もうすぐ4月。新生活を迎える時期だ。新しい場所で順風満帆に過ごせるのが一番だが、慣れない環境で心や体のバランスを崩すなど、長い会社員人生の間になんらかの理由で通院が必要になる可能性は誰にでもある。職場で上司や同僚に伝えにくい“個人的な事情”。社員側と会社側の双方がとるべき対応について、専門家に聞いた。

上司や同僚に伝えるべき?

さまざまな理由で必要な“通院”。例えば、不妊治療で通院している人の場合、仕事と両立できずに退職した人は16%に上る(厚生労働省調べ)。また、治療の事実について職場で伝えている人は38%に留まっている。通院の事実を知られたくなかったり、気遣いをされたくないと感じる人も多い。仕事と通院の両立が難しいと感じた人の割合は87%で、そのように感じた理由として多かったのは「通院回数が多い」、「精神面で負担が大きい」に続いて「仕事の日程調整が難しい」という答えだった。

厚生労働省HPより
厚生労働省HPより
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事情は人それぞれ。そもそも、職場で上司や同僚に個人的な事情を伝えるべきなのか。

海運大手「商船三井」でカウンセラーを務める公認心理師の割澤靖子さんは、通院や家庭の事情はプライベートの話なので、もし上司や同僚に言わなくても職場や自分自身の「仕事が回る」のであれば、必ずしも伝えなくていいと指摘する。ただし、スケジュールを変更してもらったり、業務負荷が大きくなりすぎないように調整してもらったりするなど、業務の調整を求めなければいけない場合、つまり「会社の既存の出退勤の制度や、業務の通常の流れの中では対応できない場合」は伝えたほうがいいという。

「商船三井」でカウンセラーとして勤務する割澤靖子氏
「商船三井」でカウンセラーとして勤務する割澤靖子氏

伝える場合に注意すべき点

割澤さんによると、「伝える」と決めた場合に気をつけるべきなのは「情報を過不足なく伝える」という点だ。当たり前のように聞こえるが、情報量のコントロールは意外と難しい。情報量が多くなりすぎると、受け取る側に“わがまま”だと誤解されてしまったり、“配慮を強いる”ような状況になったりする可能性がある。

ここで重要なのは、感情面と切り離すことだ。舞台はあくまでも会社。上司や同僚から善意のあまり過度に感情的な配慮をしてもらうのではなく、大切なのは「会社としての業務が回っていくために必要な調整をしてもらうこと」。それに足りる情報があれば十分だとしている。

では、伝える“情報が多くなりすぎる”というのはどういうことか。
例えば、「今こんな状態で、こんなふうにこんなに辛くて・・・」という心情的な部分を強調しすぎるとする。すると、職場の上司や同僚は、「この仕事をお願いしたいけれど、なんとなく大変そうだから、お願いするためにはこちらでここまでやっておこうかな」というように、本来であればその役職の人に頼んでも問題ない仕事まで振りにくくなってしまう可能性がある。過剰に配慮した結果陥りやすい状況だ。これでは気を遣われすぎて、本人も居心地が悪い環境になってしまうだろう。

また、本来であれば体調に合わせて出勤・退勤を調整することが許可されれば十分であるのに、必要以上に自由度の高い勤務形態にしてしまったり、上司の側が遠慮しすぎて指導しても問題ない場面でも控えてしまうことも考えられる。いわば、「腫れ物に触る」ような扱いだ。

このように、事情が分かるからこそ心情的な部分が前面に出てしまい、適確な枠付けができなくなってしまうことがあり得る。従って、職場で伝えるべき情報は、業務上配慮してほしいこと、そのために理解してほしい客観的事実を淡々と伝え、それ以外の内面的な話はカウンセラーなどの専門職や本当に親しい人に話すなど、話す相手によって内容を区別することを勧めている。話す相手を分ける、ことが重要だ。

どの程度の情報量が適切?

逆に、伝える情報量が少なすぎても、周りの人はどれだけ配慮すればいいか分からない。この場合、本当に配慮してもらいたい部分で配慮してもらえない懸念が出てくる。

どの程度の情報が妥当なのか。そのヒントは厚生労働省が不妊治療中の労働者への使用を推奨している「不妊治療連絡カード」にあった。労働者が主治医と相談した上で会社側に状況を伝えるもので、連絡事項として記載されているのは以下の3つだ。

【連絡事項】
・不妊治療実施(予定)時期
・特に配慮が必要な事項
・その他

記載例は以下の通り。

不妊治療実施(予定)時期
令和○年○月○日~○月○日(2週間)
特に配慮が必要な事項
当該治療期間において、1回2時間程度の通院5~6日および1回1日程度の通院1~2日が必要。なお、治療日については、治療の前日に決まることもある。

