東日本大震災で気仙沼市の自宅を津波に奪われ、移住先の栗原市で民泊を営む夫婦がいる。小野寺徳茂さんと妻の恵子さんが追い求めるのは、訪れた人がいつか経験するかもしれない災害を考え、命と向き合うきっかけをつくることだ。震災から15年が経ついまも、2人は宿泊客に語り続けている。
海から遠く離れた山間部に佇む宿
宮城県北部に位置する栗原市。海岸線から遠く離れた山間部に豊かな田園地帯が広がるこの地域の一角に「自然体験と防災談義の宿 民泊やまざき」はある。
玄関を入ると、まず目に飛び込んでくるのがウェルカムボードだ。徳茂さんがその日にちなんだ花言葉と絵を毎日欠かさず手書きしている。
蔵を改装した宿泊室には重厚な梁が走り、独特の落ち着きがある。「やまざき」という宿名は、この土地の前の家主の屋号をそのまま引き継いだもの。
宿泊客は主に県外からの訪問者で、予約は月に2〜3件ほどだ。
2012年、栗原市へ——移住の始まり
2人がこの地に移り住んだのは2012年のことだ。
震災前、小野寺さん夫妻は気仙沼市の鹿折地区に暮らしていた。2人が慣れ親しんだその場所は、東日本大震災の津波に飲み込まれた。
小野寺徳茂さん:
できればあの地を離れたくはありませんでした。でも、私たちが住んでいた土地は川のすぐそばで、災害危険区域に指定されたんです。
移住した栗原市で始めたのが、民泊だ。
小野寺恵子さん:
私たちが栗原に移住してからも気仙沼に来てくださる支援者の方が、うちに泊まることが続いてたんです。息子から"どうせだからやったらいいんじゃないの"って言われて、自分から楽しく過ごせるようにっていう気持ちで。
被災後の暮らしを受け身ではなく、前向きに切り開こうとした2人の姿勢が伝わってくる。
まき割り、野菜の収穫 共に過ごす自然体験
民泊「やまざき」の特徴の一つは、小野寺さん夫妻と一緒に行う自然体験だ。まき割りや野菜の収穫など、港町・気仙沼で育った2人自身も楽しみながら学んでいる途中だという。
食事は宿泊者が自分で用意するスタイルだが、小野寺さん夫妻が丁寧にサポートしてくれる。
この日はピザづくり。徳茂さんと恵子さんが声をかけ合い、チーズがたっぷりのピザを焼き上げた。こうした共同作業が、見知らぬ宿泊客と夫婦の距離を自然と縮めていく。
食卓を囲みながらの「防災談義」
そして、もう一つの大きな特徴が、食事中に行われる「防災談義」だ。ざっくばらんに、しかし真剣に、震災の経験や命の大切さについて話し合う時間である。
実は徳茂さんは震災当時、気仙沼市立鹿折小学校の校長を務めていた。地震発生後、校庭に避難し、迎えに来た保護者への対応に追われるなか、子どもたちを学校隣の高台へ避難させるという判断を下した。混乱と緊張のなかで校長として命を預かった経験は、15年経ったいまも鮮明に残っている。
防災談義でとくに力を込めて伝えているのが、「命を守る」という行動の難しさだ。
小野寺徳茂さん:
津波警報になって逃げようとしたとき、隣のおばあちゃんが1人で歩けないっていうことに気づいたんです。ここを一番皆さんに話すようにしています。
理論では「逃げるべき」とわかっていても、目の前に助けを必要とする人がいたとき、どう動くのか。
小野寺徳茂さん:
いざとなった時に、どこに逃げるんだとか、誰と行くんだとか、そういう取り決めを家族でまず話し合ってください。どうすればいいのか、いまのうちから考えておくことが大事。
徳茂さんの言葉は、実体験に裏打ちされた重みを持つ。
「命を大事にしよう」 語り継ぐことの意味
震災から15年が経過し、記憶の風化が懸念されるなか、小野寺さん夫妻は語り続けることを選んでいる。
小野寺恵子さん:
難しいかもしれませんけど、努力していくことがね、何かになるかもしれない。
小野寺徳茂さん:
自然災害は、いつ誰にでも、どこにいても起こりうること。危機感を持って過ごしてほしい。命を大事にしよう。自分の命、自分で守るんだって伝えていきたい。
栗原市の静かな山あいで、2人は今日もウェルカムボードを書き、食卓を囲み、語り続ける。その積み重ねはきっと、いつかどこかで誰かの命を救う一助になるだろう。

