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豊臣兄弟必勝の布石「陣城」とは何か。三木城・鳥取城・賤ヶ岳・備中高松城で秀吉と秀長が見た「勝者の景色」を歩く|FNNプライムオンライン

豊臣兄弟必勝の布石「陣城」とは何か。三木城・鳥取城・賤ヶ岳・備中高松城で秀吉と秀長が見た「勝者の景色」を歩く

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攻城戦の最中に陣城で余裕の茶会

三木城攻めの際に秀吉が本陣としたのが、「平井山之上付城」です。もともとは織田信長の嫡男・信忠が築いた陣城で、南西から三木城を見ることができます。

平井山之上付城の主郭から南西。中央右奥の緑の中に見える白い建物あたりが三木城
平井山之上付城の主郭から南西。中央右奥の緑の中に見える白い建物あたりが三木城

城を引き継いだ秀吉は、三木城を攻略しながら、10月には津田宗及を招いての茶会も行っていました。城を攻めながらの茶は、どんなお味だったのでしょうか。秀吉、余裕の一服です。

その後、別所軍が襲来しましたが、秀吉は別所長治の弟、治定を討ち取り、返り討ちにしてしまいます。

天才軍師・竹中半兵衛の陣城も

「平井村中村間ノ山付城」も、三木城攻略のために築かれた陣城のひとつです。秀吉の本陣の北部に築かれ、竹中半兵衛が秀吉の脇を固めました。しかし、半兵衛は三木城攻略中に病に倒れ、京に戻って療養することになりました。

平井村中村間ノ山付城の主郭は360度が土塁で囲まれている
平井村中村間ノ山付城の主郭は360度が土塁で囲まれている

やはり残してきてしまった仕事、半兵衛は三木城のことが気がかりでならなかったと想像されます。なんとか病魔に耐え、陣中に戻っては来ますが…。

天才軍師といわれた半兵衛も、病は攻略できず。36歳の若さで病没してしまいます。秀吉は人目も憚らず号泣してしまったとか。半兵衛が、秀吉にとってどれほど重要な人物であったかが窺い知れるエピソードといえるでしょう。

半兵衛の墓は平井山之上付城の麓にある
半兵衛の墓は平井山之上付城の麓にある

兵糧攻めによって極度の飢餓に襲われた三木城は、城主の長治とその一族の自害とともに開城。共に籠城していた領民たちも苦境を強いられた、長く苦しい籠城戦は終わりを告げました。

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