「不妊治療連絡カード」の記載例(厚生労働省)
「不妊治療連絡カード」の記載例(厚生労働省)

不妊治療に限らず、通院が必要な場合、職場に伝えるのに適した情報量はこの程度だという。意外と少ないと感じる人もいるかもしれない。そして、示した期間が切れるタイミングで情報を更新していく。そのようにしていけば、治療が長期間にわたる場合でも、職場から忘れられてしまう事態が起きにくい。

通院している側の情報と職場からの配慮、どちらも“過剰”にならないことがポイントだ。業務上の配慮をお願いすることと、個人的な感情の発露をしっかり区別することで、“必要な配慮を必要な分だけ”してもらう。お互いスムーズに会社生活を送る秘訣だ。個人的な感情の部分は、カウンセラーなどの専門家に託すのがよい。

“不公平感をなくす”がカギ

先ほどの厚生労働省の不妊治療に関する調べによると、会社に希望する制度として最も多かったのは「不妊治療のための休暇制度」だった。「柔軟な勤務を可能とする制度」、「有給休暇を時間単位で取得できる制度」、「有給休暇など現状ある制度を取りやすい環境作り」がこれに続く。

割澤さんは、不妊治療やメンタルヘルス治療などと仕事を両立させる枠組みを新たに整備するにあたっては、「職場で特別扱いのイメージが強くならないことが大切」と指摘する。制度を利用することによってかえって同僚の間で“不公平感”が生まれることは、通院する本人のためにも好ましくない。

従って、フレックスタイム制やテレワークなど包括的な制度をさまざまな事情を抱える人たちが柔軟に使えるものにしていくことが望ましい。例えば、商船三井では介護や育児をする人が柔軟に使えるテレワーク制度になっていたり、不妊治療のための「出生支援休暇」は実質的に有給休暇と同じ形で取得できるようになっている。

会社側がさまざまな立場や状況に置かれている人たちがそれぞれどのようなことに困っているのかを広く聞いて制度作りを進めていくことが、理想の形だ。

“相談”への抵抗感を少なく

割澤さんがカウンセラーを務める「商船三井」では、「とりあえず話したいから」というように気軽に話しにくる社員も少なくないという。テニスなどで、一人で壁に向かってボールを打ち続ける「壁打ち」という言葉。社内では、「壁打ちに付き合ってもらう」=頭の整理のために対話に付き合ってもらう、という表現が社内で浸透するほど、カウンセラーも含む他者への相談が気軽なものになっていると割澤さんは話す。

カウンセラーに相談することになぜ抵抗感が少ないのか。それは、すべての新入社員や転職してきた社員が、配属後3ヶ月ほど経った時点でカウンセラーと面会することになっているからだ。それ以外にも、カウンセラーと顔を合わせる機会が多くなるよう設定されている。新入社員のうちにカウンセラーと必ず会う仕組みになっていることから、相談しに行く抵抗感が少ないのだ。

“スタンダード”を把握する

さらに、商船三井は「メンター制度」を導入している。メンター制度とは、豊富な知識と職業経験を有した社内の先輩社員(メンター)が、後輩社員(メンティ)に対して行う個別支援活動だ(厚生労働省HPより)。商船三井では、キャリア入社者(転職者)につくサポーターを「メンター」、新入社員につくサポーターを「トレーナー」と呼んでいる。メンターやトレーナーには年次が少し上の社員が指名されるという。このように、新入社員の時から、職場内での悩みや問題解決をサポートする体制が構築されている。

その狙いの1つは、「その人のスタンダード(標準)を把握する」こと。
標準の状態を知っておけば、「以前はこれくらい連絡してきたいたけれど、しなくなったな」などと、小さな異変に気づくことができる。前と様子が違う、という情報がどこかから必ず入ってくるようになるのだ。さらに、集まってくる情報を守秘義務の許す範囲で人事部や医務室のスタッフときちんと共有している。普段から人事部などとコミュニケーションをする機会が多いため、情報共有がスムーズになっている。

なんらかの不調を抱えたり、通院が必要になったりした場合どう行動するのがいいか。また、職場がどのような環境を整えているのか。新生活が始まる前に、考えておくことで“もしも”の場合に余裕を持った対応ができるかもしれない。

〈専門家紹介〉
割澤 靖子
株式会社商船三井 医務室 カウンセラー
公認心理師・臨床心理士・博士(教育学)

石井梨奈恵
石井梨奈恵

元パリ支局長。2021年より、FNNプライムオンライン担当。これまで、政治部記者、 経済部記者、番組ディレクターなどを経験