「欲しがりません勝つまでは」そんな標語が広められた戦時下では、衣料品の配給切符は使われないまま返却されることが“美談”とされた。戦地に赴く兵士だけでなく、国民もまた別の形で戦争に巻き込まれていた。その実態を伝える企画展が、いま福井県文書館で開かれている。

軍を支えた「銃後」の生活

昭和元年から数えて満100年、8月には太平洋戦争の終戦から満80年の節目を迎えた。福井県内でも、7月12日に敦賀空襲、7月19日には福井空襲があった。こうした戦争の記憶を風化させないために、福井県文書館では戦時中の国民のくらしぶりにスポットを当てた企画展が開かれている。

兵隊が勇壮に描かれた教科書
兵隊が勇壮に描かれた教科書
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並ぶのは同館が保管する資料30点余り。兵隊が勇壮に描かれた小学校の教科書もそのひとつだ。当時の「空気感」を色濃く映し出している。

国内に残された人たちも戦争に巻き込まれていった
国内に残された人たちも戦争に巻き込まれていった

焦点を当てたのは、「銃後」。軍隊の活動を後方から支援した一般国民の生活や、国内社会の動きを指す言葉だ。戦場に赴いた兵士たちの影で、国内に留まった人々もまた、戦争の渦中に置かれていた。

衣料品の配給切符 使わないのが“美談”とされた
衣料品の配給切符 使わないのが“美談”とされた

目を引くのが、衣料品の配給に使われた「切符」。物資が乏しくなるなか、切符には100点、80点などの点数が設定され、例えばスーツ1着は50点で交換できる仕組みだった。しかし、その切符が使われずに残っている。

使わないまま残された配給切符
使わないまま残された配給切符

県文書館の山本政一郎さんは、その背景に2つの事情を挙げる。一つは、「"欲しがりません勝つまでは"という標語があったように、切符は使わずに返すことが美談として広められた」というもの。

もう一つは「軍に回すことが優先されたので現物がなく、切符があっても使えなかった」という厳しい実態があったからだ。

食糧難でイナゴやタニシを「決戦食」として推奨

当時の回覧板のチラシに書かれていたのは―
〈決戦食『蝗(イナゴ)』及び『田螺(タニシ)』料理について〉

イナゴやタニシを「決戦食」として推奨するチラシ
イナゴやタニシを「決戦食」として推奨するチラシ

山本さんによると「食糧不足が深刻になり、普段食べないものでも実は栄養が優れていると称して広めようとした」という。イナゴやタニシを「決戦食」として国民に推奨する―そこには、追い詰められていった銃後の生活が如実に表れている。

強制的に金銭が徴収された
強制的に金銭が徴収された

山本さんがもう一つ紹介したのは、昭和13年(1938年)、日中戦争が勃発した直後に始まった「国民貯蓄運動」だ。戦争費用を調達するため、国民から半強制的に金銭を徴収した制度。

「隣組や会社などで強制的に月3円を積み立てよう、などと個人の意思では逆らえないような世の中だった」と山本さんは語る。隣組というコミュニティ単位を通じた相互監視のなかで、貯蓄の「強制」は自然なものとして機能していた。戦時下の国民生活は、国家の論理によって隅々まで管理されていたのだ。

戦中、戦後を生きた人々の記憶を次世代へとつなぐこの企画展は7月15日まで福井県文書館で開かれている。