今年度はラグビーW杯の影響でトップリーグの開催が後ろ倒しになり、シーズンが長期化する一方、大学は4年生が卒業し、3年生以下の新チームがスタートを切る季節になった。
ほとんどの大学はグラウンド近くに「寮」があり、学生がラグビーに集中できる環境が整えられている。今は卒業生が寮を出て、新入生が寮に入る引っ越しの時期でもある。
今回はラグビーのみならず、様々な人間関係や社会を学ぶ場でもあった寮生活とその周辺の環境をご紹介したい。
時は平成初期、古きよき(?)時代の話である。

今年も新入生が入ってくる

門限と罰則

西武新宿線で高田馬場から各駅停車で30分弱、東伏見駅から徒歩5分。当時の早稲田大学ラグビー部寮では40人程度のメンバーが寝起きを共にしていた。
朝7時起床、夜11時門限。これ以外は基本的に自由だ。食事は朝と夜の2回。米は巨大な炊飯ジャーの中に常にあった。
ただ、夜11時の門限を破ると下級生は丸刈り、上級生は食事当番(略して食当)という罰則があった。

女性とのお付き合いにも敏感な時期だけに、丸刈りは下級生にとっては恐怖の罰則である。11時になっても戻らない下級生がいると、寮生は玄関前や窓の外から囃し立てながら門限破りの当事者を迎えたものだ。決まってかける言葉は「サンキュー、坊主!」
「他人の不幸は蜜の味」の感覚はこの頃から培われていった。

寮の玄関先。いまは他の部が使用している

門限破りの恐怖からか、寮生は自然と寮の周辺で過ごすことが多くなり、学校に行く以外あまり遠くに行かなかった気がする。その分寮生同士の交流が濃密になっていたことは間違いない。
唯一日曜日だけ門限がなかった。だが週末はだいたい試合が組まれ、勝っても負けても試合後の練習が待っていた。当然厳しいコーチが付きっきりだ。
身体の痛みと疲労はもとより、土のグラウンドで出来た擦り傷(ビフテキ)を腕や脚に抱えながら、遊びに行く連中は繁華街に繰り出し、寮の周辺では酒を飲む者、徹夜で麻雀に興じる者、寮で身体を休める者とそれぞれの時間を過ごしていた。

ちなみに上井草に移った今の早大寮の門限は原則夜10時。日によっては朝5時からウエイトトレーニングをする日もあり、門限破りの罰則はないという。門限を破る学生がいないからだそうだ。今の学生が真面目なのか。以前がひどかったのか。良くも悪くも昔は大らかであった。

寮生の恋愛事情

前述の通り、門限11時の規則はプライベートにも影響していた。11時以降は寮の廊下や大広間は全て消灯、2台ある電話も4年生の就職関係の連絡や不測の事態以外使用は禁止。もちろん携帯電話はない時代だ。
彼女のいる寮生は門限の後にそっと寮を抜け出し、近くの公衆電話から連絡を取っていた。使用するのはテレフォンカード。福岡出身の者も多く遠距離恋愛は珍しくなかったので、当時新宿界隈で中東の人たちが売っていた「安くて違法」なテレフォンカードの世話になっていた人も多いはずだ。夜中の外出はルール違反だが、これは暗黙のうちに許されていた。
先日、その公衆電話のあった場所に行ったが電話はなくなっていた。時代の流れとはいえ、一抹の寂しさを覚えた。

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「学生時代はさぞかしモテたでしょう?」などと言われたこともあるが、いわゆる合コンやデートで繁華街に出ても、夜10時過ぎには電車に乗らないと寮生は門限には間に合わない。すなわち遅くまで遊べない。
ラグビーに集中するため、悩んだ末に長く付き合った彼女と別れた後輩もいた。彼は長渕剛さんの曲「HOLD YOUR LAST CHANCE」をこよなく愛し「傷つき打ちのめされても 這い上がる力が欲しい」の歌詞を胸に刻み、試合でもFWの柱として大活躍した。
もちろん、恋愛とラグビーをうまく両立させている人もいた。だいたいBKだ。スクラムの要のプロップで彼女がいた奴はほとんど記憶にない。

培われる伝統

寮とグラウンドの近くには馴染みの飲み屋が何軒かある。グラウンドの往き来で必ず通る場所にあったのは「ホルモン」。
「しらふなのに」なのか「一杯飲んでいるから」なのか、常に顔の赤いおじちゃんと、優しく綺麗な奥様が2人で切り盛りしていた。今はもうない。

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シーズンの深まりと共に、1年生はグラウンド整備や各種雑用で寮生以外は終電前後まで帰宅できなくなる。疲れた脚を引きずるように駅へと向かうと、「ホルモン」で飲んでいる先輩が見つけて声をかけ、1年生は恐縮しながら店に入る。
焼き鳥も旨いが、つまみの定番は「おったち豆腐」。豆腐に納豆、ネギと生卵。醤油を垂らしてぐちゃぐちゃに混ぜて食べるのが流儀だ。チビチビ飲みながら先輩の話に耳を傾ける。
自分が下級生の頃の話、レギュラーへのこだわり、勝利を目指す情熱。普段は怖くて厳しい先輩がちょっとだけ優しくなる。1年生が「先の見えない練習をもう少し頑張ろうかな」と思う時だ。こうした先輩後輩の交流、また伝わる言葉の数々が下級生はもちろん、部全体の糧になり、その継承が歴史になっていくのだろう。

ちなみに早稲田では部員が自らの思いを書き記し、それをまとめた「鉄笛」という文集が年に一度編集され、菅平の「夏合宿」で配布される。これは今も変わっていない。
身体も精神も限界に近づく中、紙に記した思いや決意を再認識し、自らを鼓舞する材料でもあったはずだ。当時そんなことを考える余裕などなかったように思うが、同じ釜の飯を食い、同じように辛く苦しい思いをした者の絆は深い。

夏合宿の様子(写真は菅平)

もちろん早稲田だけでなく明治、慶応、同志社などにも独自の歴史や習慣、こだわりがある。それぞれの違いがチーム独自の魅力や特徴となり、それがプレーにも表れることにファンは魅了される。
今年度、早稲田大学を日本一に導いた相良南海夫監督は、プレーも含めた学生のあり方や育成について「文化を一歩一歩積み上げる」と表現した。

早大・相良南海夫監督

次のシーズンもそれぞれの大学で文化や歴史が蓄積され、秋には結実し、試合でそれがぶつかり合う。観る人の心に響くのは道理である。

(フジテレビ政治部デスク・山崎文博)