北朝鮮メディアにおける北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の娘「ジュエ」氏の演出が、2026年に入り大きく変化している。ジュエ氏の北朝鮮メディア登場はこれまでに22回(8月15日現在)、このうち従来の金総書記との現地指導に加え家族3人での行事参加が9回と急増した。ジュエ氏をめぐるメディア演出は、なぜ変化したのか。

戦勝節にピンヒール

北朝鮮が「戦勝節」と呼ぶ朝鮮戦争の休戦協定締結73周年行事(7月26日)に金総書記の娘・ジュエ氏が姿を見せた。娘がこの行事に参加するのは初めてだった。

休戦協定締結73周年行事(7月26日)
休戦協定締結73周年行事(7月26日)
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写真を見て、最初に目がいったのはその足元だった。

細く、高い黒のヒール。

黒のフォーマルなツーピースに、かかとの高さが8センチ近くありそうなピンヒールを着用していたのだ。

2026年に入り、金総書記と妻・李雪主(リ・ソルジュ)氏、ジュエ氏の「家族3人」がそろった場合、ジュエ氏が中央に立つ光景が定着しつつある。

ICBM「火星17」型の試験発射を妻、娘と視察(2022年11月)
ICBM「火星17」型の試験発射を妻、娘と視察(2022年11月)

2022年11月、白いダウンジャケット姿で初めて公開された少女と、同じ人物には見えないほどだ。

単に成長したからではない。

北朝鮮は、この少女から意識的に「子供」を消そうとしているように見える。

しかも興味深いのは、娘を男性化していないことである。

軍服を着せ、男の後継者のように見せるのではない。軍事視察ではパンツ姿で戦車に乗り、銃を構える一方、国家行事ではスカートやパンプスを履く。女性らしい外見を消さないまま、そこに「銃」「戦車」「軍艦」を重ねている。

最新型の戦車「天馬20」の操縦席から顔を出す「ジュエ」氏(2026年3月)
最新型の戦車「天馬20」の操縦席から顔を出す「ジュエ」氏(2026年3月)

新型狙撃小銃を撃ち、金総書記とともに戦車に乗る姿まで公開された。
韓国の国家情報院は、こうした演出を女性後継者への疑問を薄める狙いがあると分析している。

「女性だから指導者に向かない」という社会の意識を変えるために、少女を男のように見せるのではない。

女性の姿のまま、戦車を動かし、銃を撃ち、軍を従える光景を見慣れさせる。
そう考えるとピンヒールは、ただのファッションではなく、ジュエ氏を実際の年齢より一足先に「政治的に成人」させる装置と言えるかもしれない。

「センター」は肩書きより雄弁

ジュエ氏には現在も公表された党や国家の役職がない。
第9回党大会でも、後継指名は発表されなかった。

北朝鮮メディアがジュエ氏を報じる際は「尊敬するお子様」「愛するお子様」などの呼称が使われ、名前や年齢などは公表されていない。最近の労働新聞では、記事には言及がなく写真だけが公開されることも多い。

北朝鮮が発表する写真や映像には重要なメッセージが含まれている。

象徴的だったのは2026年1月1日だった。

錦繍山太陽宮殿(2026年1月)
錦繍山太陽宮殿(2026年1月)

金総書記は李雪主氏、ジュエ氏とともに、祖父の金日成(キム・イルソン)主席と父の金正日(キム・ジョンイル)総書記の遺体が安置される錦繍山(クムスサン)太陽宮殿を訪れた。娘にとって初めて公に確認された参拝である。

公開された写真では、中央に立っていたのは金総書記ではなかった。

娘だった。その左右に父と母がいる。

普通は最高指導者である父親が中央に立ち、妻と娘が脇を固める。
しかし、娘がセンターに入ると、写真の意味が変わる。

「金総書記とその家族」だった構図が、「娘と、その両親」に見え始めるからだ。

ここで重要なのは、妻であり母である李雪主氏の立ち位置の変化だ。

李雪主氏は、先代の金正日時代にはほぼ存在しなかった「ファーストレディ」のイメージを作った女性だった。洗練された服装で夫に同行し、「若い指導者夫妻」という新しい権力者像を演出してきた。

サングラス姿の「ジュエ」氏 2025年11月
サングラス姿の「ジュエ」氏 2025年11月

ところが現在、家族3人が並ぶと、その中央を占める人物が妻から娘へ移りつつある。

母親が消えたのではない。むしろ母親がいるからこそ、娘が際立つ。

父と母に挟まれた娘という構図は、「金総書記の娘」であることを誰にでも理解させる。同時に、両親を両脇に置くことで、娘自身が一つの独立した政治的人物にも見える。

家族写真が、いつの間にか「血統の継承図」に変わったのである。

母から娘への序列交代?

そこで気になるのが李雪主氏の役割だ。

娘の存在感が増せば増すほど、母親は目立たなくなる。
しかし、それを単純な「母から娘への序列交代」と見るのも違うだろう。

むしろ李雪主氏は、ジュエ氏を北朝鮮社会に受け入れさせるために欠かせない存在になっているように見える。

ピンヒール、スカートスーツ、整えられた髪形。近年のジュエ氏の姿には、李雪主氏がこれまで国家行事で見せてきた「ファーストレディ」のスタイルと重なる部分がある。

ここには、軍人の男性社会に少女を突然放り込むのではなく、まず母親の隣に立たせ、徐々に同じような装いをさせ、やがて母親より前へ出すという段階が見えてくる。

つまり母親は、娘のライバルではなく、少女から「国家の女性」へ移行するための一種の橋渡し役なのかもしれない。

そして、その橋を渡り終えつつあることを最も端的に示すものが、あの高いヒールではないか。

肩書きはないのに、顔はある。役職はないのに、センターにいる。
後継指名はないのに、最高指導者のすぐ隣にいる。

このことは制度が人物を権力者にする前に、映像が人物を権力者にしていることを物語っている。

「ジュエ氏は後継者なのか」ではなく、「北朝鮮は、ジュエ氏が後継者になっても誰も驚かない社会を、どう作ろうとしているのか」――。

ジュエ氏をめぐる演出の変化は、正式な後継指名に先立ち、そのイメージを映像によって徐々に浸透させようとする北朝鮮のメディア戦略と言えそうだ。

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。