30日朝、榎並大二郎キャスターが向かったのは28日の地震で最大震度7を記録した熊本・宇城市。

宇城市では72歳の杉浦臣夫さんが倒壊した家屋の下敷きとなった状態で発見され、その後、死亡が確認されました。

「あのベッドに寝とった。俺が帰ってきた時はまだぐちゃぐちゃ。きれいにしてもらったよ。足触ったら冷たかった。(Q. 消防にも電話がつながらない状況?)うん…」と語るのは、同居する杉浦さんの6歳年下の弟・成生さん。

亡くなった杉浦さんは、米や熊本特産の“い草”作りに精を出す働き者だったといいます。

亡くなった杉浦さんと同居の弟・成生さん:
6年前くらいに脳梗塞起こして、右足だったかな、不自由かなんかで足を引きずって…。きょう通夜があって明日葬式。(この状況で杉浦さんを)この家に連れて行くわけにはいかん。

亡きがらを、せめて住み慣れたわが家に帰らせてあげたくても、それが許されないほど家屋は損壊していました。

発生から3日、熊本地震の被害状況は日を追うごとに大きくなっています。

30日午後、熊本県は死者が34人になったと発表しました。

そして、生存率が大きく低下するとされる、いわゆる「72時間の壁」を前に、今も各地で懸命の救助活動が続いています。

大きく傾き、一部がつぶれている住宅の周りで活動する大勢の救助隊員。

この家に住む住民が取り残されているとみられる八代市の現場では、昼前に動きがありました。

ブルーシートを手に持った警察が一斉に住宅へと向かっていき、住宅の周りにブルーシートがかけられていました。

おそらく住人が見つかったものとみられます。

同じく八代市にある日本製紙の工場。

熊本県の発表によると8人の死亡が確認され、現在も1人の安否が分かっていません。

自衛隊のドローンカメラの映像では、がれきが幾重にも折り重なるだけでなく、そこに水がたまっている様子も見て取れ、救助作業が極めて困難な様子がうかがえます。

別の映像では、そうしたがれきの山を消防隊員らが手作業で取り除いていました。

激しい爆発からまもなく丸2日。

30日早朝も捜索活動が続いていた嘉島町のイオンモール熊本では、午前8時20分過ぎ、隊員たちが慌ただしく動いてブルーシートやテントなどが設置していました。

熊本県は、イオンモール熊本での死者が7人になったと発表しました。

今も続く、懸命の救助活動。

一方、30日も熊本市で35度を観測するなど、猛暑の中、一日も早い日常生活をと市民らは願いますが、繰り返される余震に加え、30日も火災が発生するなど復興への歩みを阻んでいます。

黒煙を上げ、激しく燃える炎。

最大震度7を観測した熊本・宇城市では、地震発生から3日目を迎えた30日も火災が発生していました。

消防隊員らは、住宅のすぐ前の道路から、そして敷地の中からも放水作業を続けますが、炎の勢いは弱まる様子を見せません。

消火が進まない理由の1つは、この地で続いている断水です。

消防関係者:
もう水がなくなったみたいです。(Q.断水続いている?)断水続いています。(このあとどのように消火する?)ああ…。(Q.わからない?)はい…。

消火のための水がなくなり、消防関係者も思わず言葉に詰まる厳しい状況。

宇城市と同様、28日の地震で最大震度7を記録した氷川町の住宅地にも復興を阻む現状が。

倒壊した住宅の前で出会ったのは、かつてこの住宅に住んでいたという女性。

震災によって大きく姿を変えてしまった実家に「(最初に見たとき)ほんとに言葉にならないってまさにこのことかなみたいな。ここが土間。よく釣ってきてもらった魚をおじいちゃんがさばいていた場所」と語りました。

そんな実家への思いを語っていたさなかにも。

実家が倒壊した女性:
ペッチャンコ。これ台所なので…。

記者:
ちょっと離れますか、ギシギシなっているので。

実家が倒壊した女性:
揺れてる…。

揺れを感じたその1分余り後にもまた地震が。

実家が倒壊した女性:
まさか10年で来るとは…。揺れてますね…。おお…。

八代市鏡町では建物が倒壊して道をふさいでいたほか、倒壊した建物が川の中に落ちてしまっていました。

そして、榎並キャスターが話を聞いた氷川町の住民は、10年前の熊本地震よりも復興への障壁が多い現状だと話してくれました。

住民:
あのとき(10年前)は結局水も電気もうちのところはまだ通っていたと思うが、今回は水が全くダメになって復旧もいつかわからない状況。あと道路とかがどうしても行けない場所が多かったりするのでそこもきついところかなと思う。