9月4日に開幕した男子のバレーボール・アジア選手権。2028年のロサンゼルスオリンピック出場がかかる大事な大会です。日本代表として活躍が期待されるのが、鎮西高校出身の宮浦健人選手。亡き恩師と約束した舞台へ大事な戦いに挑みます。
熊本・鎮西高校出身の宮浦健人選手
バレーボール日本代表・宮浦健人。宮浦の武器と言えば、レシーブごと吹き飛ばす破壊力抜群のスパイクやボールの軌道の予測が難しい変幻自在のサーブ。攻撃専門のオポジットで活躍する、日本が誇るポイントゲッターです。

宮浦健人選手は「アジア選手権は五輪の切符がかかる今季一番重要な大会だと思う。熊本を代表して、日本を代表して頑張りたい」と話します。荒尾市出身、鎮西高校時代には春高全国大会でチームを準優勝に導くなど活躍。しかし10年前、キャプテンとなった高校3年生のタイミングで熊本地震が襲いました。

当時高校3年生だった宮浦健人選手は「体育館でできるのが当たり前じゃないと感じたので、そういう環境にもっと感謝してやっていきたい」とインタビューに答えていて、当時を振り返り「その当時はバレーの練習、練習、練習でやっていたが、体育館さえも使えなくなったのは、今となってはいろいろなものを得られたが、当時はやはりすごく難しかった」と話します。

当時の畑野監督から教わったのは、『当たり前のことを当たり前に』。十分な環境でなくても、今、自分に何が出来るのかを考え取り組むこと。畑野監督の教えが宮浦を強くしました。

宮浦健人選手は「畑野先生はあまり言葉の多くない先生でしたけど、とにかく慢心するなと、謙虚でいろと。いつまでも、じゃないと成長できないぞと、口酸っぱく言われてきたので、そこはもうずっと変わらず自分自身の土台となっている」と話します。
『ロスに行け』恩師の最後の言葉を胸に
念願のオリンピックにも出場。持ち味を存分に発揮し、世界を相手に堂々たるプレーを披露しました。オリンピックの報告のため、母校を訪ねた宮浦。その時、畑野監督から送られたのは、さらなる成長を求める『ロスに行け!鎮西高 畑野』という言葉でした。

宮浦健人選手は「これは家に飾っておきます。頑張ります、これを見ながら。鎮西が僕の土台となっている部分が大きいので、この言葉を胸に頑張ります、ロスまで」と返したこの日が、宮浦が恩師と話した最後の日となりました。亡き恩師との約束を果たすため、そして、再び地震の被災地となったふるさとにエールを。宮浦は、特別な思いでアジア選手権に挑みます。

宮浦健人選手は「自分にできることは、コートの上でいいパフォーマンスをして、熊本の皆さんに元気を与えることだったり、このアジア選手権で優勝して、感動や嬉しい気持ちとかを共有できることなのかなと思うので。そこは自分にできることをやっていきたいなと思うし、それが力になるか分からないが、少しでも力になれたらなと思う」と話します。

優勝すればロサンゼルスオリンピックの切符を獲得するアジア選手権。恩師と約束したロスへの戦いがいよいよ始まります。
(テレビ熊本)

