シリーズ『復興検証42兆円のゆくえ』第5弾は、平時から災害からの復旧を考える「事前復興」だ。宮城県の村井知事は、もし震災前に「事前復興計画」が策定されていれば「復興予算の半分以下でできたのではないか」と語る。「事前復興計画」とはいったいどういうものか。そして、なぜ今も策定が進まないのか。被災地で浮かび上がる課題を追った。
津波で夫を亡くした女性が、いま伝えること

2026年8月、宮城県石巻市北上地区を愛媛県の高校生が訪れた。愛媛県は近い将来、南海トラフ巨大地震で甚大な被害が予想されている。東日本大震災で267人が犠牲になったこの地区で、「災害への備え」を学ぶためだ。
出迎えたのは、まちづくり活動団体「ウィーアーワン北上」の佐藤尚美さん。石巻市出身の佐藤さんは震災で夫を失い、被災者でありながら、震災からおよそ1年後に復興支援活動を行う団体を立ち上げ。高台移転の際の住民の合意形成などに取り組んできた。その過程で得た経験や反省を伝承活動の一環として講演している。
佐藤さんが伝え続けるのは「常日頃から災害に備えること」、すなわち「事前復興計画」の重要性だ。
佐藤尚美さん:
やはり大きな災害があってからだと、全てが人命最優先で進みます。そうなる前に、平時にもっと未来を見据えた計画作りが本来できるはず。私は『事前復興計画』、すごく良い制度と思っている。
高校生たちに向けた佐藤さんの言葉には、切実な後悔がにじむ。
佐藤尚美さん:
私たちは自分たち世代のことばかり考えて決めたから、自分たちが暮らしたい場所に限界集落を10個作った。他に選択肢があったんじゃないか。私たちはもう少し10年後、20年後、ここで暮らす人たちを思って、あの時選択すべきだったというのを、すごく思っている。
復興の只中では、未来の住民のことを落ち着いて考える余裕はなかった。だからこそ、「平時だからこそ必要なもの」として事前復興計画を訴える。
策定しているのはわずか2% 「事前復興計画」とは何か

「事前復興計画」とは、災害が起きた後に復興事業に着手するのではなく、災害が起きる前に、どこにどのような街を造るのかを住民と行政があらかじめ考えておくものだ。1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに生まれた考え方で、策定は義務ではないが、被害の最小化だけでなく、迅速な復興や予算削減にもつながると考えられている。
この計画の重要性が今あらためて注目されている背景には、近い将来に高い確率で発生するとされる「南海トラフ巨大地震」がある。国の被害想定によれば、神奈川県から鹿児島県にかけて震度6弱以上の激しい揺れや最大34メートルの大津波が発生し、最悪のケースでは死者が29万8000人、経済的な被害・影響額は292兆2000億円にのぼるとされる。

こうした状況を受けて、国はガイドラインを作成し、全国の自治体に事前復興計画の策定を促しているが、現実は厳しい。2026年1月末時点で、すでに策定している自治体は「32」にとどまる。全体に占める割合はわずか2%だ。
仙台放送が宮城県内の全市町村に確認したところ、唯一、亘理町が「地域防災計画」を事前復興計画として位置づけているだけで、ほかに策定している自治体はゼロだった。「専門知識を持つ職員の不足」を、策定が進まない理由とする自治体もあれば、「策定するかの議論もしていない」という自治体もあった。
宮城では次の大地震の発生も懸念されている。利府町周辺から仙台市を通り村田町までおよそ40キロにわたる「長町-利府線断層帯」が活動した場合、県の「第五次地震被害想定調査」では宮城県内で最大震度7を観測し、死者は最大で1100人、うち火災による死者は930人に及ぶと予測されている。リスクを抱えながら、備えが追いついていない実態がある。
復興の現場を率いた村井知事が感じた「限界」
最前線で復旧・復興のかじ取り役を担ってきた村井知事は自身の経験をもとに平時から復興を考える重要性をこう語る。
村井嘉浩知事:
防潮堤を最初は皆さん『ぜひ造ってくれ』と。ところが造り始めたら『いやいや、俺は海が見たいんだ』と色々な意見が出てきた。結局災害が起こった時に、県民の皆さんに一人一人確認する時間が無かった。
一方で策定の難しさも率直に認める。
村井嘉浩知事:
地震ひとつとっても揺れ方や断層、震度でも全く変わってくる。なかなか画一的に作るというのは非常に難しい。ケース・バイ・ケースです。その時に国がどういう支援をしてくれるかという保証も無いですから。
画一的なモデルが描けない以上、それぞれの地域の実情に即した計画を積み上げていくしかない。しかし、専門知識を持つ人材も、議論の時間も、自治体には十分にない。この壁をいかに乗り越えるかが、今後の課題として突きつけられている。
村井嘉浩知事:
復興予算の半分以下でできたんじゃないでしょうか。(東日本大震災は)今世紀最大の災害と言っても過言ではないと思う。正解はどこにもなかった。その中でがむしゃらに走ってここまで来たが、反省すべきところはしっかり反省する。税金の使い道を今度、同じような災害があった時に、少しでも低く抑えて復興できるようにする。何が良くて何が悪かったのか、しっかり分析をしていく。そして次に備える。これは大切です。
復興予算の42兆円という数字の重みは、単なる財政の問題ではない。その裏には、被災者一人ひとりの声を拾いきれなかった時間的な制約や、事前に積み上げられなかった議論の空白がある。
「杜づくり」にたどり着いた、復興の終わり
石巻市北上地区で、復興支援活動を続けてきた「ウィーアーワン北上」の佐藤さんは今、被災した宅地の跡で「杜づくり」を進めている。復興に向かって無我夢中で走ってきたこの15年、しかしふと目を向けた先にあったのは、荒れ果てた宅地だった。
目指してきた復興の姿に疑問を持った佐藤さんは、この場所を再びたくさんの人たちが訪れるようにしたいと考えた。佐藤さんにとっては「復興の終わり」が「杜づくり」だった。
愛媛から訪れた高校生たちは、「私たちの地域は南海トラフ地震が起こることになっているから、教えていただいた経験を生かして考えていくことが必要だと思いました」と、自分事として震災を受け止めていた。
佐藤尚美さん:
今はピンと来なくても、一度でも考えたことがあるかどうか大きいと思う。何かあったときに開く引き出しを持っているということが大事かなと思っています。
東日本大震災から15年以上が経ち、42兆円の復興予算をかけて創り上げられた「復興の完成図」が果たして正しかったのか、その問いへの答えは出ていない。しかし、被災地から浮かび上がる教訓を次の災害への備えにつなげることは、今を生きる我々に課せられた使命だ。

