パキスタンとの国境に接するパクティカ州に駐留するアフガニスタン軍の立て直しに当たる為、ある年、アメリカ陸軍のグレッグ・エスコバルという大尉が赴いた。しかし、彼が担当したアフガニスタン陸軍部隊の大隊長は、僅かな間に、立て続けに代わる羽目になったという。一人目は部下の男性兵士に性的乱暴を働き逮捕され、二人目は部下に殺害された為だったという。

マーク・グラスぺルという101空挺部隊の大尉が語るエピソードはこうだ。

アフガニスタン陸軍の某小隊に輸送ヘリの乗り降りを教え、訓練していたところ、暫くして、アフガン兵二人が口論を始めた。そこに第三の兵士が乱入し、いきなり折畳椅子を振り上げ、一人の頭部に叩きつけた。その後は大乱闘になった。そして、乱闘は全員が疲れ果てるまで続いた。現場にいたグラスぺル大尉の現地通訳は「これが我々は絶対成功しない理由さ」と吐き捨て、その場を立ち去ったという。

現地でアフガン兵のリクルートと訓練を担当したジャック・ケムという陸軍将校によれば兵士不足と日常的な脱走、部族間対立も大問題だったが、最大の頭痛の種は識字率の低さだった。ケム氏の経験では、小学校三年生レベルの読み書きができる新兵は5%以下しかおらず、中には数を数えられない者もいたらしい。

いわゆる幽霊兵士は、実在しないか実在していたとしても軍務実態が無い兵士のことで、その分の給与は往々にして上司がポケットに入れ、軍服など備品は横流しされた。アフガニスタンの国防省も軍の正確な実数は一度も把握したことがなかったらしい。

アフガン全土を簡単に掌握できた理由

まさにあっという間だった。

だが、これと云った戦闘をすることなく反政府武装勢力・タリバンがアフガン全土をいとも簡単に掌握できたのにはやはり理由があった。

上記エピソードはワシントンポスト紙やBBCの報道から引用したものだが、こんな軍隊がまともに戦えるはずがない。

国外脱出したガニ大統領
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ガニ大統領を筆頭にアフガニスタン中央政府指導部も公称・35万人規模の政府軍・警察も抵抗らしい抵抗をすることなく逃走し消え去った。

「制御不能に陥った市民」は有刺鉄線を乗り越え空港へ殺到

しかし、アフガン軍・警察が蜘蛛の子を散らすように消えた理由はこうした驚くほどの腐敗や能力不足だけではなかったようだ。

そもそも政府軍の編成・配置方針自体が現地の実情にそぐわなかったようなのだ。

アフガン駐在経験を持つアメリカ政府関係者によれば、中央政府は兵員を出身部族地域に配置することを拒み続けたというのだ。部隊が地域のリーダーたちと癒着し、私兵として軍閥化するのを避ける為だったらしい。

結果として、兵士たちは、往々にして言葉さえ通じない土地に配備されることになった。対立感情の強い地域では地元民からも歓迎されない。元々、モラル・能力は低い上、これでは士気は更に下がり、アメリカ軍に保証された待遇の上に寝そべることになる。

多民族国家・アフガニスタンには各地の部族が独自に兵を蓄え軍閥化し抗争を繰り返してきたという歴史がある。だからこそ過敏になったのは分からないでもない。しかし、これが対タリバン戦では却って仇になった。

部族の掛け違えに目を付けたタリバンは、各地の特定部族地域で駐留する他の部族による混成部隊の幹部に対し、従兄弟など親族や同族出身の使者を送り、問うたのだという。自分達とは縁もゆかりもない土地で元々は敵対民族である住民を守るために戦い、命を失う覚悟はあるのか?と。

答えは現状を見れば明らかである。

勝利宣言する反政府武装勢力・タリバン

勝負の帰趨が見えたら勝ち馬に乗る

部族抗争を繰り返してきたアフガニスタンの人々は勝負の行方を見定めるのに長けてもいる。一例を紹介したい。

今や昔の30年以上前、当時、ソビエト軍が駐留していたカブールに筆者は取材のために赴いた。そこで紹介されたのがホテルの通信担当を務める初老の御仁であった。アフガニスタン人にしては大変背が高かったのを鮮明に覚えている。

当時、国外との通信手段は今や存在しないテレックスのみ。彼はホテルでこれを担当していたので、彼のご機嫌取りは必須だった。

何度かやり取りをするうちに打ち解けた彼は、長男はカブールで彼と一緒だが、次男はペシャワールに居ると言った。しっかり両天秤を掛けていたのである。

解説すると、当時、カブールにはソビエトに支援された政権があったのだが、アメリカに支援された反ソビエト有志連合軍がひたひたと迫り、ソビエト軍の撤退とその後のカブールの陥落が目前になっていた。

その反ソビエト有志連合軍の拠点の一つがペシャワールであった。

つまり、ホテルのテレックス担当の御仁はどちら側が勝っても、反対側の家族を助けられるよう両側で息子を働かせていたのである。聞けば、似たような話は珍しくなかった。

勝負の帰趨が見えてきたら、多数派が勝ち馬に乗ろうとするのは自然である。

もう一つ覚えていることがある。彼はこう言った。「ゴルバディンはマッドだ」と。

ゴルバディンとは、当時の有志連合軍の有力司令官の一人、ゴルバディン・ヘクマチアルのことで、後にアフガニスタンを支配したタリバンの有力者としても知られた。彼らの原理主義は既に現地では知られ警戒されていたのである。

余談になるかもしれないが、当時、タリバンという名前は聞いたことが無かった。まだ、出来ていなかったのかもしれない。オサマ・ビン・ラディンは有志連合軍のメンバーだったが、アルカイダはまだ設立されていなかったと理解している。

今やゴルバディン・ヘクマチアルもオサマ・ビン・ラディンも亡いのだが、旧政府側となった人々への報復や女性への非道がやはり大いに心配になる。

臨時のキャンプにはタリバンの支配から逃れようとする人々の姿があった

「アメリカ外交政策における我々の世代の最大の失敗」

「アフガニスタンでの出来事は心が折れそうになるほど悲しいが、正直言えば驚きではない」(What's happening in Afghanistan is genuinely heartbreaking...but sadly not surprising.)

と筆者の長年の友人でもある上記アメリカ政府関係者は言う。

「アメリカ軍が駐留する限りアフガニスタン問題の軍事的解決は無い」(There is no military solution in Afghanistan as long as the U.S. military is in-country.)

というのがアフガン駐在当時からの彼の認識だったという。

「米軍撤退は正しい判断だった」と語るバイデン大統領

アフガン軍に単独で戦う能力はなくアメリカ軍が居なければもたないことは明らかだったし、アメリカ軍が何年駐留し支援してもタリバンに勝つことは出来ないということを彼も大方の専門家と同様に知っていたのであろう。

それでもアメリカは駐留を続け、湯水のごとく資金・国民の税金を投入した。

そのうち無視できない金額が腐敗によって消えたはずである。

アメリカ軍が提供した武器・弾薬は、一部は旧軍閥が捲土重来を期して隠し持っているだろうが、大半はタリバンの手に落ちた。

20年にも渡るアフガン駐留政策は「アメリカ外交政策における我々の世代の最大の失敗」(what is likely to be my generation's greatest foreign policy debacle)になるかもしれないと関係者氏は言う。その素直な述懐が、筆者にとってまた忘れられないものになると思う。

【執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎】