8月、佐賀県に大雨特別警報が発表された。浸水被害が大きかった被災地(大町町・武雄市)では、今も18世帯35人が避難所での生活を余儀なくされている。
このうち、自宅に帰るめどが立っていないという大町町の男性を、サガテレビの橋爪和泉アナウンサーが取材した。

1カ月以上経過しても続く避難生活

8月15日、大町町は濁った水に覆われ、家屋が水の中に浮かんでいるように見えた。

浸水被害に見舞われた大町町(8月15日)
浸水被害に見舞われた大町町(8月15日)
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六角川流域で浸水被害が大きかった大町町。避難者が最も多かった8月15日には、4つの避難所が開設され、128世帯285人が身を寄せていた。
そして1カ月以上たった今も、11世帯21人が避難生活を送っている。

平野文男さん:
夜になると眠れない。避難所にいると、人の気配に敏感になって起きてしまう。そういう生活ですけど、やっぱりここが良かったかな。家は住めない状況で…

避難所での生活について語る平野文男さん
避難所での生活について語る平野文男さん

66歳の平野文男さんは、姉と2人暮らしで、共に8月14日から避難所で生活している。

橋爪和泉アナウンサー:
自宅から持って来たものは?

平野文男さん:
歯磨き程度かな。あとは全部、ここに用意してもらった

避難所では、段ボールベッドや布団などの寝具が用意され、ボランティアの炊き出しで三度の食事も提供されている。

平野さんをはじめ、避難をしているほとんどの人は、片付け作業のため自宅を行き来している状況だ。

2年前に続き…「ここまで水が来るとは」

平野文男さん:
3つライトが見えているところが六角川

橋爪和泉アナウンサー:
川のすぐそばですね

平野文男さん:
向こうから、上流から流れた水がこっちに向かって流れてきた

当時の状況を語る平野文男さん
当時の状況を語る平野文男さん

平野さんの自宅は60cmほど基礎を高くしていたものの、1.6メートルの高さまで水が来たという。

平野文男さん:
ここに冷蔵庫があって、戻って来た時には倒れていた。ほとんど水に漬かっていたから、期間が長かったから使えない状態。

平野さんの自宅の写真
平野さんの自宅の写真

平野文男さん:
ちょっとあぜんとしてね、言葉に出ない感じ。こういう水害は来ないだろうと思っていたんですけど…2年もしないうちに、また今度、ここまで水が来るとは思いもしなかった。ショックだった。ここまできたんだと

2年前に続き、2021年も床上浸水の被害に見舞われた。
ただ、前回の教訓をもとにボランティアの派遣や業者の依頼に早く取りかかったため、作業は一段落しつつある。

片付け作業が進む平野さんの自宅
片付け作業が進む平野さんの自宅

不安はあるが…住み続けることを選択

それでも平野さんには、自宅へ戻れない理由があった。

平野文男さん:
小型扇風機があるので、“寝られない状態”

“寝られない状態”と語る平野さん
“寝られない状態”と語る平野さん

橋爪和泉アナウンサー:
避難所がまだいい?

平野文男さん:
ましかなと。まだ本当の住まいじゃない

部屋中に置かれた扇風機。カビが発生するのを防ぐため、床や床下だけでなく、壁も断熱材を撤去して24時間乾燥させている。

平野文男さん:
まだ勤めていればね、ちょっと引っ越しを考えたかもしれないですけど、定年退職して、もうここに“住まなければいけない”

橋爪和泉アナウンサー:
水害への不安は?

平野文男さん:
ありますね。まだ来ないとは限らないから、絶対来るってわかっているから、六角川がある以上

約40年前に両親が建てた自宅を手放す寂しさや家計を考え、平野さんはこの地に住み続けることを選択した。
しかし、いまだに自宅へ帰るめどは立っていないという。

平野文男さん:
扇風機で乾かして、大工さんが仕事を始めて「住んでいいよ」と言うまで。だから、まだだいぶかかる。いつまでここに居ればいいのかなと思うのと、早く実家で休みたいなというのが半分半分

今も避難を続ける21人の平均年齢は、59.29歳。慣れない避難所暮らしに不安と疲労が募る。

【取材後記】
発災から1カ月経った今、避難者がいることを知らない人は多い。私はこの現状を伝えたくて、9月10日、取材のために大町町の避難所へ向かった。

シンと静まり返った室内。段ボールと布団でできたベッド。パーティションで仕切られたわずかな空間。思わず目をそむけたくなった自分に腹が立った。

探し回って20分、職員以外歩いている人が見つからない。かといってパーティションを開けて話しかける勇気もない。
私はもう一度受付に戻り、誰か紹介してもらえないかと話した。
すると、「実は私もここの人間じゃないんですよね」と一言。避難所では隣町の白石町や県などからローテーションで職員が応援に来ているそうだ。長引く避難生活、たしかに運営側にも支援は必要だとその言葉で初めて気づいた。

そんな中紹介してもらった1人の若い女性は住み慣れた自宅を離れ、来週以降、家族全員で県営住宅に引っ越す予定だという。
取材したい旨を伝えると、苦笑交じりの言葉が返ってきた。

「正直、そっとしておいてほしいんですよね」

はっとした。「見せ物じゃない」と遠回しに言われている気がした。

2019年に県内を襲った豪雨。相次ぐ台風。
入社して3年間、何度も被災地を中継・取材してきた。こんなことがあった、当時はこうだった。鮮明に語られる言葉を伝えるのが、私にできる最大の支援だと思っていた。

「でもそれって取材する側の都合じゃないの?」

取材しない方が被災者のためには良いかもしれない。いや、取材するべきだと思う。でも…何のために取材するのか、分からなくなってきた。

「もう帰ろう」デジ(小さいカメラ)とノートを持って避難所を後にしようとした時、1人の男性が帰ってきた。
その人が平野さんだった。
こんにちはと話しかけると快く会話を続けてくれた平野さん。避難生活だけでなく、自宅の様子や学生時代の話などたくさんの話をしてくれた。
もしかしたら取材に応じていただけるかもしれない。でも、なかなか「取材させていただけませんか?」と言えない。
「よかったら家見に来るね?」
話しかけて30分が経とうとしていた時だった。平野さんから話を持ち掛けてくれた。

それから先の取材については、上記記事を読んでいただければと思う。
取材後、なぜ取材を受けてくれたのか平野さんに聞いた。平野さんは笑いながら「家も片付いたし、タイミングが良かったからじゃない?」と話してくれた。それが本心かどうかは分からない。

ただ、この取材をきっかけに、改めてボランティアなどの支援が広がってほしい。そして、少しでも早く避難者の皆さんに元の生活を取り戻してほしいと強く思った。
災害を風化させないため、被災地は取材すべき。でも、被災者にとってそれは望まないことだったら?
何が正解で何が間違いなのか、取材をしながら生まれた疑問は、取材の中で正解を探していこうと思う。
今はこれでいい。

(サガテレビアナウンサー 橋爪和泉)

橋爪和泉
橋爪和泉

サガテレビ アナウンサー