「ひろしま満点ママ!!」の人気コーナー「タイムスナップ」です。
衣笠アナが42年前に撮影された1枚の写真からその場所の”今”を訪ねました。
【衣笠梨代アナウンサー】
「今回この近くってことですか? 」
【番組スタッフ】
「はい、今回はこちらです」
【衣笠アナ】
「うん?結構今回はゾーンが限られてるというか」
【番組スタッフ】
「場所は結構わかりやすいと思うんですよ」
今回は1984年、昭和59年に撮影されたこちらの写真です。
比較的見つけやすそうな場所ですがどこで撮影されたものでしょうか。
【衣笠アナ】
「でもこれこの階段がある感じでいうと、この向こうが川かなとは思うんですよね。人がまあ映っていて、こう三脚とか立っててらっしゃる。あと子供さんたちが映っている」
【番組スタッフ】
「今回は場所もなんですけど、何のときの写真なのかも探ってもらえたらと思います」
【衣笠アナ】
「何のときか…行ってみますか。お願いします」
写真の手がかりを探すため、本川沿いの河川敷を歩いてみることに。
【衣笠アナ】
「アパートが見えてきました。あの建物と並び方としても近いですね。この辺ですよね。でも多分もうちょっと向こうに近づいた場所だとは思うんですよね。この川土手の下から撮影しているということですもんね」
さらに進んでいると…何やら下まで行けそうな場所を発見。
【衣笠アナ】
「下降りたら道ありますかね?道がないですかね。行ってみようか。じゃあ行ってみましょう」
果たしてこの先に何があるのでしょうか。
【衣笠アナ】
「ちょっと手すりがあるけど、階段があります。 写真には手すりついてないですけど、段の数が合ってたら行けるかな。いくよ。 1、2、3、4… 合ってるかもしれない。 ほら、これ階段の数は合ってます」
写真には、手すりが写っていませんが階段の数は全く同じ。衣笠アナ、早くもみつけあてたのでしょうか。
【衣笠アナ】
「これは? 木は? 関係ない?『被爆エノキ』って書いてあります」
(記念碑)
『被爆エノキ。 8月6日、陸軍病院の庭にそびえていたこのエノキの大木も、原爆の熱に焼かれ、黒焦げになりました。幹が 大きな空洞のあるエノキでしたが、やがて枝を伸ばし、葉を広げ、たくましくよみがえりました。その後、エノキの生命力に感動した地元の小学生たちによって大切に育てられていましたが、1984年の台風で幹が二つに折れてしまいました』
被爆エノキについて詳しい話を聞くため、基町小学校を訪ねました。
校舎の中には子供たちが被爆エノキについて学ぶことができるエノキ広場と名付けられた展示スペースがあります。
【基町小学校 森貞小百合校長】
「上から半分が飛ばされてしまったんですけど、その原木が展示してあります」
台風で折れてしまった被爆エノキが大切に保管されていました。基町小学校と被爆エノキのつながりは1979年、傷ついたエノキを守ろうと児童が掃除を始めたことにさかのぼります。
台風で折れた後も子どもたちが見守りを続け、一時は新しい芽が吹き出しましたが、1989年に力尽きてしまいました。その後も毎年、エノキがあった場所の掃除を行っています。
【基町小学校 森貞小百合校長】
「子供たちの言葉で言うと、エノキさん頑張ってきたんだねとか、命の大切さを教えてくれてありがとう、という意味で、これ(掃除を)僕たちがずっと続けていくよ、大事にしていくよという風に言ってくれています」
被爆エノキは今も子どもたちに見守られながら平和の大切さと命の尊さを伝え続けています。
さぁ衣笠アナ、何の写真かわかりましたか?
【衣笠アナ】
「カメラだ!わあ、取材をされてる様子なんですね。三脚があるわけですね。箱にしか見えなかったですけど、昔のテレビカメラ。取材の様子だったのか」
さぁ衣笠アナ、何の写真かわかりましたか?
【衣笠アナ】
「カメラだ!わあ、取材をされてる様子なんですね。三脚があるわけですね。箱にしか見えなかったですけど、昔のテレビカメラ。取材の様子だったのか」
今から42年前に台風の被害にあい折れてしまった被爆エノキを取材している様子と、そこに集まった子どもたちを撮影したこの写真。
エノキを心配そうに見つめていた子どもたちの思いは、時代を超えて今も受け継がれています。
原爆にも台風にも負けなかった被爆エノキは、これからも平和の大切さを静かに伝え続けていきます。
