雲仙普賢岳の火砕流から30年 「定点」のいまを取材

43人が犠牲になった雲仙普賢岳の火砕流惨事から、2021年6月3日で30年の節目を迎える。

この写真は、チャーターしていたタクシーの運転手を含め、取材関係者20人が犠牲になった通称「定点」から捉えた普賢岳だ。

撮影:西川完 山礪河帯(さんれいかたい)
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地元の写真家、西川完さんの作品で、災害の教訓を忘れないという固い誓いと、星の流れで30年という歳月を表現している。
曲折を経て、新たな災害遺構として整備された「定点」のいまを取材した。

30年前の1991年5月、普賢岳山頂に溶岩ドームが出現し、火砕流が頻発するようになると、一目で山の変化が捉えられることができる狭い道路沿いにマスコミが集まり、そこはいつしか「定点」と呼ばれるようになった。

1991年5月下旬 長崎・島原市

そして、6月3日に大規模な火砕流が発生。

1991年6月3日 火砕流で43人が犠牲に

マスコミ関係者だけでなく、彼らに退避を伝えるため直前まで現場に留まった警察官や、土石流警戒にあたっていた消防団員などあわせて43人が犠牲になった。

その後、警察官や消防団員が犠牲になった場所には、火砕流で被災した消防車やパトカーが保存され、慰霊の鐘や追悼の言葉を刻んだ碑が建てられた。

火砕流で被災した車両

その一方で、報道関係者が亡くなったいわゆる「定点」は、周辺の取材車両などは放置され、目印として木製の白い三角錐が置かれただけだった。

「定点」には木製の白い三角錐が置かれたのみ

過熱気味とも言える当時の取材状況もあって、住民の不信感は強かった。
「消防団員などの犠牲は避難勧告地域に留まり続けたマスコミのせい」
そんな厳しい視線が向けられてきたことも、一因となっていた。

被災30年「定点」保存整備に約70人…住民の姿も

しかし、被災30年を機に、地元の安中地区町内会から定点周辺も保存整備しようという声が上がり、慎重な議論を重ねて実現にこぎつけた。

安中地区町内会連絡協議会・阿南達也会長:
子どもの防災教育とか、災害についての語らいの場として、ここは充実させていくべきだと思って。30年が来て、皆さん浮かばれるんだなあと思って

そして2021年1月、定点周辺に住民や行政、そして新聞、放送関係者が集まり、整備事業が始まった。
この日は厳しい冷え込みにもかかわらず、約70人が草刈りに汗を流した。

住民・行政・新聞・放送関係者が集まり草刈りを

参加者の中には、マスコミに対して長年、複雑な思いを抱え続けてきた元消防団員の喜多淳一さんも参加していた。

元消防団員 喜多淳一さん:
(マスコミのせいという思いは)以前は結構 強かったけど、皆がそれぞれ自分の仕事をしながら犠牲になっているんだから。今となっては一緒かなと

今回の資金は、趣旨に賛同した報道各社や個人の寄付で賄われている。

長崎新聞労組 特別執行委員・山口栄治さん:
地元の方がこれだけ(マスコミが)犠牲になった場所を、地元の方が整地して下さっている姿を見て、本当にありがたい

西日本新聞 相本倫子長崎総局長:
長崎に(赴任して)来た記者がみんな一度はここに来て、考えていく機会になればいいと思います

テレビ長崎・宮前周司社長:
地元の方たちには災害が深く刻みこまれて今に続いているけれど、取材していたメディアの方には、どれぐらいそれが伝えられているのかと自戒を込めて(参加した)

埋もれていた取材車両と2台のタクシー

作業が終盤に入った3月。
土砂や火山灰に埋もれていた新聞社の取材車両1台と、カメラマンを乗せていた2台のタクシーの計3台が掘り起され、この日、整地されたコンクリートの土台に安置された。

車内からは、犠牲になったカメラマンが使っていた撮影機材も見つかった。

毎日新聞・神崎真一支局長:
望遠レンズなど、機材がたくさん出てきました。先輩方に起きたことを考えると、重たい気持ちでいっぱいでしたね。「この災害を忘れるな」と、そういう強いメッセージをわれわれ後輩に与えてくれたものだと思いまして、とても重く受け止めています

新聞社の取材車両1台、カメラマンを乗せていたタクシー2台

そして3月22日。
工事が大方終了し、関係者に披露された。
溶岩を2つに割って建てられた新たなモニュメントは、普賢岳に向かって手を合わせて祈る様子にも見える。

新たなモニュメント

安中地区町内会連絡協議会 阿南達也会長:
30年前の教訓を語り継ぐ場所として、管理をしていくつもりです

災害前の段々畑の石垣や生活用水に使っていた水路など、かつての上木場地区の風景もよみがえってきた。

当時、安中公民館に勤務していた杉本伸一さん:
記憶というのは、そこに思い、人々の思いが入っていく。そういうのも含めて伝えることで、初めてこの雲仙普賢岳の災害がちゃんと伝えられるのかな

災害報道をめぐって、いわば痛ましい負の十字架ともなった「定点」。

災害の教訓を語り継ぐ場としてだけでなく、マスコミが住民と心を通わせて語り合う場にできるのか、これからに向けた活用の模索が始まる。

(テレビ長崎)