「話せない自分をどうして生んだの」。ある日、母親にそう言葉をぶつけた小学5年生の女の子がいる。家ではおじいちゃんと声を出して卓球を楽しみ、愛犬と走り回る。誰もが「明るい子だ」と感じる。それなのに、学校では声が出ない。体がこわばり、のどがつまる感覚に襲われる。彼女が抱えるのは「場面緘黙(かんもく)症」という不安障害だ。鹿児島県霧島市に暮らすこの家族の姿を通じて、まだ広く知られていないこの症状の実態に迫る。
「場面緘黙症」とは何か
場面緘黙症とは、家では家族と普通に話せるにもかかわらず、学校や保育園など特定の状況になると、極度の緊張や不安から話すことができなくなったり、体がこわばってしまう不安障害の一つである。
発症の要因は、入園・入学といった環境の変化や失敗体験など様々で、幼少期に発症するケースが多い。発症率は1000人に2人から7人といわれており、決して珍しい症状ではない。しかし、その認知度は高いとはいえず、人見知りやおとなしい性格と誤解されたまま見過ごされてしまうことが大きな課題となっている。
鹿児島テレビがアプリで実施したアンケートでは、回答した313人のうち場面緘黙症を「知っている」と答えたのは全体の約36%にとどまった。自身や周囲の人に症状があると答えた人の中からは、「学校でばかにされた」「不登校になった」という切実な声も寄せられている。

「なんで話さないの?」——3歳から始まった苦悩
霧島市に暮らすその女の子の家族が異変を感じたのは、彼女が3歳で保育園に入所したころのことだ。
母親は当時をこう振り返る。「おかしいなと思ったのは3歳で保育園に入所してから。周りの子が『なんで話さないの』とすごく言ってきて。『あいさつも全然しない』とか」。

なぜ外で話せないのか。本人も家族もわからないまま悩み続けた。医療機関での検査を経て、小学2年生のときにようやく場面緘黙症という診断が下りた。
診断を受けるまでの間、母親がもどかしかったのは「困り感が周りから知られにくい」ことだったという。「『ニコニコしてるし大丈夫じゃない?』とか言われたりするんですけど、本人はけっこう我慢しているところがいっぱいある」。表情が明るいからこそ、内側の苦しさが見えにくい。それが場面緘黙症の難しさの一つでもある。

タブレットと文字で、気持ちを伝える
現在、女の子は週に2日、療育施設に通っている。選択肢を指差しで答えたり、タブレットに文字を打ち込んで気持ちを伝えるのが彼女のコミュニケーション方法だ。
取材の場でも、記者の質問に対して直筆の文字で丁寧に答えてくれた。家以外で話そうとするとどうなるか、という問いには「のどがつまる感じ」と書いた。「なんで話さないの?」と言われてつらい思いをしたことも、静かな文字から伝わってきた。
一方、家族と過ごすときの彼女はまるで別人のようだ。おじいちゃんと卓球をしながら「オッケー!よっしゃー!」と声を上げ、愛犬と全力で遊ぶ。母親は「すごい明るいですね。いろんなものまねをしたり。周囲は全然想像できないと思う」と話す。
学校も、人と会うのも大好き。それなのに、外では声が出ない。その葛藤が積もった末に飛び出したのが、「話せない自分をどうして生んだの」という言葉だった。
段階的な練習で、症状は改善できる
8月、鹿児島県薩摩川内市では場面緘黙症をテーマにした勉強会が開かれ、県内外から療育事業所の関係者、学校の教員、保護者などが参加した。「子どもが何かのきっかけで急に全くしゃべれなくなった」という保護者の声も上がり、悩みを共有する場となった。
勉強会に登壇した場面緘黙相談室「いちりづか」のカウンセラー、高木潤野さんは、治療の見通しについてこう語る。「その子の状態にもよりますが、早ければ半年、長くても2〜3年くらいで大幅に症状が改善できるケースがほとんど」。
治療において重要なのは、話せるようになるための明確な目標と段階的な練習だという。まず「誰と話せるようになりたいか」という相手を決めることからスタートし、話す練習をする場所や声を出す方法などを個人にあわせてステップアップさせていく。高木さんは「専門家のアドバイスを受けながら、話せるようになるための計画をしっかり立てて取り組んでいくのが一番の近道」と強調する。

「ことばの教室そらまめキッズ」で言語聴覚士として働く中村未来さんも、「場面緘黙症は他の障害に比べると症例も少ないので、より理解が深まれば」と話しており、支援者の側からも認知度向上への期待が高い。
「友達とテレビのこと、話したい」
取材した女の子にも、段階を踏んだ支援の成果が少しずつ現れている。最近では、学校の担任の先生に耳元であいさつをしたり、質問に答えたりすることができるようになってきたという。
母親は毎日、娘にこう言い聞かせている。「不安なことがいっぱいだけど、一つずつ乗り越えていこうね」。
取材の最後、「話せるようになったら誰とどんな話がしたいか」という質問に、彼女はタブレットでこう打ち込んだ。「友達とテレビのこと」。

インタビューが終わった後、一緒に楽しんだのは風船バレーだった。得意だというだけあって、記者は全く歯が立たなかった。
そしてその夜、一通の音声メッセージが届いた。
「きょうはありがとうございました!風船バレー楽しかったです」

いつか友達とテレビの話がしたい——その願いに向かって、女の子は場面緘黙症と向き合いながら、少しずつ前に進んでいる。
場面緘黙症について悩んだときは、学校の特別支援教育のコーディネーターや病院のカウンセラーなど、場面緘黙に詳しい人に相談することをカウンセラーの高木さんは勧めている。一人で抱え込まず、まず相談することが、その一歩となる。

