性や生殖の知識が最低レベルの日本

「そんな大事なこと、もっと早く教えてもらわないと困ります。どうしたらいいんですか?」

これは毎日のように繰り返されてきた40代の初診の不妊患者さんと私の外来でのやり取りです。「卵子は胎児のときに作られていて、だんだん減っていき、20歳の時は卵子も20歳。40歳になると、卵子も40歳で、妊娠率、流産率、染色体異常の割合にも年齢に応じた変化が生じます」と説明すると、多くの方から冒頭の言葉を頂戴します。

初めてお目にかかる患者さんですから、残念ながら「もっと早く」お教えするすべはないのです。中学か高校の保健体育の授業で教えてもらえればいいのですが、日本では性や生殖を教育することはタブー視されるところがあり、先進国の中では性や生殖に対する知識が最低レベルであることに起因します。10年前と比べ、体外受精や卵子のエージング(老化)がメディア等でも取り上げられる機会が増え、知識を持った方が増えているとは思いますが、もう少し掘り下げて卵子のお話をさせて下さい。

卵子の数は胎児期にピーク、以降減少し続け閉経時にゼロになる
女性の年齢による卵子の数の変化(厚生労働省HPの図を元に編集部で作成)
出典:Baker TG.Acta Endocrinol Suppl (Copenh). 1972;166:18-41
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卵子の秘密

胎児の卵巣の中で卵子の元になる細胞は分裂し700万個ほどに達します。その後減少が始まり、思春期以降卵子としてできあがり月に1個が排卵されます。先に述べたように20歳の時の卵子は卵子として完成するのに20年かかり、40歳では40年かかり、エージングによる変化を免れないということをご理解ください。特に35歳以降その変化が現れ、40歳以降は加速度的です。

卵子ができあがるまでに時間がかかればかかるほど、不都合が生じる可能性が高くなります。具体的には、染色体の数の異常が生じやすくなります。その結果着床しにくくなる、あるいは着床しても流産する確率が高くなります。

流産は免れますが、21番の染色体が3本になると「ダウン症(21トリソミー)」になります。その頻度は20代から30代前半では1000人に1人か2人ですが、35歳で3人、40歳では10人、45歳では50人と増加していきます。

ダウン症の頻度は加齢と共に増加していく

最近卵巣の中の卵子の数を知る指標としてAMHというホルモンが注目されております。年齢とともに卵子の数が少なくなるとAMHの値も下がります。不妊治療を行う場合は参考にします。しかしAMHは自分の卵巣年齢を知るという意味はありますが、極端に高かったり低かったりしない限り、妊娠できないというわけではないので数値に一喜一憂することは禁物です。

年間6万人...増え続ける体外受精

体外で受精させた卵子を移植して妊娠させる体外受精胚移植の技術は、生殖医療ないし生殖補助医療技術assisted reproductive technology(ART)と呼ばれます。2021年9月に発表されたた最新のデータでは6万598人がARTで生まれました。日本全体で生まれる子供の14人に1人に相当します。1983年に国内初の体外受精児が誕生してからの累計では71万931人になります。

下の図には、体外受精による出生児数の増加を示しています。図の中のFETというのは凍結胚移植です。年々凍結胚移植が増えて90%に迫っています。ICSIは顕微授精で通常の体外受精はIVFと示されています。生まれてくる子どもに占める割合は、日本全体では少子化傾向で出生児数は減少しており、体外受精児の割合は年々増加し、最新では14人に1人となった訳です。

体外受精による出生児数の変化(日本産科婦人科学会調べ:2019年データ)

国際比較と日本の問題点

ARTで生まれる子どもの数や生まれる子どもの割合は世界で一二を争っていますが、手放しで喜んでいるわけにはいきません。治療周期当たりの妊娠率を比べると世界で最低レベルという見方もあります。下の図は、国別体外受精・顕微授精数です。治療件数はずば抜けていることがわかります。ただし最近中国がデータを公開し世界一ではなくなりました。

ICMARTが2016年に発表したリポートより2010年の60カ国・地域のデータから抜粋して作成

これに対して、採卵1回あたりの国別出産率をご覧ください。統計の取り方にもよりますが、統計を公表している国の中で最低です。

ICMARTが2016年に発表したリポートより2010年の60カ国・地域のデータから抜粋して作成

その事情を理解いただくために下の図をご覧いただきましょう。

年齢別の妊娠率や流産率を示しました。妊娠率は35歳を過ぎると加速度的に低下し、40代では流産率も増加します。諸外国では不妊治療を受ける患者さんの年代が低く、40代の患者さんには若い卵子提供が勧められることもあり、40代の患者さんの割合が多く、卵子提供も行われてこなかった日本の治療当たりのART成績は低いのです。

