福井市北部、九頭竜川の南側に広がる明新地区。78年前、この地で大規模な豪雨災害が発生した。その1カ月前には「震度7」創設のきっかけともなった福井地震が発生したばかり。地震で緩んだ堤防が決壊し、濁流で福井市内の3分の2が泥沼と化し、被災者は約2万8000人にのぼった。「災害は起きると断言してもいい」いまもその記憶を胸に刻む証言者たちが、警鐘を鳴らす。
「4月の雨が豪雨となり、上流では300ミリの集中豪雨に」
九頭竜川の決壊の現場近くに住む黒川仙太郎さん(83)は当時5歳だった。「速いという記憶しかないですけどね。ダーッと切れたっという感じで。土色の水がね、田原町のほうへ向かってバーッと流れるのがね」。
幼い目に焼き付いた濁流の光景は、80年近い時を経たいまも鮮明に記憶に残っている。
1948年4月23日の夕刻から降り出した雨はついに豪雨となり、福井市内では翌日にかけて130ミリ近い雨が降り、上流では300ミリの集中豪雨を記録した。
濁水に満ちた九頭竜川は、25日午後5時頃、吉田郡西藤島村でついに決壊。地震によって既に緩んでいた堤防は持ちこたえることができず、九頭竜川から溢れた水は福井市中心部へと流れ込んだ。
この豪雨災害が起きたのは、マグニチュード7.1の福井地震からわずか1カ月後のことだった。
3年前に空襲を受けてから復興に向けて歩み始めた矢先に襲った、地震と豪雨。相次ぐ災害に、当時の記録映像は「人々は一時は呆然たる有様だった」と伝えている。
「水が真っ白に泡立って、一直線に見えて」決壊点から5キロ離れた場所でも
堤防が決壊した現場から直線で5キロほど離れた場所に住んでいた名津井萬さん(92)もまた、あの日の光景を鮮明に覚えている。
「梅雨明け直前の雨が、大雨降って、堤防を切って、5キロぐらいあった」。当時、これほど離れた場所まで水が来るとは想像していなかったという。
濁流は現在のえちぜん鉄道の線路を越えて押し寄せ「線路を越えていくときに、水が真っ白に泡立って…真っ白に、一直線に見えて。その白いのがザーッと田んぼの中を一気に押し寄せてきて…自分の背丈ぐらい来た」
当時の記録が伝える被害の規模は凄まじいものだった。福井市内は3分の2が泥沼となり、被災者は約2万8000人にのぼった。空襲や地震で打ちのめされた後、追い打ちをかけるように水害に見舞われたのだ。
「災害は起きると断言してもいい」83歳が後世に伝えたいこと
78年経って証言してくれた黒川さんは、草地の斜面に立ちながら当時の堤防決壊の現場を指し示す。「ここが破堤したんです」。目の前に広がる穏やかな風景に、いまでも当時の光景が重なるという。
この地区の人々は、福井で「母なる川」とも呼ばれる九頭竜川の恵みを受けながら、一方でその脅威とも向き合い続けてきた。
大きな地震と水害を経験した黒川さんは、いまの世代に強いメッセージを送る。「水害について、あるいは地震があったらどうなるんか、知識の中へ入れといてほしい」

そして黒川さん言葉に力を込める。「私は“災害は起きる”と断言してもいいと思う。いまは、空白時間にはまってるだけ」
78年前の福井で起きた出来事は、決して過去だけの話ではない。2024年には、能登半島で大地震が発生した、わずか半年後に、同じ能登が豪雨被害にあった。
83歳の黒川さんと92歳の夏井さんが、いまなお声を上げる理由がそこにある。78年前の教訓を、次の世代へどうつなぐか。それが問われている。

