米中央情報局(CIA)のジョン・ラトクリフ長官が25日、秘密裏にモスクワを訪問していたことが明らかになった。訪問は事前に一切発表されなかった。
ラトクリフ氏を乗せた米空軍の大型輸送機C-17「グローブマスターIII」は、ワシントン近郊のアンドリューズ統合基地を出発し、ラトビアの首都リガを経由してモスクワのブヌコボ空港に着陸した。
ラトクリフ氏はモスクワに約8時間滞在したとされる。ロシア大統領府のペスコフ報道官はその後、訪問を認めたものの、プーチン大統領とは会談せず、「情報・治安機関同士の接触」が目的だったとしか説明していない。
CIA長官のモスクワ訪問は極めて異例だ。前回は2021年11月。当時のウィリアム・バーンズCIA長官がモスクワに乗り込み、ロシア側にウクライナへ侵攻しないよう警告した。その約3カ月後、ロシア軍はウクライナへの全面侵攻に踏み切った。それだけに、今回も「CIAはロシアの重大な動きをつかんだのではないか」とさまざまな憶測が広がった。
CIA長官訪露後に25回の謎の通信
こうしたなか、その謎をさらに深めるような出来事が起きていた。
イスラエルのニュースサイト「Ynet Global」は、ロシア紙「モスクワ・タイムズ」の報道を引用して、ロシアの謎の短波無線局「UVB-76」がラトクリフ氏の訪露直後、異例の活発な通信を行ったと伝えた。27日、普段流れているブザー音が少なくとも25回中断され、数字や文字の組み合わせ、さらに「ウェイトレス」「噴霧」「存在」といった、一見何の脈絡もない単語が読み上げられたという。
UVB-76とは、周波数4625キロヘルツで、旧ソ連時代の1970年代から続いているとされる短波無線局である。普段は「ブー、ブー」という単調なブザー音を1分間に20数回、ほぼ24時間流し続けていることから、世界の無線愛好家の間では「The Buzzer」と呼ばれてきた。しかし時折、そのブザーが突然途切れ、人間の声で数字や人名、意味不明の単語、軍事用のコールサインらしきものが読み上げられる。ロシア政府はその目的を明らかにしていないが、ロシア軍の通信ネットワークの一部ではないかとの見方が強い。
そして、この謎の放送局にはもう一つ、不気味な呼び名がある。「Doomsday Radio」――「地球最後の日のラジオ」である。そう呼ばれるようになった背景には、旧ソ連が冷戦時代に構築した核報復システム「ペリメトル」、通称「Dead Hand(死の手)」との関係をめぐる説がある。
敵の核による先制攻撃でモスクワが壊滅し、最高指導部が全滅しても核による報復を可能にするシステムで、都市伝説では、UVB-76のブザーが一種の「デッドマンズ・スイッチ」になっており、ブザーが途絶えると自動的に核報復システムが作動してこの世に終末をもたらす、とまで言われてきた。
もっとも、UVB-76と核兵器発射システムが直接つながっている証拠はなく、「Dead Hand説」はあくまで推測である。
ロシアの「次の一手」を警戒
では、今回の25回に及ぶ謎の通信は何を意味するのか。
CIA長官の訪露と、UVB-76の活発化に直接の関係があったことを示す証拠はない。むしろ注目すべきは、CIAがこの時期、ロシア指導部の情勢認識そのものに危険な兆候があると判断していた可能性である。

ウォールストリート・ジャーナル紙によれば、米情報機関は、プーチン氏がNATOの結束とトランプ政権の反応を試すため、加盟国に対する限定的な行動を認める可能性が以前より高まっていると分析しているという。とりわけ警戒されているのが、ロシアと国境を接するエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国である。
それなら、なぜCIA長官が通常の外交ルートではなく、自ら米軍輸送機に乗って秘密裏にモスクワへ飛ばなければならなかったのか。そしてCIA長官が帰った直後、冷戦時代から続くロシアの謎の軍事通信「UVB-76」が、少なくとも25回ものメッセージを流したのは、単なる偶然だったのだろうか。
だが、欧米がロシアの「次の一手」を警戒していることだけは間違いない。ラトビアのリンケービッチ大統領は、ロシアによる直接侵攻の危険性は現時点では低いとしながらも、「破壊工作、サイバー攻撃、ハイブリッド作戦」は起こり得るとして警戒を呼びかけている。
ロシアは5年前、CIAのバーンズ長官の警告を無視してウクライナに全面侵攻した。そして今回は、ラトクリフ長官である。その直後、「地球最後の日のラジオ」から流れた謎のメッセージが何を示唆するのか、不気味な符合として残っている。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

