習主席と国民の蜜月

政治に100点満点はないが「習近平政権は正しい、素晴らしい」という評価は国民レベルでもかなり多いように思われる。ただし、あくまで「今のところは」だ。
2021年7月1日、中国共産党創設100年の祝賀行事は滞りなく、盛況のうちに行われた。想定通りだ。肝心なのは「中国共産党はいかに素晴らしいか」でも「習近平国家主席はどれほど偉大か」でもなく、国民がどう感じているかだ。



国民はどう感じているのか
その意味で2008年の北京五輪のメイン会場にもなった鳥の巣スタジアムで行われたプレイベントは象徴的だった。
注目すべきは、会場に入れないにもかかわらず庶民が数多く訪れたことだ。


花火が打ちあがるわずか数秒のためだけに、会場から1キロも離れた場所で厳しい規制を受けながら、見物していたのである。パンをかじりながら、座り込みながら、はしゃぎながら待つ人々の様子に、同行した中国人スタッフは「夏祭りみたいですね」と感想を口にした。

少なくとも北京にいる人たちはこのイベントを前向きに捉え、習主席のことを好意的に見ているようだ。過剰な宣伝やあからさまな演出に閉口しているのではないかと思いきや「地方の人はもっと盛り上がっている」(日本大使館幹部)という。
なぜか。
国民の期待に応えている習近平
共産党の下での急速な経済発展によって都市部を中心に富裕層が増え、生活は便利になり、効率化は進んだ。新型コロナウイルス対策も、中国の徹底管理は他国を圧倒して奏功している。
式典に伴う管理や規制は今に始まった話ではないし、与えられた環境下での自由を楽しむのは中国人にとってごく自然なふるまいだ。
個人の権利意識が強い日本よりも、不便や不都合は感じていないだろう。

政治の本質が国民を幸せにすることなら、習主席の政治は多くの中国国民の期待に応えていると言っていい。その人気も作られたものではなく、広く国民に根付いているように感じられる。日本大使館の幹部は「国民も習主席が好きだし、習主席も心から国民を大事にしているのだろう」と語った。
習主席は記念演説の中で「共産党と人民」「共産党が人民を導き」という表現を何度も使い、愛国心を煽った。

ただし、習主席と国民の蜜月関係もあくまで「今のところは」だ。何故なら、中国の将来には数多くの不安材料が待ち受けているからだ。
待ち受ける不安材料
将来不安のひとつは経済だ。押し寄せる少子高齢化の波は労働人口の減少につながる恐れがあるが、いまだ有効な対策は見いだせていない。経済成長の鈍化が国力の衰退、ひいては国民の不満に繋がることを習主席は最も恐れているだろう。

また、習主席1人への権力集中がもたらす、政権基盤の脆弱化も懸念材料だ。
今回の記念式典は2022年の党大会を見据えた、習主席の絶対的地位の確立にむけた過程のひとつだとされる。すでに不動の地位にいる習主席にさらなる権力が集中すれば、助言や苦言は耳に入りづらくなり、独善に陥りやすくなる。各種の状況判断や決定が適正になされるかは甚だ心許ない。
権力の集中を避けるための、7人の政治局常務委員からなる集団指導体制はいまや有名無実化している。

後継者の候補も見当たらなければ、習主席に「もしも」のことがあればどうするのか、誰もわからない。
選挙を経ないまま、その統治の正当性を主張してきた共産党は「今のところ」は存在する、民意の支持を追い風に今後もその独善的な路線を突き進んでいくだろう。
習主席が演説で「教師ヅラした説教は絶対に受け入れない」とアメリカなどを強くけん制したのはその証左である。
ただ、こうした不安要素の数々が現実になれば、民意は離れ、共産党と習主席の正当性は急速に失われていくに違いない。
【執筆:FNN北京支局長 山崎文博】