ハリウッド映画の秀作に『12人の怒れる男』(1957年)がある。父親殺しの罪に問われ、死刑判決を受けようとしている18歳の少年をめぐり、12人の陪審員が評議室で議論を重ねる法廷ドラマだ。
当初は11人が「有罪」。ただ1人、ヘンリー・フォンダ演じる陪審員8番だけが「無罪」に票を投じる。彼は少年が無実だと確信していたわけではない。ただ、「合理的な疑い」が残っている以上、死刑にしてよいのかと問いかけ、証拠を一つ一つ検証する。そして最後には残る11人を説得し、全員一致の「無罪」へと逆転させる。
それから約70年。米マサチューセッツ州で、映画を思わせる「11対1」の陪審劇が現実に起きた。ただし今回は、たった1人が残る11人を説得することはなかった。結果は「審理無効(mistrial)」だった。
3人の子どもを殺害 犯行時の刑事責任能力の有無が争点に
被告人は元産科看護師のリンジー・クランシー被告(36)。2023年1月24日、ボストン近郊ダックスベリーの自宅で、5歳の長女コーラ、3歳の長男ドーソン、生後8カ月の次男カランの3人をエクササイズ用のゴムバンドで絞殺した。その後、自宅2階の窓から飛び降りて自殺を図り、一命を取り留めたものの下半身不随となった。
クランシー被告は子どもたちを殺したこと自体は否定していない。争点となったのは、犯行時に刑事責任能力があったのか、である。
弁護側は、出産後に発症するまれで重篤な「産後精神病(postpartum psychosis)」による幻覚や妄想に支配され、自分の行為の善悪を判断し、行動を制御する能力を失っていたと主張した。一方、検察側は計画的犯行だったと反論した。
クランシー被告は夫が夕食を受け取りに行って帰宅するまでの時間を計算し、さらにドラッグストアにも立ち寄るよう頼んで、子どもたちと自分だけになる時間をつくった。犯行中とみられる時間に夫から電話がかかってきても、異変を悟られないほど落ち着いて話していた。しかも、事件前に精神的不調で治療を受けていたものの、「精神病」と診断された記録はなかった。
検察側は、こうした行動こそクランシー被告が自分のしていることを理解し、行動をコントロールできていた証拠だと主張した。
陪審員1人が不合意 裁判は「審理無効」
5週間に及んだ裁判を終え、12人の陪審員は評議に入った。ところが意見がまとまらない。評議6日目の9月3日、陪審長はサリバン裁判官に異例のメモを提出した。1人の陪審員が「合理的な疑い」に関する裁判官の説示に従わず、全員一致の評決を妨げている、というのだ。
弁護側によれば、この陪審員はクランシー被告の刑事責任能力について「疑い」があること自体は認めながら、それを評決に反映させようとしなかったという。弁護側は「法律に従わない陪審員だ」として解任を要求した。
サリバン裁判官は陪審員一人一人を非公開で聴取し、改めて「合理的な疑い」の意味を説示したうえで、再び評議室へ戻した。しかし、その後も意見はまとまらず、7日間の評議を経ても全員一致には至らなかった。
「大変残念だが、われわれは全員一致の結論に達することができず、今後も達することはできない」
陪審長の最後のメモを受け、サリバン裁判官は9月4日、審理無効を宣言した。
3人の幼い子どもを殺したことを認めている母親の裁判が、たった1人の陪審員の不合意によって振り出しに戻ったのである。
「合理的な疑いを超える証明」
検察側は今後、再びクランシー被告を裁判にかけるとみられるが、再審には難題もある。
事件は全米で大きく報道され、すでに強い先入観を持つ人が少なくない。公平な12人の陪審員を選ぶこと自体が難しくなっている。さらに証人の記憶は時間とともに薄れ、二度目の証言が最初の裁判と食い違えば、弁護側に攻撃材料を与えることにもなる。そして何より、一度目の裁判で検察は12人全員を説得できなかったという事実が残る。
なぜ、たった1人の反対で裁判そのものが無効になるのか。そこに米国刑事司法の根幹をなす原則がある。「合理的な疑いを超える証明(Beyond a Reasonable Doubt)」である。
刑事裁判では、被告が「たぶん有罪」「ほぼ間違いなく有罪」では足りない。検察側は、証拠を検討した陪審員が「道徳的確信をもって揺るぎなく確信できる」ところまで立証しなければならない。そして合理的な疑いが残る陪審員が1人でもいれば、全員一致の有罪評決は成立しない。
『12人の怒れる男』でヘンリー・フォンダが演じた陪審員8番は、この原則を武器に11人を説得し、少年を死刑台から救った。今回のクランシー裁判では、最後の1人は11人を説得しなかった。11人もまた、その1人を説得できなかった。それでも司法は、多数決で決着をつけることを許さなかった。
幼い3人の命が奪われた悲惨な事件であっても、被告人を処罰するためのハードルを下げることはしない。それが「合理的な疑いを超えて証明する」という、米国の刑事司法が守ろうとしている原則なのである。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

