2024年7月28日、静岡県菊川市の住宅で男女3人が血を流して倒れているのが見つかり、その後死亡が確認された。死亡したのは、この家に住む当時87歳の夫と81歳の妻、それに52歳の娘。現場に犯人の姿はなく、警察は現場の状況から殺人事件と断定して公開捜査に踏み切り、容疑者の顔写真と名前を公表した。
3人が殺害された事件 逮捕されたのは孫で元自衛官
容疑者は元自衛官で当時27歳の男、夫婦の孫で、娘の甥にあたる人物だった。事件から約50時間後、現場から約360km離れた鳥取県鳥取市で身柄を拘束された。自ら腹部を刃物で刺した状態で見つかって入院。警察は男の回復を待って殺人の疑いで逮捕した。その後、男は祖父母と叔母の3人をナイフで刺して殺害した罪で起訴された。
被告の男はなぜ3人を殺害したのか。事件から約2年3カ月経った2026年11月4日、静岡地裁浜松支部で初公判が開かれた。事件当時の生々しい状況や被告の動機、逃走中に書き記した日記の内容などが明らかとなった。
初公判 争点は責任能力
坊主頭にマスク姿で法廷に立った被告の男。雨が降っていた浜松市の少し肌寒い法廷で、被告は半袖半ズボン姿だった。来司直美裁判長が、名前や住所などを確認するため、被告に尋ねると被告ははっきりとした口調で「はい、間違いないです」と答えた。その後、検察官が起訴状を読み上げ、来司裁判長が内容に間違いがないか、尋ねると被告は再び「間違いないです」と答えた。
今回の裁判の争点は、被告に責任能力があるかどうかだ。一般的に、責任能力は2つの要素に分けられる。1つめは「事理弁識能力」で、行為の善悪、違法性を理解・半胆する能力だ。2つめは「行動制御能力」犯行を思い留まる能力だ。これらの能力の有無が問われている。
検察は冒頭陳述で、被告が「パーソナリティ症」と呼ばれる、著しく偏った考えや行動を特徴とする精神疾患の診断を受けていたことを明らかにした。この点について、争いはないと説明した上で、それでも「犯罪行為を思い留まることは十分に可能だった」と主張し、被告に完全責任能力が認められると指摘した。
一方、弁護側は「犯行時は心神耗弱状態にあり、行動制御能力が著しく減退していた」と主張した。
犯行動機は歪んだ憎悪
裁判ではその動機と犯行に至るまででの経緯について、検察側から明かされた。検察によると、被告は高校卒業後、自衛隊に入隊。しかし3年足らずして依願退職している。主な理由は人間関係だった。練馬駐屯地の第一偵察隊で厳しい上下関係に悩まされたという。自衛隊を辞めたあと、被告は自分を虐げた自衛隊の隊員を殺したいと思い始める。やがて自らが適応できない社会に恨みを募らせ「人」に対する殺害願望を抱くようになった。
そこで人を殺害できるフランスの外国人部隊への入隊を望み実際に渡仏。しかし入隊することなく1週間で帰国した。その後、2歳年上の兄と同居し、派遣会社に入社したものの、人を殺したいという感情は消えなかった。
派遣会社を辞め2度目の渡仏。しかし、自ら兄に帰国したいと連絡し、兄もこれに賛成。結局、入隊することなく、再び帰国した。このころから被告の兄に対するいびつな憎悪が渦を巻いてくる。被告は部隊へ入隊できなかったのは、兄が帰国に賛成したからだと考え、兄を逆恨みするようになった。
こうしたなか、離婚していた被告の父親が亡くなり、兄が委託した弁護士から被告に
遺産約1200万円が相続できるとの連絡があった。遺産が入ることを見越した被告は仕事を辞めた。しかし、遺産相続の手続きは思うように進まず、いつまでたっても入金はなかった。
「兄が自分の人生を踏みにじった」と復讐を決意
被告は手続きが進まない原因が兄にあると思い込み、「兄が自分の人生を踏みにじった」と考え、復讐を決意する。兄の大切な人間を殺害して、兄に生きながらにして苦痛を与えようと考えるようになり、兄の大切な人間を殺害するなら、自分を苦しめてきた社会一般の「人」も殺害しようと考えるようになった。
