は涙を浮かべ、男性も喜びからか目を潤ませた。

この日、加藤さんの妻・信子さんはお祝いにお赤飯を炊いた。

加藤さんは「すべて人生を変えてくれたから。この手がすべての不自由さを味わわせてくれた。強い心にもさせてくれた」と語る。 

自作の「万能ホルダー」で鉄棒も

加藤さんの発明は大量生産には向かないかもしれない。しかし誰かのための世界に一つだけの発明、夢を叶える発明をする“とうちゃん”はエジソンだ。

(第12回FNSドキュメンタリー大賞『とうちゃんはエジソン』東海テレビ・2003年)

その後、加藤さんはNPO法人「福祉工房あいち」を設立し、ボランティアスタッフとともに、新たな発明を続けている。