震災から10年…父に憧れ、同じ教員に
福島・相馬市の桜丘小学校。
5年1組の担任は、2020年に教員になった佐藤季さん。

佐藤さんが心掛けているのは「授業を楽しく」。
児童:
明るくて優しい先生
児童:
(好きなところは)元気で授業を楽しくしてくれるところ、いつも授業が楽しくなる

佐藤季さん:
普段から動きはコミカルなんですけど、でもマスクをしててお互いに表情とか思いが伝わりにくくなっているので、どちらかというとやる方にしようと思ってます

教員の父に憧れ、同じ道に進んだ佐藤さん。
子どもたちと接する中で、日々思い返していることがある。
佐藤季さん:
あの時の私たちの言葉を大切にしてくれたっていう大人の存在を、感謝してもしきれないと思っています。なので子どもたちに伝えたいのは、誰かが何かをしたいと本当に思った時に、支えてくれる人が必ずいるということ

2011年の夏…考えた言葉通り福島で生きる
東日本大震災が起きた、2011年の夏。
福島県で行われた「全国高校総合文化祭」

文化部に所属する全国の高校生が、活動の成果を発表する大会。
この開会式で披露された劇「福島からのメッセージ」でセリフとなったのが…

「福島に生まれて 福島で育って 福島で働いて 福島で結婚して 福島で子どもを産んで 福島で子どもを育てて…」。

当時高校3年生で、大会の実行委員を務めた佐藤さんが考えた言葉だった。

佐藤季さん:
(震災後)学校がやっと始まって、実行委員の人達が集められて、「ふくしま総文について率直にどう思ってるか書いてください」って、推進室から渡された紙がこれだったんです。
ホールが震災で崩れたり、発表を予定していた学校が避難しなければいけない状況になったり、福島県が震災の後に四重苦の被害を抱える中で、やっぱり私は原点に立ち戻りたいなという思いはあったんですね。
そのままそれを深く考えずに書いたんです

震災を知らない子どもたちへ伝えたいこと
東日本大震災から10年。
あの時の言葉通り、福島で生活する佐藤さん。
震災を経験したからこそ、子どもたちに伝えたいことがある。

佐藤季さん:
多くの大人たちが、選択を迫られたと思うんですね。
子どもを福島で育てるのか、そうじゃないのか。福島県産のものを食べるのか、そうじゃないのか。
私たちはすごく困難に見舞われた時にも、選んでいかなきゃいけないなって感じたので、目の前にいる震災を知らない子どもたちにも、何かに直面した時に自分で決められるような力を持って生きていってほしいなって思います

大人になり、改めて気づく福島の魅力もある。
佐藤季さん:
私は山の人なので、灯台っていうモノとか、こういう海みたいなモノとかは本当になじみがなくって、初めて来たときに海と地面の境目を見て、地図を持ってすごく感動したのを覚えています
これからも福島で一歩一歩、自分の道を歩んでいく。
佐藤季さん:
2021年、佐藤季は、きっとあの言葉通りに生きていくと思いますが、本当に巡り合わせって、すごく素敵なことで、これからも今まで出会ってきた人、これから出会ってきた人と私は前に進んでいくと思うので、夢が叶ったらいいなと思っています

「福島で子どもを育てて、福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。あなたが福島を大好きになれば幸せです」
(福島テレビ)