弁護士から6、7月での相続分の入金の見込みがないと聞いた被告は事件の2カ月ほど前、殺人計画の実行を決意する。それは、兄にとって大切な祖父母と叔母、そして母親の4人を殺し、虚偽の通報をして駆け付けた警察官を殺害した上で、拳銃を奪い、近隣のスーパーマーケットで無差別殺人を実行するという計画だった。その後、景色のきれいな鳥取市の海岸まで移動して自殺するまで想定していた。
「私の人生は憎悪と復讐に翻弄された人生だった」
遺書と題する文章も作成していた。そこには、「何でこんなに辛いんだろ」と何度も書かれ
「苦しい息ができない、立っているのに溺れそう」「自分が嫌というほど嫌いなのに、自己愛が身を包んでいる」「私の人生は憎悪と復讐に翻弄された人生だった」と記されていた。
3人殺害も「計画失敗」
2024年7月28日、事件発生当日、被告の神奈川県川崎市の自宅にあるパソコンには、「日記」題された記録が残されていた。そこには、「状況開始(=作戦開始)」と記されていた。
被告は準備したサバイバルナイフなどの犯行道具を入れたリュックサックを背負い、電車を乗り継ぎ、静岡県菊川市へ向かった。菊川駅からは徒歩で祖父母の家へ向かったが、現場に一緒に暮らす母親の車がないことに気づいた。帰宅を待ちながら準備をしたが、誰かが不在であることは想定済みだった。計画に沿って祖父母と叔母の殺害を決断した。
玄関から家に入ると、祖母は「お茶を出す」といいキッチンへ向かった。被告はダイニングに祖父と叔母がいることを確認すると脱衣所でサバイバルナイフを準備。祖母の腹部を突き刺した。次に、祖父と叔母のもとへ向かった。この際、叔母は母に電話し被告の来訪を伝えたあと、「(被告名)ちゃん、やめて、死んじゃう」などと叫び声をあげた。被告は叔母、祖父の順にナイフで首や胸を突き刺し、それぞれ脈がないことを確認した。
母親は固定電話に繰り返し電話をかけていた。一度だけ被告が電話に出た際、被告は母に「何でもない」などと話した。
被告は母親か叔母が警察に通報したと考え、これ以上の殺害計画の遂行は困難だと判断し、返り血のついた服を着替え、逃走に不要なものなどを現場に残し立ち去った。
母親が菊川警察署に通報し、現場に駆け付けた警察官が住宅に入ると「助けて」という女性の声が聞こえた。祖母の声だった。警察官が誰にやられたのかたずねると祖母は「孫にやられた」と話した。
叔母はその場で死亡が確認され、祖父母はそれぞれ搬送先の病院で死亡が確認された。
3人の傷はいずれも、極めて強い力で肺や心臓などの臓器にまで達していた。
逃走中の手記 被告の思い
3人を殺害したあと、被告は現場から逃走した。近くの川に携帯電話も捨てて、当初の計画通り、鳥取県鳥取市を目指した。被告は逃走中、別のスマートフォンを用意していてメモ機能に日記を残していた。事件直後には、「計画が失敗した。まさか叔母が母を呼びつけるとは、通報されちまった」「別の携帯とアカウントを用意していてよかった」と記している。犯行現場から菊川市内の山に移動した被告はそこでリュックサックなどを捨てた。山中では「竹からは水滴一滴しかでない、精神が屈服しても魂が立ち上がった。夜になったら行動しよう、おいおいウソだろ、ヘリが来やがった暇なのかよクソ公務員」などと記していた。
へリコプターが去り、日が沈むと、被告は菊川市内のホテルに向かい宿泊した。ニュースで自ら犯した事件を知ると「人殺しは別に楽しくなかった」「オリンピックの裏に流れる暗いニュースの主だ」「捕まったら最後、死を奪われる」殺人については、「あ、こんなもんか、意外と何回さしても生きていたししぶといんだね」こう記していた。
翌日、被告は新幹線などを乗り継ぎ、鳥取市まで移動。「休んだ、あとは自殺すれば終わりだ」「自分の勇気を命をもって証明するのだ、そうすることで私は私を愛することができる」などと記していた。

被告は鳥取市内の海岸で腹部をナイフで突き、自殺を図ろうとするが未遂に終わった。その後、ラブホテルに宿泊。フロントにカツカレー、ピラフ、ミックスピザを注文した。ホテルに滞在していた被告を警察官が発見し逮捕した。
判決は12月4日予定
裁判は計7回を予定している。被告の責任能力は認められるのか、判決は12月4日に言い渡される予定だ。
(テレビ静岡)

