シリーズ、東日本大震災。今回は震災で家族5人を亡くした、宮城・気仙沼市の父と子の10年の物語。
突然、父子家庭になった2人。息子の夢をかなえるために奔走する父親。父に恩返しがしたいと夢に向かって歩み始めた息子。それぞれの10年。

東日本大震災で家族5人を失った父親と息子

宮城・気仙沼市松川で牛乳販売店を経営する千葉清英さん(51)。2011年に津波で職場が被災し、現在も事務所を借りて、牛乳販売を続けている。

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千葉清英さん:
早いですね。10年経つの。このヨーグルトに助けられてきたし、数えきれない人の応援があってこそ、今があるとつくづく感じますね

千葉さんは津波で妻の美奈子さん(当時40)と、娘のくるみちゃん(当時6)、祐未ちゃん(当時3)と美奈子さんの両親の家族5人を失った。

震災後は、長男・瑛太くんと2人暮らしに。慣れない仮設住宅での生活が続いた。当時10歳だった瑛太くんは、南気仙沼地区の慰霊祭で家族への思いを語った。

千葉瑛太くん(10):
みんな天国に行っちゃったんだよね。だからいつまでも天国からパパと僕を見守っていてください。最後に、僕は千葉家の家族に生まれてきてよかったです。ありがとう。瑛太より

息子の夢のために、バッティングセンターを

高校球児だった千葉さんと野球少年だった瑛太くん。震災後、千葉さんは仕事の合間を縫っては、瑛太くんと2人で岩手県のバッティングセンターに通った。

「お父さん、気仙沼にバッティングセンターを作ってよ」

瑛太くんが何気なくつぶやいた言葉に千葉さんは情熱を傾けていく。

建設資金に充てるため、オリジナルヨーグルトの販売を始めた。

取材班:
何本売ればいい?

千葉清英さん:
200万本!必ず売ってみせます

「夢は必ずかなう」千葉さんが瑛太くんに伝えたかった思いに共感し、支援の輪は全国に広がった。

そして、2014年。バッティングセンターが完成。親子の夢が現実となった。

震災から10年 息子の新しい夢

震災から10年、瑛太くんは19歳になった。
瑛太くんは親元を離れて関東の高校に進学。2020年に卒業した。2021年3月からは高校の同級生とシェアハウスを始めた。

千葉瑛太くん:
イギリスの学校は日本よりも1年間、義務教育が長い。だから大学に入るために1年分のプログラムを受けないと入れない

瑛太くんは2022年、イギリスに留学するため、いまは語学の専門学校に通っている。

千葉瑛太くん:
人と人のつながり、自分も震災を経験したように、人とのつながりが大きなパワーを生み出すと思うので、人と人のつながりを勉強できれば

震災から10回目の正月。2人でお墓を訪れるのは1年ぶり。

千葉瑛太くん:
少しでも自分が成長した姿、やってきたことを報告して、喜んでいるんじゃないかと。それが自分にできることだと思う

高校進学と同時に野球を辞めた瑛太くんだが、帰省したときは必ずバッティングセンターを訪れる。

千葉清英さん:
先の話は言いづらいけど、体力が続く限り、喜ぶ子が1人でもいる限り、開けていければいいなと思う

千葉瑛太くん:
中学で野球に熱中していた、一生懸命頑張っていた頃を思い出す。親の背中を見てきた分、自分が東京の生活を通して成長した姿を見せようと思ったのも大きく変わった

家族を亡くし、一緒に夢を追いかけた父へ。新たな夢を追うことで恩返しがしたい。瑛太くんは、そう考えている。

(仙台放送)

仙台放送
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