81年前の昭和20年7月19日深夜、福井の市街地を焼き尽くした大空襲。当時16歳で女学校に通っていた内山和子さん(97)は、目の前で一人の女性が焼夷弾の直撃を受け、瞬時に消えていく光景を目の当たりにした。「パッと当たった瞬間に体全体が赤い液体になって…」いまも鮮明に残るその記憶を、97歳になったいま、証言してくれた。

女学校での勉学の日々が学徒動員で一変

福井市の呉服町商店街にあるクリーニングの取次店。店主の内山和子さん(97)はこの場所に生まれ育ち、70歳から取次店を始め、いまも現役で働いている。

クリーニング取次店で接客する内山和子さん(97)
クリーニング取次店で接客する内山和子さん(97)
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顔なじみの客がやってくると「おはようございます」と笑顔で応じ、衣服を受け取る。穏やかな日常を過ごす中で、81年前の凄絶な記憶はいまも生々しく刻まれている。

女学校へ通っていた頃の内山さん
女学校へ通っていた頃の内山さん

太平洋戦争のさなか、福井市立高等女学校へ通っていた内山さん。勉学の日々は一変し、軍需工場へと駆り出された。いわゆる「学徒動員」だ。

「酒井通信という工場で飛行機の通信の部品を作ってたんです」と振り返る。「勉強はもう、吹っ飛んで…それどころではなかった、ああいう時代は」

山を越え、往復6時間を歩いて通い続ける毎日だった。

防空壕へ滑り込もうと…目の前の女性に焼夷弾が直撃

そして昭和20年7月19日深夜、空襲警報が激しく鳴り響いた。

防空頭巾をかぶって家を飛び出した
防空頭巾をかぶって家を飛び出した

町内の人が「空襲だ」と呼びに来たときには、街中に火の手が上がっていた。「こんなことあるんかなと思って…」これまでに見たことがない光景が広がっていた。

アメリカ軍のB29 127戦闘機が焼夷弾を投下
アメリカ軍のB29 127戦闘機が焼夷弾を投下

防空頭巾をかぶり、着の身着のままバケツとひしゃくを手に飛び出した。家族ともバラバラになり、一人で逃げ回る中、防空壕へ滑り込もうとした、そのときだった。

1晩で焼夷弾1万発を投下した
1晩で焼夷弾1万発を投下した

目の前にいた女性に焼夷弾が直撃した。

「焼夷弾が落ちて来てパッと当たった瞬間に、パッと消えて体全体が赤い液体になってしまって…骨も何にも形ない、液体」

この夜、アメリカの爆撃機B29 127機が福井に投下した焼夷弾は、約1万発。投下したM69焼夷弾は、上空で炸裂すると36発ほどが飛び出し、着弾と同時に油が燃える仕組みだった。

福井空襲
福井空襲

福井の市街地の85%が焼失し、1500人以上の犠牲者を出した。

「死者をまるで物のように……もう二度と見たくない」

降り注ぐ焼夷弾をかいくぐり、親戚のいる少し郊外へと逃げた内山さん。翌日には、奇跡的に家族全員の無事が確認できた。

福井の市街地が焦土と化した
福井の市街地が焦土と化した

一面、焼け野原となり熱気でむせ返る中、目にしたのは、さらに凄惨な光景だった。

「トラックが来て、死者をまるで物のように…くわでパッパッと荷台に積むんです」

玉音放送を聞く国民
玉音放送を聞く国民

16歳の少女にとって、それは受け入れがたい現実だった。「ああいう光景は、もう二度と見たくもない」と力を込める。

戦後、父親が洋傘店を再開させた
戦後、父親が洋傘店を再開させた

戦後、父親は長年経営していた洋傘店を苦労の末に再開。内山さんはその跡を継ぎ家族にも恵まれた。

洋傘店を引き継いだ内山さん
洋傘店を引き継いだ内山さん

穏やかな日々を送る中で、内山さんは昨今の世界情勢に大きな不安を感じている。
「ひどい世の中。戦争は二度とごめんやから。若い人には、戦争はだめだと伝えたい」

「戦争は二度とごめん」と訴える内山さん
「戦争は二度とごめん」と訴える内山さん

16歳で経験した福井空襲。97歳になったいま、カメラの前で証言したのは、次の世代に同じ思いをさせたくない―その思いからだった。

福井テレビ
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