中国の“母なる大河”長江の源流を追い求めるドキュメンタリー映画「再会長江」が、このほど日中両国で上映を開始した。監督は竹内亮氏。日本よりも中国で有名で、映画制作だけではなくバラエティ番組などにも出演する、いわば“文化人”でもある。

映画は雄大な長江が舞台だ(竹内亮氏のTikTokより・表紙も)
映画は雄大な長江が舞台だ(竹内亮氏のTikTokより・表紙も)
この記事の画像(9枚)

6300キロに及ぶ長江が始まる最初の一滴を目指して川を辿り、その過程で出会う河口周辺の人々との交流を描いた作品だ。中国の広さと人々の暮らし、その人間模様を存分に味わうことが出来る。

イベントには金杉大使(左)も出席した(右は竹内亮氏)
イベントには金杉大使(左)も出席した(右は竹内亮氏)

6月5日に北京で行われた記念イベントには金杉憲治駐中国大使も出席し、竹内監督とも対談した。予定調和とはほど遠く、リラックスした雰囲気を演出する竹内氏と、真面目に対応する金杉大使のアンバランスが印象的だった。

素朴で優しい中国人が登場

中国はその広大さ、多様さゆえ、一口では語れない、語りきれないとよく言われる。「都市にいるだけでは中国はわからない。地方にいるだけでも中国はわからない」(日中外交筋)というのが実態で、貧富の格差はもちろん、気候や生活習慣、言葉も含め、日本では考えられないほどの違いや地域差が中国にはある。

大自然の中で食事をする竹内氏(竹内亮氏のTikiTokより)
大自然の中で食事をする竹内氏(竹内亮氏のTikiTokより)

首都・北京でも車で小一時間走れば自然豊かな、田舎の風景が広がるくらいで、メディアに出てくる中国はそのごく一部でしかない。

ここも中国の首都・北京市だ
ここも中国の首都・北京市だ

加えて言えば、市井の人々は極めて人間的で、個人的には温かい人が多いと感じる。映画では竹内氏が10年前に出会った人々との再会を果たし、その親交を深める場面が当時の映像を交えて随所に出てくる。激しい競争社会ゆえ自己主張が強く、他人を簡単に信用しない側面がある一方、一度懇意になると家族のように接する態度はこちらが恐縮するほど近しい。

竹内亮氏のTikTokより
竹内亮氏のTikTokより

数々の村で交わされる竹内氏と現地の人たちの会話には飾り気がなく、その関係は人情味に溢れ、素朴で、優しい。

映画が描く“変化のスピード”

さらに特筆すべきは社会の変化である。北京にいると社会が変わるスピードの速さを否応なく感じさせられるが、それは農村部でも同じようだ。ダムの建設や開発などにともない川の水位は変化し、かつてあった村はなくなり、人々の生活や仕事にも変化をもたらしている。竹内氏は「中国では変化を必ずしも良いものとして捉えていないが、自分は中国の変化を楽しんでいるし、前向きでいる」と語った。発展すること、便利になることと文化や伝統を守っていくこと。二者択一の問題でもないだろうが、映画を通じてそんなことを考えさせられた。

映画にも登場した、雲南省の茨姆さん
映画にも登場した、雲南省の茨姆さん

イベントには映画にも登場した、雲南省で民宿を営む女性も駆けつけ、日本に旅行した時の話を披露した。彼女が一番驚いたのはホテルの従業員の接客で、トイレの場所を聞いた際、まるでレストランに案内するように対応が丁寧だったと話して笑いを誘っていた。

上映会には留学生ら、若者が数多く参加した
上映会には留学生ら、若者が数多く参加した

それぞれの部屋にトイレが付いていることも驚きだったそうで、その生活習慣の違いを知る良い機会でもあった。「都会を知ることでますます故郷を好きになった」という彼女の言葉が印象深い。

「メディアは中国の悪口ばかり」

今や中国でカメラを回すことには様々な制約があるが、多くの現場で撮影の交渉を行い、「本当に死にそうになった」(竹内氏)という時でもカメラを回し続け、上映にこぎつけた制作サイドの努力と苦労にも敬意を表する次第である。「中国好きには懐かしい、知らない人には驚き」(竹内氏)との評価があるこの映画は日本でも9月頃まで上映されるそうだ。

竹内氏は日本と中国、双方のメディアの取材に応じた
竹内氏は日本と中国、双方のメディアの取材に応じた

竹内氏は取材に対し「日本の人は中国のマイナスの報道しか知らない。メディアは中国の悪口ばかり言う。自分はそうでない中国を伝えたかった」と答えた。指摘されるだろうと思っていた点であり、耳に痛い話でもあった。

そこには政治と国民がかけ離れている中国の現実がある。イベントの前日は天安門事件から35年の日で、当局は例年通り海外メディアの動向に神経を尖らせていた。国の安定を図るために警戒態勢を敷いた6月4日と、中国人の実直さや温かさに触れた翌5日。この2日間で全く違う中国の顔を目の当たりにして、中国を理解すること、伝えることの難しさを改めて知ることになった。

山崎文博
山崎文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。