トランプ大統領は16日、韓国との大規模合同軍事演習「乙支(ウルチ)フリーダム・シールド」を「大幅に縮小する」よう、ピート・ヘグセス国防長官に命じた。演習は17日から11日間の予定で、韓国軍約1万8000人が参加し、北朝鮮の脅威に対する米韓両軍の即応態勢を確認する重要な訓練だった。ところが演習開始直前になって、トランプ氏が突然、縮小を命じたのである。

演習縮小の裏にあるイラン戦争

表向きの理由は、演習には多額の費用がかかり、北朝鮮に「まったく不適切で敵対的なシグナル」を送るというものだった。

トランプ大統領のSNSより
トランプ大統領のSNSより
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その前日には、2019年に板門店で金正恩総書記と会談した際の写真をSNSに投稿し、 「この写真では友好的には見えないが、金正恩と私は非常にうまくやっている!」と書き込んでいる。

しかし私は、今回の演習縮小にはもっと切迫した理由があると見る。長期化するイラン戦争に米国の軍事力を集中的に注入するため、アジアでの軍事的負担を軽くしようとしているように思える。トランプ氏はそう明言してはいない。だが米軍全体の動きを見れば、その意図はかなりはっきりしてくる。

空母ジョージ・ワシントン
空母ジョージ・ワシントン

横須賀を拠点として西太平洋に前方展開してきた原子力空母「ジョージ・ワシントン」が、いま中東へ向かっている。イラン戦争に投入され、260日を超える異例の長期展開を続けてきた空母「エイブラハム・リンカーン」と交代するためだ。「リンカーン」では約5000人の乗組員の疲労が問題となり、物資や艦内環境、メンタルヘルスをめぐる懸念まで報じられている。

そこで、西太平洋を守ってきた「ジョージ・ワシントン」を中東へ回さざるを得なくなった。その結果、西太平洋では一時的とはいえ、米空母が一隻も展開していない「空白」が生じる。

朝鮮半島では大規模合同演習を縮小し、西太平洋からは空母を引き抜く。その一方で、中東には米軍戦力を集中する。これをそれぞれ無関係な出来事として見る方が、むしろ不自然ではないだろうか。

しかもトランプ氏自身、演習縮小を説明する中でイラン問題を持ち出している。韓国大統領にイランの非核化に向けた米国の取り組みに参加するよう求めたところ、「No thanks!(結構です)」と断られたというのである。世界最強の米軍でさえ、長引くイラン戦争によって限られた軍事資源のやり繰りを迫られ、その重心をアジアから中東へ傾け始めているのではないか。

“米空母の不在”で中国はどう動くのか

問題は、この動きを中国がどう見るかである。

フィリピン当局は7月24日、中国海警局の船から放水を受けたと発表
フィリピン当局は7月24日、中国海警局の船から放水を受けたと発表

中国海軍は台湾周辺だけでなく、南シナ海や日本周辺でも活動を活発化させている。もちろん、西太平洋から米空母が一時的に姿を消したからといって、中国が直ちに台湾侵攻に踏み切るとは考えにくい。米軍には潜水艦、爆撃機、長距離ミサイル、在日米軍基地などの戦力が残っている。

むしろ怖いのは、中国に、「米国はいまイラン戦争で手いっぱいだ」と思わせることである。台湾周辺で大規模な軍事演習を行う。海上封鎖に近い行動を試す。南シナ海でフィリピンへの圧力を強める。尖閣諸島や南西諸島周辺で日本への軍事的圧力を高める――。本格的な戦争を始めなくても、中国には米国の反応を試す手段はいくらでもある。

AP通信(15日)は、元米海軍潜水艦乗組員でハドソン研究所の国防アナリスト、ブライアン・クラーク氏の見方として、米空母の不在は中国に自らの軍事力を誇示する新たな機会を与え、日本やフィリピン、インドネシアなどに中国の存在感を印象づけることにつながり得ると伝えている。

そしてこれは、日本にとって決して対岸の火事ではない。台湾有事が起きれば、沖縄や南西諸島、在日米軍基地は直ちにその影響を受ける。朝鮮半島の抑止力低下も、北朝鮮のミサイルの射程内にある日本の安全保障に直結する。安全保障における「空白」とは、単に兵器や兵士の数が減ることではない。相手に「いまなら動けるかもしれない」と思わせることこそ危険なのである。

8月14日の演説で「近くホルムズ海峡をアメリカ領だと宣言する」と述べたトランプ大統領
8月14日の演説で「近くホルムズ海峡をアメリカ領だと宣言する」と述べたトランプ大統領

米国は長年、中国への対抗を念頭に「インド太平洋こそ最重要の戦略地域」と言い続けてきた。ところが現実には、朝鮮半島で合同演習を縮小し、西太平洋から空母を引き抜き、中東の戦争へ戦力を送り込んでいる。

イラン戦争の戦場は、日本から遠く離れた中東にある。しかし、その戦争が長引けば長引くほど、米国は世界の別の場所から戦力を持ってこなければならない。そして今、その「別の場所」がアジアになり始めたのではないか。イラン戦争の思わぬ代償は、ペルシャ湾ではなく、日本を含む西太平洋の安全保障の「空洞化」という形で現れ始めているのかもしれない。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

木村太郎
木村太郎

理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています。
アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身。慶応義塾大学法学部卒業。
NHK記者を経験した後、フリージャーナリストに転身。フジテレビ系ニュース番組「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを経て、現在は、フジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターを務める。