「警察国家」と呼ばれ、情報の管理や統制に格別厳しい中国・北京で4月30日、日本の“スパイ映画”が上映された。アニメ「SPY×FAMILY」の劇場版である。
この記事の画像(11枚)日本のアニメが中国でヒットするのは珍しくないが、「スパイ」という中国では敏感なタイトルの映画が堂々と宣伝・上映されたことに、少しばかりの驚きと違和感を覚えた次第である。
この映画を巡っては封切りの10日ほど前に北京の繁華街でイベントも開催された。小さいスペースながらファンの若者が足を運び、盛り上がりを見せていた。劇場近くにはアニメのキャラクターが至る所にお目見えし、記念撮影をしたり、グッズを購入するファンで溢れていた。
遅々として進まない日中関係などどこ吹く風で、日本のアニメが中国でも広く受け入れられ、根強い人気があることを実感した。
実際に映画も見た。意外と言っては失礼だがスパイ活動の中に笑いあり、家族愛ありで、なかなか面白かった。
日本の書籍も北京に初登場
同じ時期には日本のTSUTAYAが北京で初めての書店を出店し、連日賑わいを見せている。日本語の書籍も置いてあるほか、雑貨の売り場や休憩スペースなども充実し、ちょっとした“おしゃれ空間”を演出している。
かつての北京生活で不便だったことのひとつに、日本の本を読めないことがあった。厳しい検閲を通るのが難しいためで、以前は日本に帰国するたびに本を買って戻るのが常だったことを思い出す。
北京での値段は文庫本が1冊70元~80元(1400円~1600円)と高めだが、書店では日本語を勉強する中国の学生らも手に取っているのが印象的だった。
こうした光景を見ても、特に都市部では中国人の対日感情は悪くないと感じられる。かつて反日感情が高まった際には「街で日本語を話さない方がいい」と言われたこともあったが、日本語の書籍を北京で直接手に入れられるというのは隔世の感がある。
ちなみにラウンジは1時間56元(約1100円)~。飲み物はソフトドリンクからお酒まで、スナック菓子やアイスクリームも無料で非常に充実している。
「良いもの、自分に合ったモノにはお金を使う欲求がまだまだある」(蔦屋投資有限公司・野村拓也中国総代表)というように、余暇の過ごし方にこだわり、自分の時間を大事にする中国人が増えたということだろう。
「この人気を継続できるかどうかが問題」(日中外交筋)だが、経済の悪化が指摘される中国でも、まだまだ市場価値や潜在力があると見込んだ動きではないか。
“金のなる木”への中国の迅速対応
折しも中国は習近平体制が盤石になり、国内の統制が強まっているのは間違いない。その一方での“スパイ映画”の上映や日本の書籍の北京入りは、およそ相容れる動きではない。
こうした現状や当局の対応はどうなっているのか、ある日中外交筋に聞くと「金になるモノは積極的に入れているのだろう」という話だった。国内経済の不安や生産過剰の指摘が相次ぐ中、消費を喚起するコンテンツは多少の敏感な問題があっても目をつむるということだろうか。
今に始まった話でもないが、驚くべきはその対応と変化のスピードである。
日本人の拘束、処理水を巡る日本水産物の輸入禁止、ビザ免除の凍結といった日中間の課題は一向に進まないが、ことが政治を離れ、金やビジネスの話になると、中国は全く違う顔を見せる。
国会審議も行政手続きなども一切見えないまま、政策は突然変更され実行される。「熟慮」とはほど遠いが、実施に至るまでのスピードが中国の強みであることも間違いない。
社会が変化するスピードはここから生まれているのだろうと実感する。それに比べれば「熟慮・熟議」の日本は良くも悪くも「平和で変わらない社会」だと思う。
“スパイ映画”と聞いて思い出すのは、外相を辞任したまま動静が途絶えている秦剛氏だ。彼はかつて中国外務省の報道官をしていた時、とある外交案件について「007の小説の話じゃないか」という発言をしたことがある。巡り巡って彼自身がそのような憶測の対象になるとは思ってもみなかっただろうが、とにかく中国には謎が多い。
「説明責任などという言葉はこの国にはない」(日中外交筋)というように、わからない上に説明もないので、憶測ばかりが広がることになる。
ビジネスを優先して“スパイ映画”や日本の書籍を北京に入れる決断を出来るのであれば、日本人のビザなし入国を許可し、海産物の輸入も再開した方が中国のビジネスにとってもプラスになると思うのだが、いまだ納得できるような説明がないままなのは残念である。
(執筆:FNN北京支局長 山崎文博)