全国で相次いでいる「水害」だが、岩手県でもたびたび河川の氾濫による被害を受けてきた。
教訓を未来につなげるための地道な取り組みが続いている。

たびたび襲ってくる水害…岩手にも被害が

夏から秋にかけて、岩手はたびたび台風や記録的な大雨に見舞われてきた。
1999年10月、軽米町の商店街は大雨により川が氾濫し、泥水が押し寄せた。

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被災した人:
早く水が引いてくれたら。向かい側に行きたいけど…

1999年の大雨により、2人が亡くなり、被害額は500億円にのぼった。

世界的に気候が変動する中、2000年代以降、岩手は何度も豪雨に悩まされてきた。
2013年には雫石町・紫波町・花巻市などで、それまで経験がなかった大雨に…

降り始めからの雨量は雫石町で268.5mmに達し、県全体で2人が亡くなり、1,193棟の住宅が浸水した。

その3年後の2016年8月には、台風が観測史上初めて岩手に上陸。

井上智晶アナウンサー:
宮古市です。ものすごい雨と風です。立っていられないほどです

2016年の台風10号。
岩泉町では高齢者グループホームに小本川の水が流れ込み、入所者9人が犠牲になった。

この被害を受けて、国内の高齢者施設では、避難確保計画の策定や避難訓練が義務化された。

そして、岩手の歴史の中で特に大きな水害をもたらしてきたのが、東北一の大河・北上川。

高橋裕二アナウンサー:
岩手が誇る桜の名所・北上市の展勝地です。無数に生える緑の木、これが半年前に私たちを楽しませてくれた桜並木です。ピンクの花びらで染まった風景は、今は黄土色に染まっています

1998年、2002年、2007年と、この30年に北上川では3度大規模な水害が起きている。
中でも一関市は洪水の多発地帯。理由は地形にある。
一関は傾斜が少なく平らなのに対し、北上川は宮城県境にさしかかるあたりで幅が狭くなっていて、上流から大量の水が押し寄せた時、県境付近で溢れやすくなっている。

「水害とともに生きるしかなかった」

洪水が多発する旧川崎村、現在の一関市川崎町。
年々、治水対策が進められているが、今も独自の備えが残されている家がある。
軒下に吊るされていたのは、水害時に使う船。

「水害とともに生きるしかなかった」と話す、地元出身の瀧澤政司さん(74)。

瀧澤政司さん:
来ない年もあったけど、毎年のように(水害は)来ましたね

昔は一家に1艘あり、浸水被害があっても船をこいで仕事や学校へ向かったという。

流される母の姿…「ほんの一瞬の出来事」

水害との戦いの歴史を今に伝えるのは、この船だけではない。
戦後直後の1947年・48年、立て続けに襲来したカスリン・アイオン台風。
2つの台風で県内では523人が犠牲となった。

70年以上たつ今も、壮絶な体験を語り継いでいる千葉貞子さん(81)。

アイオン台風を語り継ぐ千葉貞子さん:
(川が)すごい渦巻だった。そこに巻き込まれた。わたしは一旦沈んで岩場に投げられた

千葉さんが8歳のとき、アイオン台風で北上川の支流・磐井川が氾濫。
家族7人が避難した建物ごと流された。千葉さんは濁流の渦から奇跡的に助かったが、母と3人の兄弟を失った。

千葉さんはその体験を「生きる」という紙芝居にまとめ、15年以上にわたり市内の子どもたちに読み聞かせをしている。

アイオン台風を語り継ぐ千葉貞子さん:
電気も消えた真っ暗な部屋を、手探りで前に進みました。わたしの後ろには水が追っています。「死にたくない」、わたしは必死に前へ前へと進みました

千葉さんは逃げ込んだ屋根の上で、流される母の姿を見たという。

アイオン台風を語り継ぐ千葉貞子さん:
お母さん、お母さん、お母さん! 誰一人最後の言葉をかけてあげることができませんでした。ほんの一瞬の出来事でしたから。「お前たちしっかり掴まれ、必ず助かる。頑張るんだぞ」。お父さんは涙をこらえながら、わたしたちを励ましてくれました

アイオン台風を語り継ぐ千葉貞子さん:
「貞子さんは大変な体験をしたのだな」とか「僕ならどうしたのだろう」、そういう手紙をもらった。ここに住む人にはそういう思いはさせたくない

「悲劇を繰り返さない」
ハード面でも対策が進められている。

緊急時に川の水を逃がす「一関遊水地」。
堤防で囲まれた1,450ha、東京ドーム約100個分の田んぼ。川があふれそうなときは、ここに水を流して市街地を守る。

50年以上をかけて行なわれているこの事業は、2029年までの完成を目標としている。

何度も繰り返しやってくる水害。
教訓を未来に生かすために、ハード・ソフト両面での地道な取り組みが続いている。

(岩手めんこいテレビ)

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