卵子提供といえば、2011年に野田聖子少子化担当大臣が卵子提供でご出産されたことを、身をもって公表されました。詳しいことは別稿に譲りますが、2020年12月卵子の提供を受けて生まれた子どもの親子関係を定める法律が成立し、日本における卵子提供の道が開けたことは、現場の人間としてありがたいことです。

リプロダクティブヘルス

リプロダクティブヘルスあるいはリプロダクティブライツという言葉を知っていますか。「女性は自分の産みたい時に産み、産みたくない時には産まないことが当然の権利である」(1993年カイロ宣言)ということです。男女共同参画社会は女性の活躍の場を広げ、女性が輝く社会が日本の未来を明るくします。

しかしながら、20代、30代に思う存分仕事で活躍していると、結婚、妊娠、出産が遅くなる傾向は女性の有職率を含めた統計からも明らかです。諸外国の中には女性の有職率が出生率に影響を与えていない国もありますが、日本の現在の社会体制の中では、有職率の増加は、出生率の低下に関係しているように思われます。

リプロダクティブヘルスをめぐる日本の問題をまとめると次の二つに集約されます。一つは、年齢とともに妊娠しやすさは低下し、染色体異常や流産などのリスクが上がるなど性や生殖に関連した基本的事実が十分知らされていない教育の問題です。もう一つは、社会で活躍、輝く間、結婚や出産が後回しにせざるを得ない、言い換えれば働きながら安心して妊娠、出産、育児ができにくいという社会の問題です。

リプロダクティブヘルスを守る切り札が生殖医療と言うこともできますが、時間との戦いでコロナ禍でも不要不急とは言っていられないという考えを示しました。
(関連記事:「不妊治療は時間との闘い」妊活か自粛か...どうするコロナ禍の不妊治療

卵子凍結を考える

時間は戻せませんが、止めることは可能です。それは凍結技術です。最初にお示ししたように、日本のARTで生まれる子どもの90%は凍結胚によります。凍結により胚の機能は何年、何十年も保つことができます。この技術は卵子や精子についても応用できることがわかっています。医学的には次に示すがん生殖という分野が開けてきています。

卵子がなくなってしまうのは加齢に限らず、悪性腫瘍の治療で放射線や抗がん剤の投与を受けることでも生じます。がん生殖というのは「がん治療を最優先にすることを大前提として、がん患者さんがお子様をもつことを応援する医療」(日本がん・生殖医療学会)です。

下の図では、女性の妊孕性(にんようせい)温存療法の概要を引用します。具体的におこなわれるのは主として卵子凍結です。男性の場合は精子が凍結されます。がん治療がおわって回復してから、体外受精を行い妊娠することが可能になります。命がけでがん治療に取り組む時に子どものことなどと考える人もいるかもしれませんが、若い女性にとってがん生殖は希望の光です。

女性の妊孕性温存療法(日本がん・生殖医療学会HPより)

厚生労働省は2021年4月からがん生殖に助成制度を取り入れ、早速各自治体が東京都若年がん患者等生殖機能温存治療費助成事業などの形で卵子凍結にも助成金を出してくれることになりました。がん治療に悩みながら取り組む女性の背中を押してくれるありがたい制度が開始されたことは喜ばしいことだと思います。

お気づきだと思いますが、卵子凍結は、加齢によって減少し妊娠する力が低下する卵子の機能を維持する手段としても有効であると考えられます。実際米国では、女性社員の福利厚生制度として卵子凍結費用の助成制度を導入する企業が多く、フェイスブック社、アップル社、グーグル社など枚挙にいとまがありません。

日本では日本産科婦人科学会が医学的適用のない卵子凍結は妊娠を先延ばしする手段として推奨できないとしています、しかし、日本生殖医学会は社会的適応による未受精卵子あるいは卵巣組織の凍結・保存のガイドラインを作成し、加齢等の要因により性腺機能の低下をきたす可能性を懸念する場合には、インフォームド・コンセントのもと未受精卵子あるいは卵巣組織を凍結保存することができるとしています。

女性活躍が国策の一つですが、働きながら妊娠、出産、子育てが安心できる体制が整っていない現在、結婚や妊娠、出産が後延ばしにされ、結果として不妊治療を必要とし、苦労する方が増えているのが現状です。様々な意見があることは承知しておりますが、リプロダクティブヘルスの観点から、卵子凍結に対する社会的認知を進めてもよい時期に来ていると言ってよいのではないでしょうか。

【寄稿:医療法人財団順和会山王病院 名誉病院長 堤治】
【グラフデザイン:さいとうひさし】