攻城戦の最中に陣城で余裕の茶会
三木城攻めの際に秀吉が本陣としたのが、「平井山之上付城」です。もともとは織田信長の嫡男・信忠が築いた陣城で、南西から三木城を見ることができます。
城を引き継いだ秀吉は、三木城を攻略しながら、10月には津田宗及を招いての茶会も行っていました。城を攻めながらの茶は、どんなお味だったのでしょうか。秀吉、余裕の一服です。
その後、別所軍が襲来しましたが、秀吉は別所長治の弟、治定を討ち取り、返り討ちにしてしまいます。
天才軍師・竹中半兵衛の陣城も
「平井村中村間ノ山付城」も、三木城攻略のために築かれた陣城のひとつです。秀吉の本陣の北部に築かれ、竹中半兵衛が秀吉の脇を固めました。しかし、半兵衛は三木城攻略中に病に倒れ、京に戻って療養することになりました。
やはり残してきてしまった仕事、半兵衛は三木城のことが気がかりでならなかったと想像されます。なんとか病魔に耐え、陣中に戻っては来ますが…。
天才軍師といわれた半兵衛も、病は攻略できず。36歳の若さで病没してしまいます。秀吉は人目も憚らず号泣してしまったとか。半兵衛が、秀吉にとってどれほど重要な人物であったかが窺い知れるエピソードといえるでしょう。
兵糧攻めによって極度の飢餓に襲われた三木城は、城主の長治とその一族の自害とともに開城。共に籠城していた領民たちも苦境を強いられた、長く苦しい籠城戦は終わりを告げました。

