広島県内の中山間地域を訪ね、知られざる魅力を探る“アポなし旅”。今回の世羅町小国で出会ったのは、「せらの小路あやまろう」と名乗る男性だ。商店街のにぎわいを取り戻そうとする活動や、自宅に詰まった“地元愛”に触れた。
世羅の人気者に遭遇! その正体は…
世羅町の西部に位置する小国は、人口約900人の自然豊かな里山だ。
昔ながらの商店街を歩いていた辰已麗アナウンサー。そこで出会ったのが、世羅町の人気者「せらの小路あやまろう」こと宮田正己さん(75)だった。
「私が世羅で有名な…」
「あれ?え?」
「『せらの小路あやまろう』と言います」
「あー!私、お父さんを探していたんです」
そこは、宮田さんがボランティアで地域に開放しているビリヤード場。
「なんなら、一緒にやる?」
「やりたいです!」
辰已アナはルールもよく分からないままビリヤードに挑戦したが、1打で2つの球に当てると「抜群!プロ並みじゃんか!」と宮田さんからお墨付きをもらった。
その後、宮田さんに案内されたのは、誰でも自由に立ち寄れるフリースペースだった。
「ここはね、どうぞご自由にということで」
屋根の下にテーブルと椅子が置かれ、壁には昔の小国商店街の写真が展示されている。1935年ごろに宮田さんの祖父が営んでいた商店の写真もある。
昭和20年代後半から30年代ごろの草競馬の写真からは、大勢の人が集まり、小国が地域の中心地として栄えていた当時の様子がうかがえる。
「マイナスばっかり考えたら輝けない」
かつてのにぎわいを伝える写真は、単なる記録ではない。
「商店街をいつまでも思い出してもらわにゃいけんのが一つと、地域の人がここに集まってお茶でも飲みんさいや、という場所」
こうした思いから、宮田さんは私有地を憩いの場として開放している。
一方で、小国の現在については「残念じゃけど…」と切り出す。
「シャッター通りになってきて、しかも高齢化が進む、空き家は増える、という全国どこにもあるようなパターンになっとる」
それでも、衰退を理由に立ち止まるつもりはない。
「若い世代だけでなく自分たちのような世代も発信していけば、必ず響いてくるものがある」
地域のにぎわいの元になるのが「笑顔」だと、宮田さんは考える。
フリースペースには「せらの小路あやまろう」の写真も飾られていた。
なぜ、この活動を始めたのだろうか。
宮田さんは、笑顔を届けるため、広島県内で年間約70回の講演を行っている。
「笑うから楽しい、笑うからうれしい。泣きたい時こそ笑おうよ、になるんよ」
講演の最後は、いつもこんな言葉で締めくくるという。
「あなたの笑顔が自分を変える。あなたの笑顔が家族を変える。あなたの笑顔が地域・社会・世界を変えるんです。すべてはあなたですよ」
人口減少、空き家、高齢化――地域を取り巻く課題は多い。しかし、宮田さんは言う。
「マイナスばっかり考えたら輝かれんじゃん。そうじゃないんだって。いいところはあるんよ」
自宅にカープ部屋!? あふれる地元愛
宮田さんの“地元愛”は、商店街だけにとどまらない。自宅の2階に案内されると、まず目に飛び込んできたのは、赤一色に染まった部屋だった。
「こんなに赤い部屋は初めて見ました」と辰已アナ。
広島東洋カープのユニホームやグッズ、選手の写真などが壁や棚を埋め尽くしている。さらに、試合結果を伝える新聞も大切に保管されていた。カープファン歴を尋ねると、「うちの父親からじゃけえね。だからもう生まれて間がない時からカープカープ」と笑う。
中でも辰已アナの目を引いたのが、昭和50年10月16日付の新聞。「歓喜の胴上げ」という大きな見出しが躍り、カープのセ・リーグ初優勝の記憶を今に伝えていた。
隣の部屋は一転して緑色。こちらは「世羅高校陸上部の部屋」だという。
「天井を見てみ。日本一になったメンバーのサインもらっとるんで」
部屋のいたるところに、選手のサイン色紙や「全国高校駅伝」の横断幕が飾られている。
「世羅高出身なんですか?」
「いや、私は尾道商業なんです」
自らの出身校ではないが、地元愛から熱心に応援しているのだ。
「家族の歴史」も大切に
さらにその奥には、「我が家の歴史感」と書かれた“のれん”が掛かっている。
辰已アナが思わず声を上げた。
「こんなのれん、見たことないです!“感”が“館”じゃない」
のれんをくぐると、そこは宮田さん一家の写真などを集めた部屋だった。きっかけは、祖父の遺影の裏に残されていた一枚の記録。そこには、大正10年12月に宮田さんの祖父が小国にやってきたことが記されていた。
これを見つけた宮田さんは「何かせにゃいけん」と、家族の歴史を残し始めたという。
そして最後は、「せらの小路あやまろう」の特別講演で締めてもらった。
「は~い、お待たせをいたしました。どうも、いや~どうもどうも」
煌びやかな赤のスーツに、真っ赤なネクタイ。ふわっとした茶髪のかつらを被り、丸メガネをかけて登場した。言うまでもなく、“綾小路きみまろ”を彷彿とさせる装いである。
軽妙な語り口で披露したのは、病院で精密検査を受けたおばあさんの“指の骨折”をオチにした一席。
「はい、おあとがよろしいようで。そんな感じ」
講演後はあっさりと“宮田さん”に戻り、笑いを誘った。
地元に笑顔を――世羅町小国で出会った宮田さんの活動には、変わりゆく里山を明るく盛り上げようとする思いが詰まっていた。
(テレビ新広島)

