ロシア・カムチャツカ半島沖で発生した地震と津波警報を岩手に向かう新幹線の中で聞いた。
東日本大震災で甚大な被害に遭った岩手県大槌町に住む知り合いを訪ねる途中だった。
“被災地”大槌での人々の対応
7月30日午前9時半過ぎ、東北新幹線の新花巻駅で降りると、海沿いの釜石に向かう列車はすでに運転を見合わせていた。釜石に限らず、海の方に向かう列車はほぼ全てが運休になった。

大槌町に住む知人に連絡すると、サイレンが何度も鳴り、緊急放送で高台に避難するよう指示が出たという。高台は役場の上に位置していて、避難してきた人でごった返していたそうだ。

高台の駐車場で撮った写真からは、車がすし詰め状態になっているのが見て取れる。大槌の海を臨む、その高台から撮影した街の写真を見ると人々の姿が映っていない。全員が避難していたからだ。

知人からは第一波が観測される前後に「少し波が引いているようだ」との連絡もあった。海の様子が普段とどう違うか、些細な変化も見逃さない地元の人々の感覚には驚かされる。
釜石でも避難 「落ち着きこそ大事」
高速道路の乗り降りも一部で規制がかかり、海沿いの街へのアクセスは制限された。当初予定していた釜石駅前のレンタカー会社にキャンセルを伝えようとしたが、電話には誰も出なかった。釜石の人たちも全員が避難していたため、駅や店舗などは夕方までほぼ無人になったそうだ。

宿泊する予定だったホテルにも連絡を入れたが、ここも一人を除いて全員が避難したという話だった。応対した従業員にホテルに残っている理由を聞くと「遠いところでの地震は津波が到達するまでに時間がかかるし、来てしまったお客様を避難誘導する必要があるために残った」という。

「満足なおもてなしが出来ないので、むしろ早めにキャンセルしてもらう方がいい。自分もいざとなればすぐに逃げるから大丈夫」という言葉は優しくもあり、また非常に落ち着いていた。改めてホテルの方に聞くと「落ち着くことが何より大事ですから」と言われた。
大きな混乱や被害もなし
2011年の東日本大震災で、大槌町では死者・行方不明者が1286人にのぼった。今回の一連の対応について、役場の担当者に聞くと「以前から作成してあったマニュアルの通りに避難指示を呼びかけ、大きな混乱や被害は起きなかった」という。

高台にある体育館など、町内で16カ所に避難所が設置され、暑い中での避難ということもあってペットボトルの水も配布されたそうだ。過去にはトンガで海底火山が噴火した際(2022年)に同様の対応を取ったという。徹夜で対応にあたったと話す防災課の職員の表情には疲労がにじんでいた。

大槌町では8月5日に、震災の被害者らを慰霊する新たな施設が開設する。震災当時、津波で遊覧船が建物の上に乗ってしまった赤浜地区の記念碑には「地震が起きたら高台に避難せよ」との言葉が刻まれている。被災地にとって震災は過去のものではなく、今も向き合う現実であることがよくわかる。

知人宅にお邪魔した際、大槌町の復旧・復興を支援した埼玉・川越市の職員とも偶然ご一緒し、震災当時の話、街の未来の話、亡くなった共通の友人の話などに花が咲いた。大槌の人たちの優しさに触れたひとときでもあった。
【取材・執筆 FNNプロデュース部長 山崎文博】