
先日「心房細動」という不整脈が見つかり、入院して心臓の手術を受けた。
結果的に事なきを得た手術であったが、様々な相談をした主治医の話から、医療現場が直面している現実の一端を垣間見た気がした。望まない体験ではあるが、記憶に残る出来事にもなっただけに、少しだけ振り返ってみたい。
説明責任と信頼
手術前夜、担当の先生と2人きりで行った面談では病名と手術の概要に加え、以下のような説明がされた。
心臓から出血するリスク、他の複数の臓器への影響、絡み合う血管を傷つける恐れ…。予想される患部が違う場所にある可能性や再手術に関する話もあった。個々のリスクはほぼ1%未満、正確に覚えているわけではないが、数にして10近くにのぼっただろう。患者の理解と納得を事前に得る大事なプロセスであることはわかっていたが、一連の説明を受けた後、私は思わず言葉を発していた。
「患者への説明責任は大事だが、脅しに聞こえてしまう方もいるんじゃないですか」
担当医とはのべ3か月の付き合いで「何でも聞いてほしい」とは言われていたが、かなり失礼な話だったかもしれない。果たして先生の答えは意外なものだった。
「そうなんですよね。どうすればいいと思います?」
想定外の逆質問であった。私からすれば、命を預ける医師が普通の人に戻ったような感覚を覚えた。自分が医師に聞くことはあっても、医師から聞かれたのは初めてだったからだ。
人が行う以上、手術に100%はなく、「もしも」の可能性を伝える必要に異存はない。むしろ当然だ。先生曰く、そうしたリスクを説明することは、患者本人はもとより、家族の安心につながる場合が多いという。

一方で患者が過度な恐怖を覚えたり、委縮する事態も極力避けるべきだろう。実際に患者の私が過剰だと感じたからこそそれを話し、その趣旨を先生も理解したのだと思っている。専門用語を交え、こと細かに書かれた手術や検査の同意書も、「説明」と「責任」が重視される現代社会を象徴するようで、何とも割り切れない思いをしたことを先生には伝えた。
手術の話から少々脱線したやりとりが続いたが、結局先生と私が一致したのは「患者と医師の信頼関係が大事」という至極当たり前のことであった。
いくら検査で大丈夫だと言われても、手術に至る文書の中身が完璧でも、手を下す医師への信頼がなければ患者は自分の身体を委ねることに躊躇してしまうだろう。
先生も適切な処置とは別に、患者との信頼関係の構築に一番心を砕いていると言っていた。
もっともこれは患者と医師に限らず、人間関係全てに言えることだろうし、私自身、先生を信頼するに足る理由を具体的に説明した上で手術に臨んだ。
かつて尊敬された職業

思えば医師はもちろん、学校の先生や、広く言えば政治家もかつてはもっと信頼され、尊敬される存在だったのではないか。
私が小学6年時の担任はまさに鬼のような怖い人で、私も含め男子生徒は例外なく殴られた。もちろん悪さをしたからであるが、自分のクラスは格別出来が悪かったためか、卒業アルバムに先生から「騒がしいクラスだった。よく説教をした」とまで書かれたほどだ。
それでも先生はクラスをまとめ、保護者からも絶対の信頼を得ていた。後年すっかり好々爺となった先生を囲んだ際「もう昔みたいには出来ない。教師の裁量がどんどん減っている」と嘆いていたのが印象深い。
政治家も本来は地元の発展に寄与し、国を豊かにする大事な存在であるはずだ。「選良」と呼ばれる所以である。もちろん暴言や不祥事が許されるはずもないが、ある先輩記者からこんな問いをもらい、答えに窮したことがある。
「清廉潔白だけど何もしない政治家と、私生活はだらしないけど自分の役割をしっかり果たす政治家、どちらがいいと思う?」
甚だ極端な話ではあるが医師も教師も政治家も、完璧な人などいない。それでも以前と比べて尊敬の念が薄れ、責任ばかりが問われ、信頼を得にくくなっているのではないか。正確さやモラルが大事なのはもちろんだが、余裕やゆとりの領域が狭くなっているのは間違いなさそうだ。
特に関心の低下が著しい政治に関して言えば、政治家には地に足のついたプロフェッショナルとしての実りある行動と説明が、有権者には政治家のプロ能力や実態を見抜く的確な視点がそれぞれ必要なのかもしれない。
本当の信頼関係とは

私を担当した医師は会社に定期的に来ることがきっかけでお世話になったが、実は初対面の印象は「怖い」「愛想が悪い」だった。私の思い込みかとも思ったが、入院先の後輩の医師に聞いても初めて会った時の印象は「冷たい」だった。
それが「医療のプロ」として患者のことを考え、飾らず率直な指摘をしていることに気づくまでしばらく時間はかかったが、結果的に私はそれを理解出来た。幸運だったと言ってもいい。
記者として培った取材癖か、元来のひねくれた性格からか、しつこく食い下がる生意気な私に丁寧に対応していただいたことに、改めて感謝を申し上げたい。初対面の印象を「冷たい」と語った後輩医師も「付き合ってみると、休日返上で面倒を見てくれる人だった」と評価していたことを付記しておく。
最後に、入院中に微笑ましいことが2つあった。
ひとつは先生が手術前「小泉進次郎さんの結婚も取材されたりするんですか」と初めて治療以外のことを、照れながら話題にしてくれた時。
もうひとつはある女性看護士が「夜は禁食ですが、ヨーグルトくらいなら食べても大丈夫ですよ」といたずらっこのような表情で囁いてくれた時。
大事な信頼関係は、思いもよらないところで出来るのかもしれない。